新海誠監督のアニメーション「秒速5センチメートル」の二次創作についてのサイトです。

そのころ、貴樹はいらいらすることが多くなった。
一人でプログラムをしているだけだったら、自分の力で仕事の速度をコントロールできるし、他者の介入などもないので、気楽なものだった。もちろん、締め切りに間に合わない、なんてこともない。

貴樹の仕事のスピードはそれこそ「尋常ではない」と評されるほどで、評価はウナギ登りとなり、査定はあがり、給与は同期の誰よりも高くなった。

それらはすべて「一人でやる」という前提だった。

しかし、プロジェクトマネージャーに指名され、複数の同僚、あるいは場合によっては先輩たちを統率していくと、相いれない人たちも出てくる。

「どうして道筋をつけているのに、できないんだ?」

単純な疑問なのだが、まるで、前に進もうと思っている貴樹の足をひっぱるように、プロジェクトの歩みは鈍かった。それでも予定よりは十分進捗していたのだが、その速度は貴樹には不満だったのだ。

割り振った役割のままだと納期に間に合わなくなるため、仕方なく自分がフォローすると、その行為をよく思われない。

お前のプライドのために仕事しているんじゃないぞ。
このプログラムは顧客に届けるためのものだ。

それは正論だ。

だが、人間というものは正論だけでは動かないし、また、正しいことを言うことでよけいにつむじを曲げる輩もいる。

ようやく訪れた週末、明里を誘って食事でもしようと思っていたのだが、残念ながら明里は撮影の立会いで土曜日はつぶれてしまっていた。

「ごめん、日曜は空けてるから」

と疲れた顔で言われると、それ以上は何も言えなかった。

進めないといけない仕事に、いうことを聞かない同僚。
恋人は仕事で、自分はひとりぼっち。
まったくどうすればいいんだ。

予定のなくなった土曜日。さすがに今日は休息しようと、昼前までベッドでまどろんでいたが、もったいないなと思い直し、映画でも見るかと新宿へ出かけることにした。
少しは気晴らししないと。

東中野から新宿へ。ホームに降り立って、東口への最短ルートを頭の中で考えていると、声をかけられた。

「遠野さん、ですよね」

目を閉じていたので、幻聴かと思ったのだが、目を開くと、目の前に若い女性が立っていた。

「サムドシステムズの遠野さんですよね」

いきなり、勤務先と名前を言われて動揺する。誰だっけ。

背の高さは明里くらいだ。髪は漆黒に近く、やわらかなウェーブで肩を超すほどまで届いている。中肉中背だが、初夏の季節ということもあって、薄手の服ともあいまって、豊かなバストの膨らみに目がいってしまう。黒ぶちの眼鏡のせいで地味な印象だが、その奥の顔立ちは整っていた。

「先日、○○の件で」

そこまでヒントを出されて、ようやく思い出した。

前回の案件を引き渡したときの、相手先のアシスタント。

名刺交換していたはず。たしか、水野理紗さん。

「……水野さん?」

そういうと、氷が溶けるような微笑みで「よかった、覚えていてくれて」と理紗はいう。
「どちらに?」と問う貴樹に、「どちらでも」と答えられて少し混乱する。
結局、二人とも確たる用事はなくて、ぶらぶらと新宿に出てきたことがわかり、礼儀正しく貴樹は食事に誘い、理紗もうれしそうに受けた。


得意先の人に仕事の愚痴を言うのはよくないのだろうけど、結局はそうなってしまった。

「遠野さん、人にはいろんなタイプがあって、ゆっくりひとつひとつこなして確認していくことが好きな人もいるんですよ」とたしなめられてしまった。年下の女性にそう言われたのは少し新鮮で、「そういうもんかな」と素直に思ってしまった。

「誰も、同じスピードでは走れないんです。車の免許は持っててもF1マシンには乗れないのと同じで」

そのとき貴樹は「この子はうまいな」と思った。説教しているようで貴樹を持ち上げている。

「まあ、その最たる人は私なんですけど」と恥ずかしげに言われた。その表情が実にキュートで、毒気を抜かれてしまう。

気付いたら2時間も理紗と話をしてしまっていた。夕方近くなってしまったので、そのまま新宿で別れたが、携帯のメールアドレスは交換した。

とくに後ろめたい気分はなかった。たいしたことはない。ただ、一緒にファミレスに入って食事しただけだ。

帰宅途中に携帯を見るとメールが2通。

1通は明里からだ。19時ころに帰るとのこと。
もう1通は理紗からだった。「今日はありがとうございました」というあいさつ。

二つのメールが並んでいるのを見て少し胸が騒ぐ貴樹だった。

(つづく)

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