
- Yokosuka Naval Air Technical Arsenal (海軍航空技術廠) P1Y "Frances"
- Japanese Imperial Navy air-bureau named "The Yokosuka P1Y Ginga (銀河, "Galaxy").
エフトイズ・双発機コレクション 3 区分:3-A ☆ 海軍航空技術廠 P1Y1 銀河11型 横須賀航空隊 第233号機:「ヨ−233」区分:3-S ★ 銀河11型 第763航空隊 第83号機:「763−84」


- この案内は、Google など検索エンジンにより初訪問される方が毎月100人を超えるページ、つまり当方ロボテック・クロニクル以外には資料がない〔代替性がない〕記事の冒頭に表示します。
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ロボテックという特定のシリーズの技術項目を扱うウェブ・サイトであるにも関わらず、
- 多数派こそが真実ではない マイナリティ(少数派)は、常に正義ではとは限らない
- 英語圏ではロボテックが商業的に多数派。マクロス原典主義者は少数派、しかし、ロボテックが正しいのではない。
- 日本国と東アジアの一部の某国では「超時空要塞マクロス」と「その他大勢のマクロスシリーズ」が多数派、しかしそれが正しいのではない。
- どちらが優れているか、劣っているを論じる意味はない。シリーズそのものに貴卑はないから。
- 作品はそれ自体の価値によっての論じられるべき、フランチャイズや、著作権、商標権を保有する企業が偉いのではない。
- 航空工学に於ける発動機冷却設計に関する流体力学基礎知識
- 武装
- 防弾装甲と消火設備
- 長距離飛行支援装備と居住性
- 懸吊架(ハードポイント)
- 作動部の駆動系統
- 降着装置
- 本来プロペラ直径を交わす必要が無くなったのだから前輪・前脚と主脚の組み合わせに変更すべきところであるが、戦時中であり構造補強の暇もなく、そのまま尾輪式となっている。重心が一般的な双発機より前方にある癖に由来する、機首の「偵察員殺し」の悪癖もそのままということになる。GIF 形式。107.65 KB, クリックで 1,505 pixel X 500 pixel 復帰

天河(てんが)は、大日本帝国海軍が計画したジェット戦闘爆撃機。
海軍航空技術廠(空技廠)によって陸上爆撃機銀河の後継機として開発が進められていた機体で、1943年(昭和18年)には開発が開始されており、1944年(昭和19年)に試作機種整理が行われた際も計画は続行されたが、計画段階のまま終戦を迎えている。
搭載される予定だったエンジンは空技廠が開発していた軸流式ターボジェットエンジン「ネ30」(地上静止推力:850 kg)で、銀河にネ30を搭載した実験機によって試験を行ったのちに、天河の試作機が製作される予定だった。なお、ネ30の一号機は1944年10月に完成していたが、終戦までに充分な試験が行われることはなかった。
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晴天白日旗国籍標識:1945年 
Image credits: Bill Ward via Warren E Thompson; Gary Wenko(手前の機体は「零式艦上戦闘機の五二型(無印)、又はそれ以降」。数字以降の甲・乙・丙の詳細な派生型は不明。)
- 機首の偵察員席の航法右側の「計器箱」を撮影。
- 紫外線灯 【 Ultraviolet lamp (black light) 】
- 座席灯
- 信号灯
- 羅針儀灯 【 Navigater compass light】
- その下に位置するのは、信号灯 【 Signal lamp 】や、六分儀【 Sextant 】の格納箱。
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- 陸軍機であり、かつ中島飛行機に較べて生産力に劣る中堅民間企業製(三菱重工業)であったが、設計思想的な後継機で、戦争が長引けば海軍での使用もあり得た。
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- 《 2010年12月17日 (土曜日) の読売新聞オンラインより。》
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20101216-277011-1-L .jpg (画像リンク切れ)
詳細な図面が見つかった夜間戦闘機「月光」(富士重工業50年史より)
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20101216-277019-1-L .jpg (画像リンク切れ)
米国で保存中の爆撃機「銀河」(スミソニアン博物館で2004年撮影)
第2次大戦中、現在の大泉町にあった中島飛行機小泉製作所で製造されていた旧海軍の夜間戦闘機「月光」と 爆撃機「銀河」の1万枚近い設計図が見つかり、東京・上野の国立科学博物館で開催中の「空と宇宙展」で展示 されている。
当時の軍事機密資料だけに、これほどの量の発見は奇跡的とされ、今後の研究で、東毛地域の 製造業発展の礎となった戦中の工業技術が分かると期待されている。
青焼きと呼ばれる感光紙の設計図は、広げると破損する恐れがあるため、紙に包まれ、荒縄で縛られた、 見つかったままの状態で6束が展示されている。
包み紙にある「月光」を示す「J1N1」の機種記号と、 「図面目録 中島飛行機株式会社 小泉製作所」の印に足をとめる来館客は多い。
見つかった設計図は、製作現場で使われる部品図などで、翼や胴体などをつなぐネジやパイプなど細かい部品 の寸法や形が記されている。
部品の数と共に、図面に記された製造上で許される寸法の誤差を同時代の海外の機体と比べることで、大量生産への対応、工作精度、設計思想を知ることが出来るという。
