Censoyclopedia:センサイクロペディア - 【海外出羽守】
 海外を引き合いに出して日本を侮蔑する発言を好む日本人のことを指すスラング。
「海外では〜」というその口癖を、律令制における出和国*1の国司を意味する「出羽守」に引っ掛けて揶揄した言葉である。単に出羽守とも略す。また持ち出す国名が欧米圏に偏っていることから「欧米出羽守」と呼ばれることもある。
 
 本格的に普及したのはネット上と思われるが、その発祥は意外に古く、すでに1977年4月10日の『朝日新聞』東京版のコラム「日本診断」にて紹介文がみられる。
 また『日本俗語大辞典』は「出羽守」のみの形で紹介しており「OLのことば」としている。
 ちなみに「海外」といっても世界の様々な国や文化を網羅したとは到底言えず、早い話が「欧米コンプレックス」と言われるものの露骨な表出に過ぎないことが多い。また言っていることが全くあてにならないのも特徴のひとつで、今や庶民でも世界中のことを知ることができるネット時代、その嘘がたちまちのうちに暴かれて大恥をかく出羽守も少なくない。


 表現規制やメディア有害論がらみで出没する代表的「出羽守」は、日本人の性的堕落や差別性を糾弾するものである。
 彼らは日本を「性犯罪」「性差別」「児童虐待」が蔓延する国のように言い張り、場合によっては漫画やアニメにその原因を求める。彼らが最も愛好する概念が【ジェンダーギャップ指数】である。

 本当にそうであれば反省すべきだし、海外から学ぶところがあれば大いに学び取っていくべきであろう。
 だがしかし、実際には日本の性犯罪は諸外国に比べ非常に少ない。常識的にも知られているし実際の統計をみてもそうである。「日本は安全な国」はやはり相当程度、真実なのである。
 この指摘を受けると、当然海外にもある【暗数】を日本の犯罪数にだけ付け加えようとしたり、「日本の性犯罪が少ないのは海外ではもっと広く厳しく取り締まっているから!」と嘘を吐きはじめる例も多い。実際は別にそんなこともなく、例えばイギリスやドイツでスカート内盗撮が違法化されたのは2019年である。
 そもそも日本のフェミニストがそうしているように、欧米のフェミニストも当然、自分の国の「男社会」に対する呪詛を365日吐き散らしているのであり、それを世界中から読むことができる現在では「欧米は男女平等」なんて全く説得力がないのである。

 爆笑ものなのは、石川優実というフェミニストが書いた、漫画雑誌の水着グラビアについてのツイートである。

 フェミニズムの世界観によれば、女性にとって水着グラビアなどを目にすることは本来、不快なものであるはずなのだ。「過去に受けたセクハラや性被害を思い出させるものだ」と取ってつけて論を補強しようとするフェミニストも多い。そしてこの石川優実という人物は、自称「芸能人時代にセクハラや性的強要を受けた被害者」なのだ。ただ証拠は一切なく、本人が勝手に言っているだけのようだが。
 しかし、性被害者ならば是非ともグラビアを見たら傷ついておかなければ、フェミニズム的世界観に反するのである。ところが彼女はその立場を忘れてしまったのだ。
「水着グラビアを見たら傷つくはずの元性被害者」設定と「進んだ外国人様に教えていただく愚かな日本人」設定が衝突してしまっているのである。
 そのため彼女は「元性被害者の女性はグラビアを見ると傷つく」という設定の反例に、自らがなってしまったというわけだ。

 また下記のように多彩な国を持ち出して出羽守業務を遂行している人もいる。

 ちなみにこの人物が「子どもを性的対象に見る恥ずかしい日本」を叱るエラい国と設定しているタイだが、実はむしろ児童売春が酷い国として有名である。Trafficking in Minors for Commercial Sexual Exploitation Thailandによると、タイ王国保健制度研究所は同国の売春婦の40%を18歳以下が占めると推定している。おそらく適当に出した国なのだろうが、タイ人にこの台詞を言わせるのは流石にミスキャストだったろう。

 また出羽守たちによれば、日本のフィクションは現実の?性犯罪大国・日本に悪影響を与えているだけでなく、それ自体が差別的で「世界のポリコレ」に追いつけておらず多様性がない。

 フェミニストやポリコレ信者が「日本の作品にはこんな○○を描いたものがない!」と訳知り顔で宣告することは珍しくない。もちろんその妄想は、ネット上では100%間違いなく反例を示される運命にある。
 ポリコレであろうがなかろうが、日本のフィクションは圧倒的な多様性を誇っている。彼らに思いつく程度の発想など日本のクリエイターは残らずやってしまっているのだ。
 フェミニストやポリコレ信者が崇拝するディズニー映画が「黒人のお姫様」を初めて登場させたのは、2009年の『プリンセスと魔法のキス』である。日本の『ふしぎの海のナディア』に20年遅れている。王子にいたっては1945年に始まった『少年王者』で、黒人の王子の貴種流離譚さえ登場しているのだ。
 (女装者や水商売と混同されていない)同性愛者の描写も(特に少女漫画界で)豊富である。1978年に始まった『パタリロ!』は、児童でも問題なくみられるゴールデンタイムに普通に放送されていたのだ。『日出処の天子』は、少女漫画誌LaLaで1980年から連載されていた歴史漫画だが、聖徳太子その人が蘇我蝦夷(作中では毛人)を愛する同性愛者であるという大胆な設定で描かれている。
 なぜポリコレにせっつかれていない日本作品が、これほどの多様性を誇っているのか。
 もちろん「新しいもの・他と違うもの」を作り出すことこそが創作だからである。
 従来の思い込みや偏見にとらわれないものを求めるクリエイターやファンの熱意が、ポリコレなんぞとは比較にならない勢いで真に「多様性」を生み出し続けているのだ。


参考リンク・資料:
スカート内盗撮おとがめ無しのドイツ やっと違法化の動き
「スカート内盗撮」 読者の体験談
Trafficking in Minors for Commercial Sexual Exploitation Thailand