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hitoshinka 2020年08月15日(土) 07:00:51履歴
漫画などの創作物において、作中に「お色気」のあるシーンを挿入するための作劇法のひとつを意味する俗語。
女性キャラクターが屋外などで着替えているところに男性キャラクター(普通は主人公)がそうとは知らずに現れたり、男性キャラクターと女性キャラクターが衝突した際、女性キャラクターの胸などに手や顔が触れてしまうといった場面が典型。
お色気シーンは入れたいが、さりとて読者の感情移入の対象である主人公を性犯罪者にもしづらい、というジレンマを解決するものである。
フェミニスト達はこの種の表現技法を蛇蝎の如く憎んでいる。
彼女らは、このような描写は合意もなく着替えやスカートの中を男に見られ、あるいは体を触られるという人権侵害描写であって、子供が見るような作品にはあるべきではない。
さらには、男性が少年の頃から漫画などで親しんでいるこのようなシーンが、セクシャルハラスメントや痴漢や覗きといった性犯罪を許容する社会的雰囲気を作り出し、ひいては助長にまで至ると主張する。
フェミニストの見解がいつも通り間違っていることは、このような表現(というより漫画そのもの)が世界で最も盛んな国といえば我が日本国であり、その日本では諸外国に比べ圧倒的に性犯罪が少ないことで分かる。
このような不都合な真実は、表面的には【暗数】理論などで審議拒否されることになるのだが、この指摘は内面的にはフェミニストにどうもダメージを与えているらしい。
性犯罪の「助長」などの具体的な実害ではなく、性犯罪の「軽視」だとか「許容」などの統計で反論されづらい曖昧な文言に置き換えてくるのである。
当然ながらこのような批判もまた、あらゆる点で破綻している。
まず、架空の物語において犯罪や人権侵害があることなど、少年向けであれ常識である。もともと少年漫画には戦いを扱ったものや、殺人事件を主な題材とする推理もの、大泥棒を主人公とする作品も少なくない。当然ながらこれらの中には「のぞき」など比較にならない重罪が頻出することになるのであり、故意犯ですらない「ラッキースケベ描写」を排除するのは明らかにバランスを失していると言わざるを得ない。
……と、このような指摘を受けたフェミニストが馬鹿の一つ覚えのように言うことが「殺人や泥棒は悪とされているが、性犯罪は悪とされていない」という異次元の論理である。
事実は全く逆であり、性犯罪が悪とされているからこそ、主人公にそれをさせないための技法がラッキースケベなのである。もしも性犯罪が悪とされていないのであれば、作者は主人公に堂々とヒロインを襲わせれば良いだけであって、ラッキースケベなどという回りくどいものを導入する意味がないわけである。
言い換えれば、ラッキースケベが存在する事そのものが、性犯罪を悪としているメッセージである。
そもそも、多くの「ラッキースケベ」場面はその後、相手の女性に殴られたり物を投げつけられるなどの「罰」を与えられるのが通常である。そのことを突き付けられたフェミニストは、決まって「現実の性犯罪に比べて罰則が軽い!」と主張するが、そもそも主人公側に何の故意もない以上、故意犯である現実の性犯罪より罰則が少ないのは当然である。むしろ軽かろうと罰が存在することの方が理不尽なのである。
また、創作物の作中で起こった犯罪が現実ほど重い罰を受けないというのも、ごく普通のことである。
しばしば「お風呂シーン」などが槍玉に挙げられる『ドラえもん』を例に取ると、ジャイアンは日常的に度を越した暴行を加えているのび太やスネ夫と親友のままであるし、神成さんも野球のボールがガラスを割って飛び込んでくるという、いつ大怪我をしてもおかしくない目に何度遭っても、叱ってガラス代を出させるくらいで許している。
ラッキースケベに罰則が足りない!と叫ぶ人々は、教科書にまで載っている『走れメロス』で、大量殺人者である邪智暴虐の王ディオニスが、メロスと和解しただけで民衆に万歳を叫ばれるラストをどう考えているのだろうか。
