zhì luo dì guó 櫛羅帝国 | |
国旗 | |
|---|---|
![]() | |
基本情報 | |
国の時代 | 中世 |
国の標語 | なし |
特色 | 征服国家 |
政治的イデオロギー | 四帝分治制 |
経済的イデオロギー | 過酷な収奪 |
公用語 | ユティア語 |
首都 | ヨモツグラ→殿京 |
最大の都市 | 殿京 |
人口 | 約8700人 |
国教 | なし |
通貨 | 両 |
詳細情報 | |
国の国力 | 大国 |
国の工業化レベル | 前近代 |
国の技術レベル | 前近代 |
国の教育レベル | 低い識字率 |
種族の権利 | 人間差別 |
軍の強さ | スパルタ的規律 |
櫛羅帝国とは、夢境から侵攻した亜人種たちがセリカ帝国の北部を占領して打ち立てた征服国家である。1215年から1368年までの約1世紀半に渡って存続した。
鬼人族ゼノポルタ、獣人族ファルカウを中心に、巨人族ギガンテス、魚人族ディープシーを加えた4種族が支配層となり、亜人種たちは各地を束ねる領主として君臨していた。
その軍事力は圧倒的で、当初は南に逃れたセリカ帝国は防戦一方にならざるを得なかった。
しかし、セリカ帝国はギガンテスをも撃ち沈める巨砲「紫龍雷」を開発して反攻を行い、最終的にギガンテスの長を討ち取ることで抗争は終結したのだった。
セリカ帝国の北方、夢境との国境から河水流域に至るほどの地域を支配した。
支配領域を16の省に分け、4種族それぞれに4つずつ割り振って各種族の支配地とした。
首都は燕京に置き、殿京と称して街道でヨモツグラと繋げた二重構造の都市とした。
支配領域を16の省に分け、4種族それぞれに4つずつ割り振って各種族の支配地とした。
首都は燕京に置き、殿京と称して街道でヨモツグラと繋げた二重構造の都市とした。
夢境とはセリカ帝国の北方に存在する亜人たちの領域である。その最南部、セリカ帝国にほど近い場所にゼノポルタの都市国家ヨモツグラは存在する。
長年、セリカ帝国に朝貢をしてきたヨモツグラだったが、夢境内での勢力争いの結果それまで覇権勢力だったメガリスを破って勢力を強め、独立を志すようになった。そして1211年に朝貢を拒否してセリカ帝国と断交し、傘下としたメガリス、ネフェルスト、コモレヴィアの軍勢を率いてセリカ領に侵攻した。
セリカ帝国北部にいた獣人を寝返らせた4種族連合軍はセリカ軍を破って国境を突破し、セリカ帝国の北半分で暴れまわった。1215年夏、半年以上4種族連合軍の包囲にさらされた末に燕京は陥落し、セリカ帝国は北部での勢力を失った。その後、4種族連合は燕京を首都とする新王朝を樹立して自らを櫛羅帝国と称した。これに対し、生き残ったセリカ人は南方に逃れて反抗を続けた。
1220年冬、櫛羅帝国はセリカ帝国の反攻のため北方に派遣された遠征軍を反転させて南下させた。また1221年春、北部に残されたセリカ軍の残存勢力が結集して反乱が勃発。各地で蜂起した彼らは櫛羅帝国からの独立を目指して戦ったが、同年夏にはついに敗北した。
こうして櫛羅帝国の基盤は完全に固まり、約1世紀半に渡る支配が始まった。
1268年には南方へ攻め込みセリカ帝国を完全に滅ぼす(正確には、南方の政権を滅ぼして自らを正統な中華帝国とする)ことを目論むが、国境付近に駐留していたセリカ軍は精強で、南方遠征を開始した櫛羅軍を迎撃してこれを撃滅した。この水山の戦いで櫛羅軍は壊滅的打撃を受け、当面の南方進出を断念せざるを得なくなった。
たが南方政権の撃滅を諦めきれなかった歴代指導者らは、定期的に南方遠征軍を組織しては派遣し続けた。南方での戦いは泥沼化し多数の死者を出したものの、南方政権は滅びることなく果敢に櫛羅帝国を撃退してみせた。
