当サイトは民主主義社会の根幹をなす最重要の「人権」であるところの表現の自由、およびその規制・弾圧・バッシングにまつわる用語集です。

 本来は、性的侵害を伴った暴力行為のこと。強姦が典型である。
 ただしフェミニストはこの性暴力という言葉の語義を野放図に拡張して使用する傾向にある。

 『岩波女性学事典』(2002)には次のようにある。
性暴力 狭義には性的暴力(sexual violation),すなわち直接的な性的侵害行為を意味し,広義には性(ジェンダー)に基づく強制力の行使を意味する.“性暴力”それ自体は性中立的なことばだが、性差別社会では圧倒的に女性に向けられる攻撃であるため,協議の意味における性暴力は女性に対する暴力の一部である.性暴力ということばは宮淑子『性暴力レイプ』(1984年)で使われたのが最初である.80年代末に女性運動のなかで狭義の意味で使用されるようになり,広まった.今日ではジェンダー構造に基づく“女性に対する暴力”という意味も含めて使用される場合が多い.マスメディアが性的侵害行為を“(婦女)暴行”“乱暴”“(性的)いたずら”などと言い換え,問題の本質をあいまいにしてきたことに対し,その暴力的人権侵害の本質を表現したフェミニズムの対抗言語の1つである.⇒強姦 (ゆのまえ知子)

 表現規制にまつわる議論においては、気に入らない表現に「性暴力」のレッテルを貼ることによって、クレームや規制要求を押し通そうとする、というのが現代のフェミニストの常套手段になっている。
 典型が「性表現」「エロ」に対する狭量さを批判されたフェミニストが「エロが悪いと言っているのではない!性暴力を批判している!」と言い返すというものであるが、そもそも(上記事典によると狭義の)「性暴力」は「暴力を含んだエロ」である上に、暴力を含まない性表現に対してもフェミニストはバッシングを日常的に行っている以上、自己申告はどうあれ「性」「エロ」そのものへの敵視が否定できない。
 すなわち実際には、フェミニストは「性暴力」が嫌いなのではなく、エロが嫌いなのである。

 しかし「性暴力」に極めて悪いイメージがあるため、フェミニストは不誠実にもこのレッテルに執着する。
 悪質なケースが男性を装ったフェミニスト女性とみられる人物による【ぼくたちは/男子たちは 狼なんかじゃない。】というネット署名運動である。この運動における「性暴力」の定義はこうである。
「週刊少年ジャンプ」及び「ジャンプ+」に掲載される作品の中で描かれる「エロ」と「性暴力」について、編集部サイドはその二つを切り分けて、「性暴力」表現をしているページには性暴力に関する注意書きをコマ毎に注記するようにしてください。
今回僕がいう「性暴力」とは、作品内でキャラクター同士で行われるセクハラ行為(後から被害者側のキャラクターが許したとしても注記をする)、メタ的に作品内のキャラクターと読者の視点の関係で成立するものについてです。(漫画のカメラワークの都合でパンツが読者側に見えてしまっているもの等)

 これは本来の性暴力はおろか、上記の「広義の性暴力」にすら当てはまらない。
 いかにフェミニストというものが「性暴力」の定義を勝手に、野放図に広げているかということである。他にも「萌え絵は性暴力と結びついている」というような暴論はネット上のフェミニストに

「性ではなく、性『暴力』がいけない!それは犯罪だ!」とフェミニストは叫ぶが、当然ながら犯罪や暴力がフィクションで描かれるのはごく普通のことである。
 そのような指摘を受けたフェミニストが常用する言い逃れが「殺人や強盗は社会的に悪であることが認知されているが、性暴力は社会的に許容される雰囲気がある」というものである。
 しかしこの主張は端的に嘘である。
 性暴力には、通常の暴力や犯罪以上に「卑劣で変態的で邪悪なこと」というイメージがある。
 
 だからこそフェミニスト自身、気に入らない表現へのクレームに「性暴力だ!」というレッテルを貼るのを好む
 もし本当に性暴力が「社会的に許されている」のであったら、フェミニストは嫌いなものへのレッテルとして性暴力を用いないはずである。フェミニストのこのようなレッテル貼り行動そのものが、性暴力がいかに社会的に悪いものとされているか、そしてフェミニストがそのことを知っていて嘘をついているか、ということの明らかな証拠なのである。
 

参考リンク・資料:
井上輝子ほか『岩波女性学事典』岩波書店
ぼくたちは/男子たちは 狼なんかじゃない。 少年ジャンプは「エロ」と「性暴力」の違いを区別してください。
【謎の署名運動の正体暴く!】シンカ論㉖:狼たちのホワイダニット

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