
今回は相(アスペクト)(ZAhO類)と事実性(CAhA類)についてやります。これらもすべてタグなので、sumtcita, selbritcita 両方の使い方ができるよ。ここではselbritcitaの用法をやります。

ふむふむ、文法的にはこの前の制と似てるんだね。問題は意味か…。

まず、相とはなにか、なんだけど…。簡単にいえば、「物事の進み具合」のことです。

進み具合?

「走る」という物事を考えてみると、「走る直前」「走り始め」「走る最中」「走り終わり」「走り終わった後」のように「走る」は進行していくよね。物事の進み具合を具体的に述べるのが「相」です。

なるほど。それを表すタグがあるってことなんだね。

うん。日本語では、制と相が語として分離されていないことが多いから、戸惑うかもしれないね。
@基本的な相
pu'o | 将前 : 物事が起こるすぐ以前の段階にあるのを表す。「〜しようとしている」 |
co'a | 開始 : 物事が開始の段階にあるのを表す。「〜しはじめる」 |
ca'o | 進行 : 物事が進行の段階にあるのを表す。「〜している」 |
co'u | 停止 : 物事が停止の段階にあるのを表す。(完了とは限らない。中断の場合もある。)「〜するのを終える/止める」 |
ba'o | 完了 : 物事が完了の段階にあるのを表す。「すでに〜し終えている」 |

相の語は、時制の[範囲性質]の次に置くよ。
{時間: 【[方向-距離]...[方向-距離]】[範囲][方向][範囲性質]
[相]} - {空間} - {mo'i句}

日本語で「私はちょっと前に走った」と言いたいときは、「私が走るという出来事はちょっと前に終わった」くらいの意味ととれば{mi puzi co'u bajra}で書けるんだね。

いえす。{mi puzi ze'i ba ru'i ca'o bajra}で「ちょっと前からその少し後まで、断続的に、私は走っていた」だね。ま、相に関しても「言わなければ、文脈で」なので、必須というわけでもないよ。

他にもこういう相があります。
de'a | 休止 : 物事が休止/中断の段階にあるのを表す。「〜するのを中断する」 |
di'a | 再開 : 物事が再開の段階にあるのを表す。 「〜するのを再開する」「また〜しはじめる」 |
co'i | 到達 : 物事が瞬間的なものであるのを表す。点事象。 |

{de'a}{di'a}は分かりやすいけど、{co'i}が分かんないなあ…。

んー…。出来事ってのは基本的に
いくらか間延びしたもの、
時間幅のあるものだよね。だからこそ、{mi puzi bajra}は「今もなお走っている」可能性が否定できなかったわけだし。

うんうん。あ、それを「点」としてやるということは、それが間延びした出来事じゃないってことを表すのか!

そう。恐らくだけど、日本語の過去形は{pu co'i}かなと思う。「ある過去の一点を指定して、その点でその出来事が始まって、そして終わる」ということを言ってるんじゃない?

あー、だから日本語は「今は起こってない」という感じになるのかなあ?

かもしれないね。

さらにさらに、ロジバンの相には上の他に「自然な時点」に関するニュアンスの入ったものがあります。
@「自然な」相
mo'u | 終了 : 物事が自然な終了時点にあるのを表す。「〜し終える(状況にある)」 |
xa'o | 早発 : 物事が自然な開始時点よりも早く起こっているのを表す。「既に/もう〜している」 |
za'o | 延続 : 物事が自然な終了時点を越えて継続しているのを表す。「まだ〜している」 |

自然な時点?

たとえば、{la .soran. cu cikna}「そらは起きている」という出来事が起こるのって大体いつごろ?

まあ、朝の7時くらいかな。休みの日はもっと遅いけど。

じゃあ、朝の5時に目が覚めて、お母さんにおはようって言いにいったらどうなる?

「そら、どうしてもう起きてるの?早すぎない?」って文句言われる…。あ、そういうことか。

そう。そらが朝5時に起きたとき、{la .soran. cu xa'o cikna}と言えるんだよ。

じゃあ、「あんたまだ起きてるの?!」ってニュアンスは{la .soran. cu za'o cikna}で出るんだね。

そういうこと。{mo'u}はその自然な時点に物事がある、つまり、「完了する」ってことだね。たとえば、「今から一時間走ろう」と思って走って、一時間経ったときが{mo'u}です。

なるほどね。

さて、最後にCAhA類についてやろう。これらは、物事の事実性や可能性を明示する語だよ。
@CAhA類
ca'a | 事実性 : 実際にその出来事が起こっていることを表す |
ka'e | 内在的可能性 : 実現性は問わず、その出来事が内在的に可能であることを表す |
pu'i | 少なくとも一度は実現した、その出来事の可能性を表す |
nu'o | まだ実現していない、その出来事の可能性を表す |

{ka'e}は{pu'i}と{nu'o}を包括するよ。{ka'e}かつ{pu'i}でないものが{nu'o}(逆もまた然り)だね。CAhA類は間制の後ろに置くよ。
{na} -{時間} - {空間} - {mo'i句} -
{CAhA類}

「私は東京に行くことができる」は{mi ka'e klama la .tokion.}かな?

んー…。間違いではないけど、恐らく言いたいこととは違ってるかな? {ka'e}の表す可能性は「時期的なもの」ではありません。「忙しいから部屋の掃除ができない」みたいなときは{ka'e}を使わずに{kakne}を使うよ。
kakne | x1 は x2 (事)が x3 (条件)においてできる |

ああ、{mi na ka'e sipna}「眠れない」っていうのは生まれてから寝れた試しがない人なら言っていいんだね。そんな人いないだろうけど。
*1

そういうこと。一般的な意味での「眠れない」は{mi na kakne lonu sipna}かな。
*2

なるほどね。でも、CAhA類もやっぱり省略すれば、文脈に任せられるんだよね?

うん。CAhA類のない命題は、原理的には「可能性」と「事実性」の両方を表し得るよ。どちらを表すかは文脈か慣習かで決まるかな?

というわけで、相と事実性でした!これでselbritcitaの話のほとんどは終わったと思います。

わーい。
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