両国の力関係が変わるのは1348年のことである。この年も櫛羅帝国による南方遠征軍が組織され、南方政権は浙窟という土地で迎え撃った。この戦いには、約63万斤(378トンほど)の重量を持つ巨砲「紫龍雷」が導入された。この巨砲の威力は凄まじく、これまで人間の兵器では傷つけられなかった全身に鎧をまとったギガンテスの兵士を、当たりどころによっては一撃で殺せるほどだった。
この新兵器の登場によって櫛羅帝国軍は総崩れとなり、潰走としか言えない有様で撤退を余儀なくされた。
その重量ゆえ当初は持ち運びの出来なかった「紫龍雷」だが、南方より輸入した象を1門につき10頭配置することで動かせるようになり、1351年に北伐が開始される。
1368年に至って櫛羅帝国の指導者たちは、もはやセリカ帝国北部地域を維持することは不可能であると見切りをつけた。彼らは殿京を放棄して北の夢境へと退去した。
この大敗北によりヨモツグラ、コモレヴィア、メガリス、ネフェルストは一気に衰退し、夢境では彼らに変わって岩石種族ガイアマナの都市国家ハイダウトが勢力を強めることになる。
長年、セリカ帝国に朝貢をしてきたヨモツグラだったが、夢境内での勢力争いの結果それまで覇権勢力だったメガリスを破って勢力を強め、独立を志すようになった。そして1211年に朝貢を拒否してセリカ帝国と断交し、傘下としたメガリス、ネフェルスト、コモレヴィアの軍勢を率いてセリカ領に侵攻した。
セリカ帝国北部にいた獣人を寝返らせた4種族連合軍はセリカ軍を破って国境を突破し、セリカ帝国の北半分で暴れまわった。1215年夏、半年以上4種族連合軍の包囲にさらされた末に燕京は陥落し、セリカ帝国は北部での勢力を失った。その後、4種族連合は燕京を首都とする新王朝を樹立して自らを櫛羅帝国と称した。これに対し、生き残ったセリカ人は南方に逃れて反抗を続けた。
1220年冬、櫛羅帝国はセリカ帝国の反攻のため北方に派遣された遠征軍を反転させて南下させた。また1221年春、北部に残されたセリカ軍の残存勢力が結集して反乱が勃発。各地で蜂起した彼らは櫛羅帝国からの独立を目指して戦ったが、同年夏にはついに敗北した。
こうして櫛羅帝国の基盤は完全に固まり、約1世紀半に渡る支配が始まった。
1268年には南方へ攻め込みセリカ帝国を完全に滅ぼす(正確には、南方の政権を滅ぼして自らを正統な中華帝国とする)ことを目論むが、国境付近に駐留していたセリカ軍は精強で、南方遠征を開始した櫛羅軍を迎撃してこれを撃滅した。この水山の戦いで櫛羅軍は壊滅的打撃を受け、当面の南方進出を断念せざるを得なくなった。
たが南方政権の撃滅を諦めきれなかった歴代指導者らは、定期的に南方遠征軍を組織しては派遣し続けた。南方での戦いは泥沼化し多数の死者を出したものの、南方政権は滅びることなく果敢に櫛羅帝国を撃退してみせた。
両国の力関係が変わるのは1348年のことである。この年も櫛羅帝国による南方遠征軍が組織され、南方政権は浙窟という土地で迎え撃った。この戦いには、約63万斤(378トンほど)の重量を持つ巨砲「紫龍雷」が導入された。この巨砲の威力は凄まじく、これまで人間の兵器では傷つけられなかった全身に鎧をまとったギガンテスの兵士を、当たりどころによっては一撃で殺せるほどだった。
この新兵器の登場によって櫛羅帝国軍は総崩れとなり、潰走としか言えない有様で撤退を余儀なくされた。
その重量ゆえ当初は持ち運びの出来なかった「紫龍雷」だが、南方より輸入した象を1門につき10頭配置することで動かせるようになり、1351年に北伐が開始される。
1368年に至って櫛羅帝国の指導者たちは、もはやセリカ帝国北部地域を維持することは不可能であると見切りをつけた。彼らは殿京を放棄して北の夢境へと退去した。
この大敗北によりヨモツグラ、コモレヴィア、メガリス、ネフェルストは一気に衰退し、夢境では彼らに変わって岩石種族ガイアマナの都市国家ハイダウトが勢力を強めることになる。
支配層の亜人と被支配層の人間という構図が明確であり、階級制度による厳格な上下関係があった。