◇「月光」と「銀河」 「月光」は胴体へ斜めに機銃を背負い、夜間、米爆撃機B29を迎撃した。
「銀河」は爆撃の ほかに、敵軍艦への魚雷攻撃も出来る優秀な機体といわれた。
小泉製作所は、海軍用の機体工場として1940年4月に完成。
敗戦までに両機や零戦など約8900機の海軍機を生産。
跡地の一部は三洋電機東京製作所となった。
- 2011/7/6_By Yui-Nyaa "Lisa Hayes" (東京都)
- レビュー対象商品: 海軍陸上爆撃機「銀河」 (世界の傑作機スペシャル・エディション (Vol.1) (単行本)
昭和14年(1939年)頃、日中戦争における九六式陸上攻撃機 世界の傑作機 (No.91)の戦訓から、今まで以上の高速と航続力、双発爆撃機・大型爆弾を用いての急降下爆撃能力などが求められ、、Y20をベースにドイツから輸入した
本書は以上のような誕生経緯を背景にしながら、空冷二重星型18気筒エンジン、中島悲劇の発動機
本書の初版刊行は西暦2000年と今から12年も前のことですが、技術面・空戦面ともバランス良く書かれています。
しかし敢えてここで☆2個を減点させて頂くならば、航空力学的構造や、艤装に関する記載が、当時の図面を基本にした清書(クリーンアップ)が大半な為、幾分図解に欠ける嫌いがあります。
20世紀末の出版界ではコンピューター・グラフィックスによる
実機の考証という点では、これらの再現CG画は、特に情報量の少ない試作機などでは正確性に欠けるという欠点がありますが、実機がスミソニアンは何を展示してきたか(スミソニアン国立航空宇宙博物館)に分解保存され、これを基本に十分な再現のフレームワークを組むことが現在では可能になりました。
また、西暦2010年には、現在の大泉町にあった中島飛行機小泉製作所で製造されていた旧海軍の「
出版元様におかれましては、新発見資料を基に、今日の最新の技術と考証で本書を過去のものとする、【改訂新版・世界の傑作機スペシャル・エディション :海軍陸上爆撃機「銀河」 の企画を是非とも期待したく思います。
晴天白日旗国籍標識:1945年 
Image credits: Bill Ward via Warren E Thompson; Gary Wenko(手前の機体は「零式艦上戦闘機の五二型(無印)、又はそれ以降」。数字以降の甲・乙・丙の詳細な派生型は不明。)
連合軍は当初本機を戦闘機(男性形)と誤認して「フランシス」【Francis】という男性名を付けたが、爆撃機(女性形)と判明した後に 女性名である「フランセーズ」【英:Frances / 仏:française】 に変更したという。
- 太平洋戦争中、連合軍は日本軍機を識別し易いように独自のコードネームを付けていました。 基本的には、英語人名の幼名形【childhood name】で、戦闘機は「少年名」、爆撃・攻撃機は「少女名」を付けていたようです。
- 日本機のコードネームは、日本軍の名称の付与様式が米軍にとって曖昧(あいまい)だった事と、西洋人にとって認識し難い名称を置換することで、識別を簡易化する為に導入されたと云われています。
- これらは全て、基本的に米軍用のコードネームですが、任意にこれに追従する連合国側国家、特に英語圏で使用されました。
- 日本機に用いられたような形式
・汎用戦闘機(甲戦)は 猛禽類(一式戦闘機 隼・三式戦闘機 飛燕)
・同重戦は「風」(N1K1 強風・四式戦闘機 疾風・A7M 烈風・J6K1 陣風)、
・迎撃機/局地戦闘機は「雷」(J2M1〜7 雷電・J5N 天雷・N1K1 紫電・N1K2 紫電改・震電)、
・夜間戦闘機が「光」【J1N1 月光・P1Y2 極光・S1A1 電光】
・陸上爆撃機・艦上攻撃機が「山」(G5N 深山・G8N 連山・B6N 天山
・(急降下)爆撃機が「星」(B7A 流星・D3Y1-K 明星)
のようなものはありません。 - 戦中の公式文書上でもコードネームが正規の名称として扱われ、制式名称はコードネームに付帯する情報として扱われています。
たとえ制式名称が判明してもその名称では呼びません。
紫電に比べて大幅にモデルチェンジした紫電改が同じ「ジョージ」なのはこの機体がNIK1-Jの改良型【N1K2-J】であることが捕獲文書上で早くから判明していた為です。
基本設計は「ジョージ」である以上、名称の変更は行われません、唯一の例外が零戦三二型【A6M3】で、公式の付与名は「ジーク」【Zeke】でしたが、本型はその翼端の形状から零戦とは異なる機種と認識されたため、新たに「ハンプ」【Hamp】というコードネームが与えられました。
空冷・複列星型14気筒エンジンの火星二五型【1,850HP】装備 
極光(白光)/ オーロラン 【Auroran】 
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- Naval Dive-Bomber ゛Ginga (Galaxy)" /allies code-name Frances/Fránçaix: 海軍《双発》急降下爆撃機)の英文表記に注意!
- 高射砲、機関砲、魚雷1、台車1、《青島の再版では省かれた→
人形10体、牽引用トラクター》が附属。
- 初版から現在までの附属品の有無は今井科学:1/144 ミニ★スケールシリーズに詳しく書いてある。
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- 2機入り。 クリックで 990 pixel X 745 pixel 復帰


- このシリーズは先ず手始めに昭和47年12月《西暦換算 1972年》に、今は亡き『今井科学』による開発で、双発小型・戦闘機&襲撃機/夜間戦闘機/偵察機/軽爆撃機が第一弾として発売された。
- 銀河は、昭和49年2月《西暦換算 1974年》に、双発大型機・爆撃機/陸上攻撃機の第二弾の5機種の目玉として発売された!