2020年8月、週刊少年ジャンプ連載中であった漫画『アクタージュ』の原作者が痴漢行為で逮捕されたのを受け、連載終了するという事件があった。これについてラッキースケベ・ヘイターたちは我が意を得たりとばかりに「ラッキースケベを乗せてるジャンプから性犯罪が出たぞ!」と盛り上がるという事態が発生した。
しかし、そもそも同作はお色気漫画でもなんでもなく、ラッキースケベ場面など存在しなかった。
他にジャンプ作品の関係者による性犯罪は、『るろうに剣心』作者の和月伸宏による児童ポルノ所持、『世紀末リーダー伝たけし!』の島袋光年による未成年買春事件などがあるが、いずれもお色気や「ラッキースケベ」とは程遠い作風である。
用例:
女性キャラクターが屋外などで着替えているところに男性キャラクター(普通は主人公)がそうとは知らずに現れたり、男性キャラクターと女性キャラクターが衝突した際、女性キャラクターの胸などに手や顔が触れてしまうといった場面が典型。
お色気シーンは入れたいが、さりとて読者の感情移入の対象である主人公を性犯罪者にもしづらい、というジレンマを解決するものである。
フェミニスト達はこの種の表現技法を蛇蝎の如く憎んでいる。
彼女らは、このような描写は合意もなく着替えやスカートの中を男に見られ、あるいは体を触られるという人権侵害描写であって、子供が見るような作品にはあるべきではない。
さらには、男性が少年の頃から漫画などで親しんでいるこのようなシーンが、セクシャルハラスメントや痴漢や覗きといった性犯罪を許容する社会的雰囲気を作り出し、ひいては助長にまで至ると主張する。
フェミニストの見解がいつも通り間違っていることは、このような表現(というより漫画そのもの)が世界で最も盛んな国といえば我が日本国であり、その日本では諸外国に比べ圧倒的に性犯罪が少ないことで分かる。
このような不都合な真実は、表面的には【暗数】理論などで審議拒否されることになるのだが、この指摘は内面的にはフェミニストにどうもダメージを与えているらしい。
性犯罪の「助長」などの具体的な実害ではなく、性犯罪の「軽視」だとか「許容」などの統計で反論されづらい曖昧な文言に置き換えてくるのである。
当然ながらこのような批判もまた、あらゆる点で破綻している。
まず、架空の物語において犯罪や人権侵害があることなど、少年向けであれ常識である。もともと少年漫画には戦いを扱ったものや、殺人事件を主な題材とする推理もの、大泥棒を主人公とする作品も少なくない。当然ながらこれらの中には「のぞき」など比較にならない重罪が頻出することになるのであり、故意犯ですらない「ラッキースケベ描写」を排除するのは明らかにバランスを失していると言わざるを得ない。
……と、このような指摘を受けたフェミニストが馬鹿の一つ覚えのように言うことが「殺人や泥棒は悪とされているが、性犯罪は悪とされていない」という異次元の論理である。
事実は全く逆であり、性犯罪が悪とされているからこそ、主人公にそれをさせないための技法がラッキースケベなのである。もしも性犯罪が悪とされていないのであれば、作者は主人公に堂々とヒロインを襲わせれば良いだけであって、ラッキースケベなどという回りくどいものを導入する意味がないわけである。
言い換えれば、ラッキースケベが存在する事そのものが、性犯罪を悪としているメッセージである。
そもそも、多くの「ラッキースケベ」場面はその後、相手の女性に殴られたり物を投げつけられるなどの「罰」を与えられるのが通常である。そのことを突き付けられたフェミニストは、決まって「現実の性犯罪に比べて罰則が軽い!」と主張するが、そもそも主人公側に何の故意もない以上、故意犯である現実の性犯罪より罰則が少ないのは当然である。むしろ軽かろうと罰が存在することの方が理不尽なのである。
また、創作物の作中で起こった犯罪が現実ほど重い罰を受けないというのも、ごく普通のことである。
しばしば「お風呂シーン」などが槍玉に挙げられる『ドラえもん』を例に取ると、ジャイアンは日常的に度を越した暴行を加えているのび太やスネ夫と親友のままであるし、神成さんも野球のボールがガラスを割って飛び込んでくるという、いつ大怪我をしてもおかしくない目に何度遭っても、叱ってガラス代を出させるくらいで許している。
