エリュシオン王国 Συβλιμε Χουντρψ Ελψσιυμ | |
| 国旗 | |
|---|---|
基本情報 | |
| (ここに領土の地図を貼り付け) | |
国の時代 | 古代終盤〜中世 |
国の標語 | |
特色 | |
政治的イデオロギー | 絶対君主制 |
経済的イデオロギー | 前近代的 |
公用語 | コイネア語 |
首都 | クタ |
最大の都市 | クタ |
人口 | |
国教 | あれば書く |
通貨 | ドラクルム |
詳細情報 | |
国の国力 | 大国 |
国の工業化レベル | 原始的 |
国の技術レベル | 原始的 |
国の教育レベル | 低い識字率 |
種族の権利 | 平和的共存 |
軍の強さ | 前近代 |
国王 | |
崇高なる全エリュシオンの大王 | ネルガル |
宰相 | ペリオロス |
6世紀ごろにネルガル大王が建国したとされており10世紀にコンスタンティオン帝国が独立し、13世紀のアルタイ帝国による征服が起きるまで存在していた王朝である。
強大な力からノルドニアからは恐れられており、王であるネルガル大王は魔王と呼ばれた。一説によるとネルガル大王はトレデシムの伝説に残るネルガルと同一人物であるとされており何らかの理由で眠りから覚めたと考えられている。
強大な力からノルドニアからは恐れられており、王であるネルガル大王は魔王と呼ばれた。一説によるとネルガル大王はトレデシムの伝説に残るネルガルと同一人物であるとされており何らかの理由で眠りから覚めたと考えられている。
6世紀中盤ごろに現在のアルタイ帝国のカラシュでエリュシオン王国が成立。成立してから15年後にエリュシオン王国は近隣のヘレネー王国とアルティナ公国に侵攻してこれを征服した。
この侵略が成功した背景としてエリュシオンの魔道兵によって強固に防護されたファランクスが非常に強力であり、これを打ち破れなかったからというのとヘレネー王国とアルティナ公国との争いをうまく利用したからと言われている。
この侵略が成功した背景としてエリュシオンの魔道兵によって強固に防護されたファランクスが非常に強力であり、これを打ち破れなかったからというのとヘレネー王国とアルティナ公国との争いをうまく利用したからと言われている。
7世紀初めごろに拡張政策に取り組んでいたエラム帝国のホスロー大帝は東のハイタリテスを倒した後に勢いそのままにエリュシオン王国へ侵攻した。
エラム帝国はハイタリテスの武将の一人であったアルシワンを懐柔しており、ハイタリテスの騎兵部隊を活用できたため緒戦ではエリュシオンの都であるクタまで迫ることが出来た。
エリュシオン王国はエラム帝国の侵攻を予測してはいたものの北方のブルガーンと抗争中で主戦力が北方に移動していた上ハイタリテス人やパルワン人騎兵の機動力に対応できず押し込まれた。613年のアンティキオスの戦いではイフワーンやバシリオスを始めとした武将が討死した。
これを受けて、ネルガル大王は当時戦いの最中であったブルガーンに毎年貢物を送った上で娘をブルガーンのカガンに嫁がせるという約束で講和し主戦力を北から東に転身させた。エラム帝国は騎兵の機動力を利用し都市を次々と攻略し、王都であるクタに迫るのは時間の問題と思われた。
ネルガル大王は、エラムとの決戦の地にサザ河畔を選んだ。
エラム帝国はハイタリテスの武将の一人であったアルシワンを懐柔しており、ハイタリテスの騎兵部隊を活用できたため緒戦ではエリュシオンの都であるクタまで迫ることが出来た。
エリュシオン王国はエラム帝国の侵攻を予測してはいたものの北方のブルガーンと抗争中で主戦力が北方に移動していた上ハイタリテス人やパルワン人騎兵の機動力に対応できず押し込まれた。613年のアンティキオスの戦いではイフワーンやバシリオスを始めとした武将が討死した。
これを受けて、ネルガル大王は当時戦いの最中であったブルガーンに毎年貢物を送った上で娘をブルガーンのカガンに嫁がせるという約束で講和し主戦力を北から東に転身させた。エラム帝国は騎兵の機動力を利用し都市を次々と攻略し、王都であるクタに迫るのは時間の問題と思われた。
ネルガル大王は、エラムとの決戦の地にサザ河畔を選んだ。


baluca19911225
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