ギャラクシィ(銀河)銀河(ぎんが)は旧帝国海軍(以下、海軍)が開発・実用化した双発爆撃機。 
一部の英語文献では本機をミルキーウェイ【Milky Way】、つまり「天の川」と誤って翻訳紹介する例があるが、その語彙(ごい)からみた正しい英訳は「銀河」(ぎんが)【galaxy、太陽系を含む銀河系を指す時には頭文字を大文字にして表記される The Galaxy】。
海軍の航空機関連技術開発を統括する海軍航空技術廠(以下、空技廠)が大型急降下爆撃機として開発した機体だが、三菱航空機・一式陸上攻撃機(以下、一式陸攻)の後継機として太平洋戦争後半の戦いに投入された。
連合国軍によるコードネームは「フランセーズ」【英:Frances / 仏:française】。
連合軍は当初本機を戦闘機と誤認して「フランシス」【Francis】という男性名を付けたが、爆撃機と判明した後に 女性名である「フランセーズ」【英:Frances / 仏:française】 に変更したという。

その頃、「海軍航空技術廠」(空技廠)では【速度記録機 Y10】、【航続距離記録機 Y20】、【高度記録機 Y30】の研究を行っていたが(その後の国際情勢の悪化に伴い、Y10とY30は計画中止)、海軍からの要求に応えるかたちで、Y20 を基本型としてドイツから輸入した「Ju 88 A に使用されている技術を導入する(実際にはほとんど参考にならなかった)ことで高性能爆撃機を開発することとなり、十三試艦上爆撃機(後の空技廠 D4Y 彗星)試作一号機が初飛行して間もない昭和15年末に「十五試陸上爆撃機」として開発が命じられた。
開発主務者は空技廠 D4Y 彗星)の設計主務者を務めた山名正夫技師(実際には総括主務の三木忠直技師が指揮していた)。
十五試陸爆に対する海軍の要求性能は、概ね下記の様なものだったとされる。
- 一式陸上攻撃機と同等の航続力を持つこと (約5,556km)。
- 零式艦上戦闘機と同等の速力を発揮可能なこと(約511.2km/h)。
- 雷撃並びに1トン爆弾での急降下爆撃が可能なこと(急降下制限速度648.2km/h)。
- 離陸滑走距離600m以内。
なお、日本海軍の定義では諸外国での一般定義である「急降下爆撃機」が「爆撃機」、雷撃機が「攻撃機」に分類される。
本機は爆撃機として開発が始まり、途中で雷撃装備が可能であることが追加要求され、雷爆可能となった機体であるが、爆撃機に分類され、名称も爆撃機の命名基準に従ったものになっている。
なお同様に急降下爆撃と雷撃を兼用する艦上機である、愛知航空機の艦上攻撃機「流星」はB7A「艦上攻撃機」に分類されているが、名称は艦上爆撃機の命名基準に従ったものになっている。
機体の小型・軽量化、空力学的洗練に努めつつ、空技廠 D4Y 彗星で採用された技術を踏襲(とうしゅう)している。
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また風防の高さを低く抑えたため、彗星と同じ背負式落下傘を採用している。
一一型の初期型は流線形の紡錘型の前部風防を採用していたが、曲面では照準に狂いが生じることから、後期型では、空気抵抗の低下を覚悟して上で、平面部を採り入れた。
同様の選択は尾輪にも現れており、後期型では生産の促進を狙って、同様に空気低下の増加を忍んで固定式となった。
爆弾倉は全長 5m を超える航空機搭載用としては大型の九一式航空魚雷であっても、ほぼ収納可能で、魚雷または 800kg 爆弾 は1発、「500kg または 250kg 爆弾は2発」搭載することが出来た。
各爆弾は、爆弾誘導桿(かん)を介して取り付けられる。
当時の海軍戦闘機並みの速力と高速急降下からの引き起こしに耐える剛性を実現するため、主翼面積を「一式陸攻より 約30% 小さい」 55m<sup>2</sup>に抑えている。
その結果、試作機が要求性能を超える最高速度と急降下制限速度を記録する一方、翼面荷重が正規時でも一式陸攻の過荷重時を超える 191kg/m<sup>2</sup> (一一型。過荷重時は245kg/m<sup>2</sup> )になっている。
翼型は彗星と同じく、内翼側が層流翼に近いもので、外翼側にいくにつれて翼端失速しにくい通常の翼型に変化する「半層流翼」を採用しており、配置も彗星と同じ中翼である。

要求性能の離陸滑走距離(600m以内)を実現するため、フラップは型式こそ彗星と同じセミファウラー式だが、胴体とエンジンナセルの間の部分にスプリット式の「子フラップ」を持つ親子式フラップを採用している。


急降下抵抗板は彗星と同じ補助フラップ兼用とすることで空気抵抗の低減に努めている。
補助翼も彗星と同じ補助フラップとして使用可能になっているが、やはり主翼幅の 55%を 占めるフラップのため補助翼の長さを十分にとることが出来ず、夜間戦闘機として採用された際は効きの不足が指摘されている。

主翼の主桁と前後の補助桁の間には片翼に7個の燃料タンクが設けられており、5個は通常の型式だが、外翼前縁側の2個のみ、半(セミ)・インテグラル式になっている。
その結果、試作機が要求性能を超える最高速度と急降下制限速度を記録する一方、翼面荷重が正規時でも一式陸攻の過荷重時を超える 191kg/m<sup>2</sup> (一一型。過荷重時は245kg/m<sup>2</sup> )になっている。
翼型は彗星と同じく、内翼側が層流翼に近いもので、外翼側にいくにつれて翼端失速しにくい通常の翼型に変化する「半層流翼」を採用しており、配置も彗星と同じ中翼である。
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要求性能の離陸滑走距離(600m以内)を実現するため、フラップは型式こそ彗星と同じセミファウラー式だが、胴体とエンジンナセルの間の部分にスプリット式の「子フラップ」を持つ親子式フラップを採用している。
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急降下抵抗板は彗星と同じ補助フラップ兼用とすることで空気抵抗の低減に努めている。
補助翼も彗星と同じ補助フラップとして使用可能になっているが、やはり主翼幅の 55%を 占めるフラップのため補助翼の長さを十分にとることが出来ず、夜間戦闘機として採用された際は効きの不足が指摘されている。

主翼の主桁と前後の補助桁の間には片翼に7個の燃料タンクが設けられており、5個は通常の型式だが、外翼前縁側の2個のみ、半(セミ)・インテグラル式になっている。
- 裏面の補機類や潤滑系統、始動方法等 詳細は 中島飛行機 物語 中島の発動機について・・・東京工場(荻窪)の活躍 を参照ください!