ラッキースケベに罰則が足りない!と叫ぶ人々は、教科書にまで載っている『走れメロス』で、大量殺人者である邪智暴虐の王ディオニスが、メロスと和解しただけで民衆に万歳を叫ばれるラストをどう考えているのだろうか。
2020年8月、週刊少年ジャンプ連載中であった漫画『アクタージュ』の原作者が痴漢行為で逮捕されたのを受け、連載終了するという事件があった。これについてラッキースケベ・ヘイターたちは我が意を得たりとばかりに「ラッキースケベを乗せてるジャンプから性犯罪が出たぞ!」と盛り上がるという事態が発生した。
しかし、そもそも同作はお色気漫画でもなんでもなく、ラッキースケベ場面など存在しなかった。
他にジャンプ作品の関係者による性犯罪は、『るろうに剣心』作者の和月伸宏による児童ポルノ所持、『世紀末リーダー伝たけし!』の島袋光年による未成年買春事件などがあるが、いずれもお色気や「ラッキースケベ」とは程遠い作風である。
用例:
このページへのコメント
フェミニストは何一つ間違った事は言っていないな。何が可笑
しいのか?可笑しいのはお前らモテないブサキモ男共の欠損し
た脳味噌の方だろう。
この様に、お前らモテないブサキモ男共は女性の立場に立って
物事を考える事が出来んから、一生掛かっても女性にモテる事
等無いし、全世界の女性達にゴキブリの如く嫌われて一生童貞
のままなのだ。この醜い奇形チー牛顔共が。
また、フェミニストという概念自体、女性の立場が低い現状を
是正することを主張する、または是正のために実行動をとる人
々を示すものであり、この概念に同意するか否かで、女性の立
場の低さを是正すべきかそうでないか、という各人の立場をは
っきりと二元的に示す物である。
即ち、フェミニストの正論に難癖を付けている時点でお前らモ
テないブサキモ男共が女性差別主義者なのは自明の理だ。
ま、お前らの様なド底辺の社会のゴミ共如きに嫌われようが恨
まれようが当方もフェミニスト達も一切気にしないが、別に当
方の主張とフェミニストの主張が対立しているわけでもないの
に、自分が批判しているものを批判しないから嫌いだと言うの
は幼稚園児並みの屁理屈だと思うが?
ま、お前らモテないブサキモ男共にはこんな「粋」な発言は理
解出来んだろうな。
「強くなければ生きていけない。
優しくなれなければ生きている資格がない」
ついでにもう1つ、
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」
共にレイモンド・チャンドラーの著作に登場する探偵フィリッ
プ・マーロウの発言だ。
女性に対する気遣いなど微塵も見せず、ただ性欲の捌け口扱い
するだけのお前らモテないブサキモ男共が現実の女性から好感
をもたれる訳は無いし、また自分が反論者諸氏を散々に罵倒し
ながら、自分が同様の状況に晒されると「反論者の自演だ」
「捏造だ」と言い掛かりを付けて非難するような輩の発言に何
の正当性があるだろうか?
女性が嫌いなら地球から出て行け。モテないブサキモ男共。
以上、反論等有れば当方のブログのコメ欄まで来てみろ。
ttp://jipangbito.blog93.fc2.com/blog-entry-82.html
オタクとトランスの共通点
・自分達をマイノリティと思い込んでいるが中身は醜悪な差別主義者がほとんど
・お仲間の犯罪を咎める気が一切ない
・平気で嘘をつく
・内部から批判する人間を裏切り者と罵倒する
・外部から批判する人間を差別主義者と認定して被害者ヅラ
自分の行ってきた差別を自身がマイノリティであることを理由に免責を迫るだけでなく相手を差別主義者だと口汚く罵るのはオタクが昔からよくやる手口ですね。
「オタク差別」と「トランス差別」は根本的な部分が同じなんですよね。
ttps://twitter.com/Shota_824m0Xbot/status/1276392367667310592
ttps://twitter.com/Shota_824m0Xbot/status/1417071234999672834