1989年1月13日に大阪府堺市で発足した「童話・絵本研究会」の母体。同研究会で童話や絵本の差別性について「一斉点検」を行い、同年6月「118点の童話・絵本に問題があった」と発表した。
フェミニストが【公共の場】における表現の【TPO】を問題にしているだけという自称の古き悪しき反例である。
この直前、同市の教育委員会に勤務する有田利二ら一家族のみで結成した「黒人差別をなくす会」が絵本『ちびくろサンボ』を絶版に追い込んでおり、この“大戦果”に勢いづいての動きであるという。
さてその内容に曰く、、
・『白雪姫』は色白の女性を賛美しており、美の基準の押し付けであり、黒人差別につながる。
・『みにくいアヒルの子』は、美こそ善という誤った観念で、短絡的な見方。
・『浦島太郎』は、母親を捨てて竜宮城で遊び呆けていた主人公が老人になる話で家父長意識の表れ。
・『こぶとり爺さん』は、良い爺さんのコブが取れ、悪い爺さんにくっつく話で障害者差別に繋がる。
・『ごんぎつね』「弥助の家内が、おはぐろをつけていました」などの「家内」「おはぐろ」は女性蔑視表現。
・『王子とこじき』階級・貧富の差、障害者にかんする差別表現が出て来る。
といった調子である。
なお『みにくいアヒルの子』にはそもそも
「醜さ=悪、美しさ=善」ではないという主張を、お母さんアヒルをはじめ野ガモやガンなど複数のキャラクターが明言しているなど、決して善悪と美醜を安易に一致させた内容ではない。
また
『こぶとり爺さん』に登場する2人のお爺さんの差は善悪ではなく踊りのうまさ(バージョンによっては性格にも触れられているが「のんびりした」などであって善悪とは直結していない)が明暗を分けただけである。そもそも善悪に関係なく最初から1つずつ「平等に」コブがあったではないか。
『ごんぎつね』で村人の「家内」たちが「おはぐろ」を付けている場面に至っては、ごくまっとうな当時の情景描写であり、蔑視する記述でもなんでもない。あからさまな過敏である。
『浦島太郎』に至っては、彼が竜宮城にいた間、地上で数百年が経過していたと知るのは帰ってからの話であると日本人なら誰でも知っていることである。当然、母を見捨てたわけではない。まして
家父長制に反したゆえの因果応報譚であるなどとは濡れ衣もいいところである。
このように童話・絵本研究会の「一斉点検」なるものに見られるリテラシーの低さは相当なものであった。
幸いなことに当時この動きが新聞などで報道された際には批判も浴び、直接的に絵本や童話が絶版処分に追い込まれたりすることはなかったが、いわゆる反差別運動の愚行のひとつとして記憶しておくべき事案であろう。
参考資料:
高木正幸『差別用語の基礎知識'99』土曜美術社出版販売
江上茂『差別用語を見直す―マスコミ界・差別用語最前線』共栄書房