制限状況 | 制限時間 | 回転数 | 過給圧力 | 馬力(HP) |
---|---|---|---|---|
瞬間許容上限 | 瞬間 | 3,200 rpm | +500 mmHg | 2,000 HP |
離昇 及び 緊急 | 1分間 | 2,900 rpm | +350 mmHg | 2,000 HP |
高出力連続運転 (ミリタリーパワー) | 30分 | 2,900 rpm | +250 mmHg | 1,860 HP |
通常終日運転 (公称出力) | 連続 | 2,600 rpm | +100 mmHg | 1,620 HP |
- 条件は、クランクシャフト式過給器(スーパーチャージャー)「一速」、「二速」ともに共通、出力(馬力)はより高出力を維持可能な「一速」(低空)時のもの。

試作段階だった小型高出力発動機の航空機用・空冷複列星型18気筒エンジンのNK9 「誉」(離昇出力:1,800HP/2,900回転・毎分 / +400mmHg・過給圧)を日本軍機の中で最も初期に採用している。
このため、十五試・陸上爆撃機の試作機の試験飛行が開始された時点では「誉」の完成度も低く、空技廠での性能試験中に 20回 を超える故障が起きている。
試作機では誉一一型を搭載していたが、量産型では高高度性能を改善した誉一二型に変更している。
小型の誉に合わせ、発動機直径の1.1倍という小直径で抵抗の少ないエンジンナセルが設計されている。排気管は試作機では集合式だったが、量産機では推力式単排気管に変更されている。
夜間戦闘機型の試製極光では、生産数が不足気味の誉一二型からやや大型ではあるが生産数にやや余裕のある航空機用・空冷複列星型14気筒エンジンの火星二五型」(離昇出力:1,850HP / 2,600回転・毎分/ +300mmHg・過給圧)に発動機を変更し、エンジンナセルも新たに設計されている。
このため、十五試・陸上爆撃機の試作機の試験飛行が開始された時点では「誉」の完成度も低く、空技廠での性能試験中に 20回 を超える故障が起きている。
試作機では誉一一型を搭載していたが、量産型では高高度性能を改善した誉一二型に変更している。
小型の誉に合わせ、発動機直径の1.1倍という小直径で抵抗の少ないエンジンナセルが設計されている。排気管は試作機では集合式だったが、量産機では推力式単排気管に変更されている。
夜間戦闘機型の試製極光では、生産数が不足気味の誉一二型からやや大型ではあるが生産数にやや余裕のある航空機用・空冷複列星型14気筒エンジンの火星二五型」(離昇出力:1,850HP / 2,600回転・毎分/ +300mmHg・過給圧)に発動機を変更し、エンジンナセルも新たに設計されている。
エンジンナセル | 主機関(エンジン)と補機類、及び発動機架を含めた部分の覆い。 普通、流線型に整形された外板で作られ、発動機周囲の空気抵抗を少なくしている。 装着しないと冷却用の空気がフィンの間を正常に流れず、熱交換が不十分となる。 |
バッフルプレート 【buffle plate】 | 「導風板」あるいは「流速制御板」の一種。カウリング内部に厳密な流体力学的計算により設置することで、カウリングの前面から流れる大気速度を圧力に転換し、高圧になった大気に発動機の熱を十分に吸収させ(熱交換の促進)、これを発動機の直径ぎりぎりの狭い隙間から噴出させることにより、前進速度による押し込み空気圧、低速時には後述のカウルフラップを開放することにより生じる負圧により、より効率的な熱交換を行う。 この手法を用いた空冷発動機に於ける冷却方式は「プレッシャー・クーリング・システム」【pressure coolong systems】と呼ばれ、排気効果による推力により空気抵抗を相殺し、上手に設計を行えば、エンジン排気との熱交換によって、暖められた空気を噴射することで若干の推力を発生することも可能。 ノースアメリカン社が開発した 「P-51 マスタング/ムスタング【Mustang】においては、この原理を、ロールス・ロイス plc・航空機用・液冷V型12気筒のマーリン【Rolls-Royce Merlin】発動機のラジエーターの冷却配置に応用し、一説によれば下記の推力を得ているといわれる。 |
出力と熱勘定(エネルギー比率)はマーリン発動機のものを元に,推進効率はプロペラ以外は勘です。
「推進力=エネルギー×推進効率」です。
「推進力=エネルギー×推進効率」です。
推進方法 | エネルギー比率 | 推進効率 | 推進力 |
プロペラ(エンジンの軸出力) | 30%(1,500HP) | 75% | 1,125HP |
する推力式単排気管(排気エネルギー) | 50%(2,500HP) | 7% | 175HP |
推力式ラジエター(冷却水熱エネルギー) | 12%(600HP) | 3% | 18HP |
- カウリング・フラップ:エンジンの冷却状態をある程度制御するために、カウルフラップ 【Cowl Flaps】と呼ばれる機構を備える機種もある。これは冷却空気流路の出口に設けられる可動式の板で、冷却効果を増したい際には開くことで、冷却空気の流量を増やし、過冷却の場合は閉じることで、冷却空気の流量を減らすことができる。
