当サイトは民主主義社会の根幹をなす最重要の「人権」であるところの表現の自由、およびその規制・弾圧・バッシングにまつわる用語集です。

 トランスジェンダーが映画などに登場する場合、そうでない役者がそれを演じてはならない――という制約が現在、アメリカの映画界を縛りつつある。専門用語で「ストレート・ウォッシング」とも言う。

 2018年に制作発表された映画『Rug&Tug』は、トランスジェンダーであった実在の人物を描いた映画であり、【スカーレット・ヨハンソン】が主演予定であったが、バッシングを受けて降板。ヨハンソンがプロデューサーでもあったため、トランスジェンダーを「エンパワメント」したかもしれなかったこの映画自体が現在、製作の見通しが立たなくなっている。
 また2020年7月、アカデミー賞女優のハル・ベリーがトランスジェンダー役をオファーされたことを明かし、バッシングを受け「検討したことを謝罪」した。ハル・ベリーは元々LGBTQを支持していることで知られており「トランスジェンダーの世界をこの身で体験し、その世界をもっと知りたい」と語っていたが、仲間だと思っていた人々から刺された形である。

 このような風潮を擁護し、映画ジャーナリストという肩書の猿渡由紀は「トランスジェンダー役を、そうでない俳優が演じてはダメな理由」、「一番大きな理由は、すでにたくさんチャンスのある人が、もともとチャンスのない人から奪うべきではないということ」「作品のためにも、自ら経験している人が演じるほうが良い」という理由を語っている。

 が、この理由はあまりにも弱い。
 まず「チャンスを奪うな」についてであるが俳優の役柄というのは元々厳しい競争のある世界であり、トランスジェンダーであろうがなかろうが「重要な役をスターに占められていて、なるのが難しい」ことは元々の話である。それはトランスジェンダー差別でもなんでもない。
 また、トランスジェンダーとは「身体的な性別と性同一性が一致しない(性別違和の)人」のことを指す言葉である。表立って「おかま」や「オネエ」「オナベ」「ニューハーフ」をやっている人だけを指すのではない。身体的性別の通りに男性または女性として社会的に振る舞っている人も、性別違和(心身の性の不一致)があるならトランスジェンダーである。
 トランスジェンダー役をトランスジェンダーの俳優しか演じてはならない、というルールは、トランスジェンダーを明かしていない俳優たちの存在を完全に無視している。彼らが自身のセクシュアリティ通りの役を演じられる可能性は、これまでは平等にあったが。このルールのもとでは奪い尽くされてゼロになる。
 一見シスジェンダーと思われている俳優が「カミングアウトしていないトランスジェンダー」でない、ということは本人以外の誰も言い切れない。バッシングを受けたハル・ベリーや【スカーレット・ヨハンソン】も、その「トランスジェンダーかも知れない人」に含まれているのだ。

 また、「経験者が演じた方がよい」という言葉も非常に空疎である。
 トランスジェンダーもまた人間である以上、様々な側面を持っている。「経験が役立つ」のはその全ての側面について同じ事であろう。「単なる」トランスジェンダーなどどこにもいない。トランスジェンダーのミュージシャンを演じるのに、ミュージシャンの経験よりトランスジェンダーの経験が重要であるという根拠はまったくないのだ。
 例えば2018年の『ボヘミアン・ラプソディ』はバイセクシュアルであったとされるフレディ・マーキュリーの伝記映画であるが、主演俳優は性的マイノリティであることよりフレディと似た風貌であることを重視して抜擢されている。
 そしてもし本当にトランスジェンダーの役者が、そうでない役者よりもその役柄に適しているなら、それこそトランスジェンダー役者を強制するルールは必要なくなってしまう。平等なオーディションを通してその役を勝ち取れば良いし、必ずそうできる「はず」だということになるからである。

 一方、猿渡の記事では全く触れられていないデメリットもある。
 物語上の制約となることだ。ある登場人物が「実は」トランスジェンダーであった、と正体を明かしたり、トランスジェンダーに「なる」展開を事前のネタバレなしに作ったり、設定変更でそうしたりということが全くできなくなってしまう。
 声優・女優・エッセイストの池澤春奈は次のように批判する声明を出している。


 日本では幸いにもまだこのような馬鹿馬鹿しい制約は浸透しておらず、草なぎ剛がトランスジェンダー役を演じる映画『ミッドナイトスワン』が2020年9月に公開予定である。


参考リンク
オスカー女優ハル・ベリー、批判を受けトランスジェンダー役を降板 「引き受けるべきでなかった」と謝罪
ハル・ベリー、トランスジェンダー男性役のオファーを検討したことを謝罪
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