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hitoshinka 2021年08月20日(金) 21:18:16履歴
アメリカの作家ジョン・リンゴーの言葉。英語圏のオタク界隈で人口に膾炙し、ネットミームとなっている。
Get wokeとは、政治的な正しさに「覚醒」する、つまりはポリコレにハマるという意味。日本でフェミニズムなど左翼系の人々がよく言う言い方では「価値観をアップデートする」というやつである。Go brokeは「倒産する、一文無しになる」の意である。
つまり控えめに訳せば「ポリコレはコケる」。
よりシリアスには、クリエイティブな企業が「ポリコレ」的価値観に組織的に傾倒してしまうのは作品の(真の意味での)多様性を失うだけではなく、経済的な意味でも破滅をもたらすということを説いている。
ジャーナリストのPeter Pischkeは、この言葉を引用し「2020年はひどい年だったが、有益だったことがある。“Get woke,go broke”は単なるミームでないことが分かった」と述べている(What U.S. Nerd Entertainment Must Learn From Japanese Comics And ‘The Mandalorian’)。

これはポリコレをありがたがる「意識高い系」の人々は、エンターテインメント作品に「ポリコレでない」と言い掛かりをつけることはあっても、彼らの言うことを聞いて「修正された」作品の消費者になることは無いからである。
作品本来の魅力を捨ててポリコレに走った駄作は、本来のファン達にそっぽを向かれ、なおかつ意識高い系の人々にも買ってもらえない。意識高い系の人々はそれらの作品を愛しているのではなく、ただ他人にお説教をして気持ちよくなりたいだけだからだ。
ちなみにこのことを指摘された時に意識高い系がよく吐く嘘が【私もオタクなんだけど】である。
意識高い系の人々は「ポリコレによってより多くの人が楽しめるようになる」と主張するが、それも嘘である。
黒人は彼が黒人だから、白人ヒーローが活躍する作品を観ないのではない。女性は女性だから男性ヒーロー作品を観ないのではない。同性愛者やトランスジェンダーも同様である。
もしそんな狭量な黒人(や女性や同性愛者etc.)がいるとすれば、それは彼が黒人だからそうなのではなく、そいつ個人が偏った価値観に毒されているだけなのだ。
毒されていない一般の黒人・女性・性的少数者……たちは、ポリコレに阿らなくてもその作品のファンになれる。
一方、毒された「意識の高い」人々は、彼らの言うとおりに作品を合わせたからといってその作品に金を出すことはしない。
したがって、ポリコレに阿ることは創作にとって、端的にマイナスなのである。
誤解してはならないのは、黒人や女性その他のマイノリティを活躍させてはいけないと言っているのではないということだ。
ただ、そんな多様性はポリコレ如きの世話に一切なることなく達成されるというだけだ。
なぜならクリエイターというものは、自作品に他にはない特徴をもたらしたい、他作品と違う新しいものを作り出したいという欲求を本来持っているからなのだ。
多様性は、その努力の中からおのずと生まれる。
しかもポリコレと違って、ストーリーやキャラクターの魅力を活かした形でそうなるのである。
そうした多様性の方が、ポリコレなどより遥かに早く、圧倒的に豊かなのだ。
参考リンク・資料:
Weblio英和辞典【get woke,go broke】
What U.S. Nerd Entertainment Must Learn From Japanese Comics And ‘The Mandalorian’
海外「その通り!」日本の漫画に米国は学ぶべきという主張に米国人が大騒ぎ
Get wokeとは、政治的な正しさに「覚醒」する、つまりはポリコレにハマるという意味。日本でフェミニズムなど左翼系の人々がよく言う言い方では「価値観をアップデートする」というやつである。Go brokeは「倒産する、一文無しになる」の意である。
つまり控えめに訳せば「ポリコレはコケる」。
よりシリアスには、クリエイティブな企業が「ポリコレ」的価値観に組織的に傾倒してしまうのは作品の(真の意味での)多様性を失うだけではなく、経済的な意味でも破滅をもたらすということを説いている。
ジャーナリストのPeter Pischkeは、この言葉を引用し「2020年はひどい年だったが、有益だったことがある。“Get woke,go broke”は単なるミームでないことが分かった」と述べている(What U.S. Nerd Entertainment Must Learn From Japanese Comics And ‘The Mandalorian’)。

これはポリコレをありがたがる「意識高い系」の人々は、エンターテインメント作品に「ポリコレでない」と言い掛かりをつけることはあっても、彼らの言うことを聞いて「修正された」作品の消費者になることは無いからである。
作品本来の魅力を捨ててポリコレに走った駄作は、本来のファン達にそっぽを向かれ、なおかつ意識高い系の人々にも買ってもらえない。意識高い系の人々はそれらの作品を愛しているのではなく、ただ他人にお説教をして気持ちよくなりたいだけだからだ。
ちなみにこのことを指摘された時に意識高い系がよく吐く嘘が【私もオタクなんだけど】である。
意識高い系の人々は「ポリコレによってより多くの人が楽しめるようになる」と主張するが、それも嘘である。
黒人は彼が黒人だから、白人ヒーローが活躍する作品を観ないのではない。女性は女性だから男性ヒーロー作品を観ないのではない。同性愛者やトランスジェンダーも同様である。
もしそんな狭量な黒人(や女性や同性愛者etc.)がいるとすれば、それは彼が黒人だからそうなのではなく、そいつ個人が偏った価値観に毒されているだけなのだ。
毒されていない一般の黒人・女性・性的少数者……たちは、ポリコレに阿らなくてもその作品のファンになれる。
一方、毒された「意識の高い」人々は、彼らの言うとおりに作品を合わせたからといってその作品に金を出すことはしない。
したがって、ポリコレに阿ることは創作にとって、端的にマイナスなのである。
誤解してはならないのは、黒人や女性その他のマイノリティを活躍させてはいけないと言っているのではないということだ。
ただ、そんな多様性はポリコレ如きの世話に一切なることなく達成されるというだけだ。
なぜならクリエイターというものは、自作品に他にはない特徴をもたらしたい、他作品と違う新しいものを作り出したいという欲求を本来持っているからなのだ。
多様性は、その努力の中からおのずと生まれる。
しかもポリコレと違って、ストーリーやキャラクターの魅力を活かした形でそうなるのである。
そうした多様性の方が、ポリコレなどより遥かに早く、圧倒的に豊かなのだ。
参考リンク・資料:
Weblio英和辞典【get woke,go broke】
What U.S. Nerd Entertainment Must Learn From Japanese Comics And ‘The Mandalorian’
海外「その通り!」日本の漫画に米国は学ぶべきという主張に米国人が大騒ぎ
このページへのコメント
オタクとトランスの共通点
・自分達をマイノリティと思い込んでいるが中身は醜悪な差別主義者がほとんど
・お仲間の犯罪を咎める気が一切ない
・平気で嘘をつく
・内部から批判する人間を裏切り者と罵倒する
・外部から批判する人間を差別主義者と認定して被害者ヅラ
自分の行ってきた差別を自身がマイノリティであることを理由に免責を迫るだけでなく相手を差別主義者だと口汚く罵るのはオタクが昔からよくやる手口ですね。
「オタク差別」と「トランス差別」は根本的な部分が同じなんですよね。
ttps://twitter.com/Shota_824m0Xbot/status/1276392367667310592
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