小型・軽量化という設計方針に従い、一式陸攻では5挺程度搭載されていた防御用旋回機銃も前方と後上方の各1挺ずつ(試作機は7.7mm機銃。量産型は20mmまたは13mm機銃)に削減されている。
但し、後上方用旋回機銃を使用する為、後部風防を開けると速度が低下することと、防御火器の増強が求められたため、後上方旋回機銃を動力駆動式「四式動力式・上方旋回銃塔」内に備え付けた13.2mm連装機銃に変更した試作機も作られている。
また夜間戦闘機型では、後上方旋回機銃を廃止して、胴体後部に20mmまたは30mm斜銃を装備している。
但し、後上方用旋回機銃を使用する為、後部風防を開けると速度が低下することと、防御火器の増強が求められたため、後上方旋回機銃を動力駆動式「四式動力式・上方旋回銃塔」内に備え付けた13.2mm連装機銃に変更した試作機も作られている。
また夜間戦闘機型では、後上方旋回機銃を廃止して、胴体後部に20mmまたは30mm斜銃を装備している。
大航続力を得るため、両主翼下に容量600Lの大型「落下式増槽」を各1本懸吊することも可能。
- 主脚は当時の双発機ではごく一般的な片持脚柱で、エンジン・ナセル下部に後方に引き込む。尾脚は一一型においては、整形された脚扉付きの完全引き込み式であったが、後に戦局の悪化に伴う生産簡易化の為に、固定式とされた。
空技廠 D4Y 彗星での反省を元に、生産性に配慮した設計が行われたが、生産を担当する中島飛行機の実情とあわない点があり、十分な効果を上げることは出来なかった。
昭和17年6月から完成し始めた試作機は、最高速度566.7km/h 於 5,500m、航続距離5,371km、急降下最終速度 703.8km/hという海軍の要求を超える高性能を発揮した。
戦況の悪化から早期の実用化が求められたため、通常は空技廠での性能試験終了後に行われる横須賀航空隊での実用試験が性能試験と平行して行われた。
昭和18年8月には転換生産を行う中島飛行機製の試作機も完成、同年11月から本格的に量産が開始された。
戦況の悪化から早期の実用化が求められたため、通常は空技廠での性能試験終了後に行われる横須賀航空隊での実用試験が性能試験と平行して行われた。
昭和18年8月には転換生産を行う中島飛行機製の試作機も完成、同年11月から本格的に量産が開始された。
昭和19年10月に陸上爆撃機銀河一一型【P1Y1】として制式採用されたが、実際には最初の実戦部隊である第五二一航空隊はその1年以上前に開隊していた。
第五二一航空隊はマリアナ沖海戦とニューギニア戦線に投入されたが、アメリカ海軍の猛攻により壊滅した。その後も、台湾沖航空戦、レイテ戦、九州沖航空戦、沖縄戦等に投入された。
第五二一航空隊はマリアナ沖海戦とニューギニア戦線に投入されたが、アメリカ海軍の猛攻により壊滅した。その後も、台湾沖航空戦、レイテ戦、九州沖航空戦、沖縄戦等に投入された。


銀河による戦果としては、1945年3月に実施された丹作戦(ウルシー環礁のアメリカ艦隊奇襲攻撃)において、二式大型飛行艇/略:二式大艇に誘導された梓特別攻撃隊の銀河24機が九州の鹿屋基地から長駆2,300km(これは直線距離であり、実際の飛行経路は約2,930km)を飛行した後、薄暮特攻攻撃を決行、福田幸悦大尉機といわれる1機がタイコンデロガ級航空母艦「ランドルフ」の艦尾を大破させたことと、同じく1945年3月の九州沖航空戦時に第五航空艦隊・「第七六二航空隊」の銀河1機が、急降下爆撃により四国南方沖でエセックス級航空母艦である「フランクリン」に250kg 爆弾2発を命中させて、同艦を沈没寸前まで追い込んだことが有名である。
高性能を追求した本機の機体や発動機の構造は複雑なものがあり、生産性・整備性はあまり芳しいものではなかった。
特に「誉」の故障が多く、稼動率の低下に拍車をかけ、搭乗員や整備員にとって大きな負担となったが、一式陸攻に代わる主力爆撃機として終戦まで戦い続け、各型合計で 約1,100機 生産された。
終戦時の残存機数は182機。
夜間戦闘機・中島飛行機製造の「月光」より高速かつ搭載能力に優れていたことから、比較的早い段階から夜間戦闘機への転用が構想されており、月光が夜間迎撃で初戦果を挙げた1943年5月、川西飛行機に対してP1Y1夜戦改修型(P1Y2-S。後の試製極光)の開発が命じられている。
主な改修点は火星二五型への発動機換装と20mmまたは30mm斜銃やレーダーの追加装備で、1943年7月に設計終了、1944年5月に試作一号機が完成している。
その後、少数が部隊配備されたもののB-29の迎撃には速度や高高度性能が不足と判定され、ほとんどの機体は爆撃機型の銀河一六型に再改修されている。
海軍正式の開発計画である「試製極光」とは別に、実戦部隊である第三〇二航空隊において、銀河一一型または一六型に20mmまたは30mm斜銃を追加装備した夜間戦闘機型への改修が行われている。