またセリカ帝国の臣民として元々同地に住んでいた獣人や鬼、ゴブリンなどを支配層に取り込む政策が取られ、彼らの多くが政府の保護の下で新興の地主や豪商となった。人間は主に土木事業や雑用などの労役に就かされ、過酷な労働環境によって多くの死者を出した。
税制は、農民から直接徴収するのではなく、地主から徴収する「田頭制」が採用された。これにより小作人らは地主に納める分と国に納める分の納入金が必要となり、国への納税額が増大した。
加えて、この制度は土地の私有化を推し進めることにもなったため、貧富の差を拡大させていった。
またセリカ帝国の臣民として元々同地に住んでいた獣人や鬼、ゴブリンなどを支配層に取り込む政策が取られ、彼らの多くが政府の保護の下で新興の地主や豪商となった。人間は主に土木事業や雑用などの労役に就かされ、過酷な労働環境によって多くの死者を出した。
税制は、農民から直接徴収するのではなく、地主から徴収する「田頭制」が採用された。これにより小作人らは地主に納める分と国に納める分の納入金が必要となり、国への納税額が増大した。
加えて、この制度は土地の私有化を推し進めることにもなったため、貧富の差を拡大させていった。
支配層の亜人たちはセリカ帝国の文化を需要し、セリカ帝国の生活様式を取り入れていった。特に酒の文化は広く受け入れられ、それまで飲酒を好まなかったファルカウの間でも飲酒の機会を持つようになった。
諸外国から「セリカ帝国」と認識されていたのは南に逃げ延びた政権であったが、櫛羅帝国の支配者たちは自ら中華皇帝を称して対外的に名乗りを上げ、その支配体制は大陸中に知れ渡った。
しかし、その評価は中華帝国ではなく、野蛮な征服国家というものに過ぎなかった。
諸外国から「セリカ帝国」と認識されていたのは南に逃げ延びた政権であったが、櫛羅帝国の支配者たちは自ら中華皇帝を称して対外的に名乗りを上げ、その支配体制は大陸中に知れ渡った。
しかし、その評価は中華帝国ではなく、野蛮な征服国家というものに過ぎなかった。
軍制については、基本的には旧セリカ帝国軍を踏襲していたが、兵種としては新たに巨兵を導入した。
これはギガンテスの戦士からなる兵種で、元々巨人が住んでいなかったセリカ帝国には無かったものだ。
彼らはその圧倒的なパワーで敵を打ち砕き、その進撃を止めることはほぼ不可能であったとされる。
産業面では、養蚕業を主要産業とし、蚕の生産拡大を図った。
一方で絹織物の輸出にも力を注ぎ、国内のみならず国外においても一大生産拠点を築いた。
また、製鉄技術においては元々は優れていた夢境の技術を導入して他国よりも一歩抜きん出ており、鉄器の製造が盛んに行われた。
鉄鋼業では他に類を見ないほど大量の鉄鉱石を採掘できる鉱山を多数保有しており、これを用いて良質な武器を生産し続けた。
そして何より、巨大な製鉄所を所有し、大規模な鋼鉄製造能力を有していた。
これらにより、他の追随を許さないほどの工業力を有し、国力において圧倒的に優位に立った。
これはギガンテスの戦士からなる兵種で、元々巨人が住んでいなかったセリカ帝国には無かったものだ。
彼らはその圧倒的なパワーで敵を打ち砕き、その進撃を止めることはほぼ不可能であったとされる。
産業面では、養蚕業を主要産業とし、蚕の生産拡大を図った。
一方で絹織物の輸出にも力を注ぎ、国内のみならず国外においても一大生産拠点を築いた。
また、製鉄技術においては元々は優れていた夢境の技術を導入して他国よりも一歩抜きん出ており、鉄器の製造が盛んに行われた。
鉄鋼業では他に類を見ないほど大量の鉄鉱石を採掘できる鉱山を多数保有しており、これを用いて良質な武器を生産し続けた。
そして何より、巨大な製鉄所を所有し、大規模な鋼鉄製造能力を有していた。
これらにより、他の追随を許さないほどの工業力を有し、国力において圧倒的に優位に立った。
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