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 2020年公開のアニメ映画。
 ドラえもん映画第1作『のび太の恐竜』のリメイクではなく、キューとミューという双子の有翼恐竜が物語の中心となるオリジナル作品である。例年3月に公開されるシリーズであるが、本作に限りコロナウィルス禍の影響で延期となり、8月に公開された。

 ツイッター上でフェミニスト系アカウントによって槍玉に挙げられたのだが、その内容は「予告動画でオスの恐竜の名前が先に書かれている」というどうでも良すぎることであった。


 実際の動画がこれである(ちなみに性別に関する言及は映画本編にはない)。


 さて動画の内容を踏まえ、フェミニストの言い分を検討しよう。
 フェミニストは「女の子の『ミュー』の方が卵から先に出てきている(=お姉ちゃん)にも関わらず、2匹を呼称する際に弟の『キュー』を先に呼ぶのは、男子優先の家父長制的価値観の表れ」と呼んでいる。これ自体が完全に間違っている。
 というのは、多胎児の順番を定めること自体が、家父長制のもとで相続順を定めなければならない人間の都合であり、動物の双子には兄も弟も、姉も妹もないのである。
 つまり動物の多胎児に「お姉ちゃん」という概念を持ち込んだフェミニスト自身の方が家父長制に毒されているのだ。
 さらに言えば多胎児のうち「先に出てきた方が兄・姉」というのも、1874年12月13日太政官指令「雙子又ハ三子等分娩ノ際兄弟姊妹順次ノ儀內務省伺」によって定められたものであり、それ以前の日本ではむしろ「後から生まれた方が兄・姉で、先に生まれた方が弟・妹」という慣習があった。現代からは奇異に聞こえるかもしれないが、「後に出生した(つまり奥にいた)ほうが、先に母親の胎内に『入った』はず」という発想に基づくものだという。
 そもそもフェミニズムは、現実の学校における出席番号では「男をまとめて先に呼ぶなんて怪しからん、アイウエオ順にしろ」と要求したのではなかったか。その要求を当てはめれば、キューが先、ミューが後に書かれるのは何も悪くないことになる。

 また、実際に予告動画を確認すると、
「双子の恐竜キューとミュー」と書かれた画像→ミューの紹介→キューの紹介
 という順番になっていることが分かる。
 すなわち「名前のみの紹介ではキューが先、踏み込んだ紹介ではミューが先」という、2度の紹介で順番を入れ替えている。平等を目的にそうしたかはともかく、少なくとも結果として極めて平等なやり方であることには間違いない。

 そもそも、フィクションにおいて誰が先に名前を呼ばれる・書かれるかは出生順よりも、並べたときの語感やそれ以外の事情に因ることの方が大きい。
 たとえば東映スーパー戦隊シリーズには、5人のヒーロー全員が兄弟姉妹という設定の作品が3作ほどある*1が、メンバーが名乗りを上げるシーンなどの順序は出生順と必ずしも一致していない。

「ドラえもんの映画」に限ったとしても、『ドラミ&ドラえもんズ ロボット学校七不思議⁉』という作品がある。

 ドラミは御存知の通りドラえもんの妹であり、「ドラえもんズ」というのはドラえもんとその同級生であるネコ型ロボット計7体のグループ名である。そしてドラえもんズは、ドラえもんはもちろん他の6体も全員が男である。すなわち妹が先、兄(を含むチーム)が後という表記になっている。これは予告動画の一画像ではない。作品そのものの題名である。

 もちろん、肝心なのは本編の内容である。
 『のび太の新恐竜』の本編では、雌雄・男女の扱いはどうなっているのだろうか。
 実は本作、ミューが体も大きく活発で立派に飛べる恐竜、キューはみそっかすで飛べない恐竜なのである。だからこそのび太の心配と共感を呼び、キューに「空を飛ぶ」という課題に挑ませることがストーリーの中核になっている。つまり本作の双子の恐竜は「女性の方が優秀」なのである。
 また人間の男女の描写においても、作中に登場するとある組織の上官(登場するうちでは最上位)は「褐色の肌の女性」であることを指摘しておこう。

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