この改造夜間型は試製極光とは異なり、斜銃の他に三号爆弾(空対空用のクラスター爆弾)を搭載してB-29の夜間迎撃に投入され、撃墜戦果を報じている。
主な改修点は火星二五型への発動機換装と20mmまたは30mm斜銃やレーダーの追加装備で、1943年7月に設計終了、1944年5月に試作一号機が完成している。
その後、少数が部隊配備されたもののB-29の迎撃には速度や高高度性能が不足と判定され、ほとんどの機体は爆撃機型の銀河一六型に再改修されている。
海軍正式の開発計画である「試製極光」とは別に、実戦部隊である第三〇二航空隊において、銀河一一型または一六型に20mmまたは30mm斜銃を追加装備した夜間戦闘機型への改修が行われている。
この改造夜間型は試製極光とは異なり、斜銃の他に三号爆弾(空対空用のクラスター爆弾)を搭載してB-29の夜間迎撃に投入され、撃墜戦果を報じている。
斜銃とは、夜間戦闘機の機体背面上向きに取り付けられた航空機関砲のこと。
日本・ドイツの両方で同時発生的に産まれたものとで、両軍とも大型爆撃機への対策に悩まされていた結果である。
シュレーゲ・ムジーク【独: Schräge Musik】(「斜めの音楽」=ジャズの意)は、取付角が斜銃の倍以上に当たる機軸に対して上方に65〜70°である等細かい点では異なる点も多い。
日本・ドイツの両方で同時発生的に産まれたものとで、両軍とも大型爆撃機への対策に悩まされていた結果である。
シュレーゲ・ムジーク【独: Schräge Musik】(「斜めの音楽」=ジャズの意)は、取付角が斜銃の倍以上に当たる機軸に対して上方に65〜70°である等細かい点では異なる点も多い。
- 銀河の主要な派生型には以下のようなものが存在するが、この他に爆弾倉に下向きの20mm斜銃を10数挺備えた襲撃機型や試作ジェットエンジンのテストベッド型が作られ、また桜花母機型も計画されていた。
十五試陸上爆撃機【P1Y1】 | 誉一一型(離昇1,825馬力)を装備した試作型。 |
十五試陸上爆撃機【Y20】 | 空技廠第3号機「ツ−11」型・モータージェットエンジン(推力220 kg)の試験機。 |
一一型【P1Y1】 | 高高度性能を向上させた誉一二型を装備した量産型。 旋回機銃は機首、後部とも20mm。 後期の機体では風防形状を変更し、H-6型レーダーを追加した。 後部旋回機銃を20mmから13mmに変更した一一甲型【P1Y1a】も生産され、後部旋回機銃を13mm連装に変更した仮称一一乙型【P1Y1b】、仮称一一乙型の機首旋回機銃を四式・13mm連装・動力式・上方旋回銃塔に変更した仮称一一丙型【P1Y1c】も試作された。 |
仮称二一型(P1Y1-S) | 一一型の夜間戦闘機型。 当初は銀河一一型の航続距離及び搭載量の向上を図った性能向上型だったが、夜間戦闘機型に変更されている。 搭乗員数を2名に削減する代わりにレーダーを搭載し、20mm斜銃を4挺搭載する計画だった。 昭和20年(1945年)7月の海軍航空本部の資料では、仮称一二型(P1Y4)の夜間戦闘機型とされているが、同じ文書に仮称二一型の発動機は誉一一型または一二型と明記されていることと型式名が発動機変更を示していないことから誤記と思われる。 |
一六型【P1Y2】 | 発動機を火星二五型に変更した型。試製極光からの転用。 一一型と同じ武装変更を施した仮称一六甲型(P1Y2a)、仮称一六乙型(P1Y2b)、仮称一六丙型(P1Y2c)も試作された。 |
仮称三三型【P1Y3】 | 発動機を誉二一型(離昇1,990馬力)に変更、主翼をやや大型化し、胴体を太くして副操縦員席を追加した性能向上型。 機体が一回り大型化し、航続距離が大きく向上する予定だった。 防御火器は一一丙型と同じで、爆弾倉も小型爆弾を多数搭載できるように変更。設計中に終戦。 |
仮称一二型【P1Y4】 | 発動機を燃料噴射装置を追加した誉二三型(離昇1,990馬力)に変更した性能向上型の試作。 |
仮称一四型【P1Y5】 | 発動機をハ四三・一一型(離昇2,200馬力)に変更した計画機。 |
仮称一七型【P1Y6】 | 一六型の発動機を火星二五丙型に変更した試作型。 |
試製極光【P1Y2-S】 | 銀河を基本に開発された夜間戦闘機型。 火星二五型への発動機変更、20mm斜銃2挺、及びレーダーの追加等の改修が川西で施されている。一部が実戦配備されたが夜間戦闘機としては性能が不足していたため、大半が一六型に再改修された。 |
試製暁雲(R1Y) | 銀河に続いて空技廠が計画した陸上偵察機。機体や製造過程などで銀河との共通化が行われていた。計画のみ。 |
試製天河 | 銀河の後継機として計画されたジェット爆撃機。試作機の製造前に銀河にネ30ターボジェットを搭載した実験機の製造が予定されていた。計画のみ。 |
- 一一型【P1Y1】:初期型 / 曲面プレキシグラス【Round-Plexiglas】型
