『Ceonsoyclopedlia』は、Censor(検閲)にまつわるEncyclopedlia(百科事典)です。旧称『表現規制用語集』。民主主義社会の根幹をなす最重要の「人権」である表現の自由――その規制・弾圧・バッシングにまつわる事例や用語について、あらゆる知識を保存伝達するためのサイトです。

 佐山哲郎原作・高橋千鶴作画で、講談社『なかよし』に連載された少女漫画。いわゆる学園物。
 スタジオジブリによる劇場アニメ版が特に有名。

 愛知県立大学「文化人類学」教授であるはずの亀井伸孝が「注釈なしで放送してはいけない作品」とバッシングしようとし、逆に批判を浴びた。

 ここに見られる亀井氏の思想は、いわゆる欧米の「ポリコレ」「キャンセルカルチャー」の単なる引き写しに過ぎない。
 そして文化人類学というのは、ひとつの文化による偏見から他の文化を決めつけるべきではなというのが基本中の基本である。それをかなぐり捨てるなら文化人類学は学問ではなく、たちまち単なる物見遊山の「世界の奇習コレクション」に堕してしまう。いや、それならば学問的に失格というだけでまだ無害である。
 異文化(欧米のポリコレ観からみた日本)に服従するための「注釈をつけろ」と要求するに至っては、「学問的でない」を通り越して「文化汚染」をもたらそうとしてしまっている。

 また、本作が1960年代を描いていることは作品内容から理解できる事実であり、「男子学生同士で議論している」とか「理事長が女子生徒の肩を叩く」(こんなものはセクハラですらない)といった、およそ無害な描写をわざわざ擁護するために付け加える意味はない。

 あまりに愚行に「文化人類学は【社会学】のようにならないでほしい」と嘆く声もみられた。
 なぜここで社会学が引き合いに出されるのかというと、そもそもこの手の(特にアニメ系の)表現をジェンダーめいた文脈で叩く「学者」の言動がネットで直ちに問題視されるようになったのは、2019年の【宇崎ちゃん献血ポスター事件】にさかのぼる。同事件でポスターをバッシングした社会学者の【千田有紀】らの論のあまりのレベルの低さは、社会学そのものの妥当性への疑問視にまで至り、その相互批判の欠如が指摘されるようになった。
 それをきっかけに、何か「学者」が同傾向のことを言い出すと、社会学者ではないかとプロフィールを確認する者が多くなったのだと考えられる。

 残念ながらこのような検証は、社会学の名誉を回復させるには至らなかった。
 文化人類学のこの亀井氏や、美術系の【岩渕潤子】、呉座勇一氏の鍵垢での発言に対するあまりにも過剰なバッシングを扇動した北村紗衣(歴史学)など、むしろ「フェミフェミしい馬鹿発言をしている学者は、人文系にはいくらでも存在する」ということがバレてしまったのである。

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