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- 一一型【P1Y1】:後期型 / 平面プレキシグラス【Flat-Plexiglas】型
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- 十五試陸上爆撃機【Y20】空技廠第3号機「ツ−11」型・モータージェットエンジン(推力220 kg)の試験機。
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- 試製「極光」【P1Y2-S】銀河をベースに開発された夜間戦闘機型。火星二五型への発動機変更,20mm斜銃2挺及びレーダーの追加等の改修が川西で施されている。一部が実戦配備されたが夜間戦闘機としては性能が不足していたため、大半が一六型に再改修された。
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- 一六型【P1Y2】試製「極光」からの転用。
一一型と同じ武装変更を施した仮称一六甲型(P1Y2a)、仮称一六乙型(P1Y2b)、仮称一六丙型(P1Y2c)も試作された。 - 側面図資料無し
- 仮称一一乙型【P1Y1b】:後部旋回機銃を四式・13mm連装・動力式・上方旋回銃塔【Twin Barreled flexible-mounted machine gun】に変更した。
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- 一一型【P1Y1】:初期型改造:下方多連装機銃装備型【Under-Fire Multi Machine-Gun】装備型(推定)
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制式名称 | 銀河一一型 | 銀河一六型 |
機体略号 | P1Y1 | P1Y2 |
全幅 | 20.0m | 同左 |
全長 | 15.0m | 同左 |
全高 | 水平姿勢5.3m | 同左 |
主翼面積 | 55.0m<sup>2</sup> | 同左 |
自重 | 7,265kg | 7,138kg |
正規全備重量 | 10,500kg | 同左 |
過荷重重量 | 13,500kg | 同左 |
発動機 | 誉一二型(離昇1,825馬力) | 火星二五型(離昇1,850馬力) |
最大水平速度 | 546.3km/h(高度5,900m) | 522.3km/h(高度5,400m) |
実用上昇限度 | 9,400m | 9,560m |
航続距離 | 1,920km(正規)/5,370km(過過重) | 1,815km(正規) |
爆装 | 250〜500kg2発又は800kg爆弾1発 | 同左 |
雷装 | 九一式航空魚雷1発 | 同左 |
武装 | 20mm旋回機銃2挺(機首・後部) | 同左 |
乗員 | 3名 | 同左 |
太平洋戦争末期における日本海軍の双発夜間戦闘機である。
仮称銀河二六型。ちなみに、本機の名称である「極光」とは「オーロラ」のことである。
米軍のコードネームでは銀河とともに「フランセーズ」【Frances】と呼ばれた。
1943年5月に日本海軍は、銀河(陸上爆撃機)の発動機を換装して夜間戦闘機に改造することを川西航空機に命じた。
試製「極光」【P1Y2-S】と名づけられた試作機は、1944年5月に1号機が完成し、6月に海軍に領収された。
仮称銀河二六型。ちなみに、本機の名称である「極光」とは「オーロラ」のことである。
米軍のコードネームでは銀河とともに「フランセーズ」【Frances】と呼ばれた。
1943年5月に日本海軍は、銀河(陸上爆撃機)の発動機を換装して夜間戦闘機に改造することを川西航空機に命じた。
試製「極光」【P1Y2-S】と名づけられた試作機は、1944年5月に1号機が完成し、6月に海軍に領収された。
銀河との主な相違点は、
この他、長距離飛行の必要が無いことから燃料の搭載量も減少していた。
また、一部の機体には 「ボーイング B-29 超・空の要塞」【Super-Fortress】 迎撃用にレーダーを装備していた。
海軍による審査の結果、銀河よりも最大速度や上昇性能が劣っていたが、エンジンの信頼性は高かった為、夜間戦闘機として利用可能と判断され量産命令が出された。
- エンジンを誉から火星二五型に換装、エンジンカウリング形状の再設計
- 胴体に20mm機関銃を2丁斜めに搭載、後方旋回銃の廃止
- 爆装の廃止
- 引き込み式尾輪の装備
この他、長距離飛行の必要が無いことから燃料の搭載量も減少していた。
また、一部の機体には 「ボーイング B-29 超・空の要塞」【Super-Fortress】 迎撃用にレーダーを装備していた。
海軍による審査の結果、銀河よりも最大速度や上昇性能が劣っていたが、エンジンの信頼性は高かった為、夜間戦闘機として利用可能と判断され量産命令が出された。
生産は、『中島で銀河として生産された機体を川西で極光に改造するという手法』で行われた。
1944年末から少数機が部隊配備されたが、B-29迎撃用の機体としては速度、上昇力、高空性能とも不足しており戦果はなかった。
このため、1945年4月には極光の生産を中止し、極光の斜銃を廃止し爆装を復活させた銀河一六型として生産されることとなった。
製作機数は銀河一六型も含めて96機であった。
1944年末から少数機が部隊配備されたが、B-29迎撃用の機体としては速度、上昇力、高空性能とも不足しており戦果はなかった。
このため、1945年4月には極光の生産を中止し、極光の斜銃を廃止し爆装を復活させた銀河一六型として生産されることとなった。
製作機数は銀河一六型も含めて96機であった。
なお、従来、銀河の誉搭載型(中島飛行機製)の夜戦タイプを「白光」(仮称銀河二一型 P1Y1-S)と称するといわれてきたが、その後の文書の分析により、川西製の夜戦を初期に「白光」と呼び、これが表記上「月光」と紛らわしいことから「極光」に改称されたという説が有力になっている。
ただし、現在出版されている書籍の多くは、銀河一一型に斜銃を4挺装備した機体を「白光」と呼んだとしている。
ただし、現在出版されている書籍の多くは、銀河一一型に斜銃を4挺装備した機体を「白光」と呼んだとしている。
空技廠「銀河」と同時期に開発・実用化された日本製双発爆撃機として陸軍の三菱重工業製の「キ67 四式重爆撃機 飛龍」(以下、四式重爆)がある。
この二機は、共に雷撃と急降下爆撃の両方が可能な双発爆撃機として登場している。
しかし、銀河は実験機をベースに開発されたこともあり、高性能ではあるが大量生産を想定していない。
この二機は、共に雷撃と急降下爆撃の両方が可能な双発爆撃機として登場している。
しかし、銀河は実験機をベースに開発されたこともあり、高性能ではあるが大量生産を想定していない。
- 「国滅びて銀河あり」と揶揄(やゆ)されるほど機体や発動機に余裕が無いため整備が難しかった。
- 最低限の防御火器(機首及び後部に20mmまたは13mm機銃各1挺)しか装備していなかった。
- 最高速度や搭載力が銀河とほぼ同じであるにも拘らず、大量生産を考慮されていた。
- 機体や発動機の信頼性が高かった。
- 強力な防御火器(機首、左右胴体側面、尾部に12.7mm各1挺、背部に20mm1門)を備えていた。
生産機数についてみると、初飛行や量産開始時期がほとんど同時期であるにも拘らず、銀河が約1,100機であるのに対し、四式重爆は約700機と銀河の約6割に留まっている。
生産機数を見る限り、銀河の生産性が四式重爆に大幅に劣っているとは断言しにくい。
生産に当たった中島飛行機が銀河専門の設計課を設置して生産性向上のための設計変更を行っていることを指摘する意見もあるが、同様の設計変更は局地戦闘機 / 乙戦:J2M1〜7 雷電や愛知航空機製造の艦上攻撃機・B7A「流星・流星改」等でも行われている。
生産機数を見る限り、銀河の生産性が四式重爆に大幅に劣っているとは断言しにくい。
生産に当たった中島飛行機が銀河専門の設計課を設置して生産性向上のための設計変更を行っていることを指摘する意見もあるが、同様の設計変更は局地戦闘機 / 乙戦:J2M1〜7 雷電や愛知航空機製造の艦上攻撃機・B7A「流星・流星改」等でも行われている。
銀河一一型と四式重爆一型の燃料搭載量を比較すると、四式重爆「飛竜」は銀河の7割以下(機内搭載量のみ。銀河が落下増槽を装備した場合6割以下)であり、これがそのまま航続力の差となって現れている。
このため、大戦末期に四式重爆を長距離攻撃に投入するには航続力が不足となり、防御火器を大幅に削減(尾部12.7mm2挺のみ)する代わりに燃料タンクを増設した長距離攻撃型(発動機出力が変わらずに重量が約1割増加している上に主翼も大型化しており、一式陸攻二四丁型等の例から最高速度等は低下していると推定される)の開発に着手したものの、試作段階で終戦を迎えている。
このため、大戦末期に四式重爆を長距離攻撃に投入するには航続力が不足となり、防御火器を大幅に削減(尾部12.7mm2挺のみ)する代わりに燃料タンクを増設した長距離攻撃型(発動機出力が変わらずに重量が約1割増加している上に主翼も大型化しており、一式陸攻二四丁型等の例から最高速度等は低下していると推定される)の開発に着手したものの、試作段階で終戦を迎えている。
『銀河』(極光)と「四式重爆」は共に高速力と搭載能力を買われて対B-29用の戦闘機型も作られている。
しかし、20mmまたは30mm 斜銃を搭載しただけの銀河の急造夜間戦闘機型が確実と思われる撃墜戦果を複数挙げているのに対し、75mm高射砲を搭載するという大改造が施された四式重爆の「特殊防空戦闘機型(キ一〇九)」はB-29と交戦した試作機が一度不確実な撃破を報じただけに終わっている
しかし、20mmまたは30mm 斜銃を搭載しただけの銀河の急造夜間戦闘機型が確実と思われる撃墜戦果を複数挙げているのに対し、75mm高射砲を搭載するという大改造が施された四式重爆の「特殊防空戦闘機型(キ一〇九)」はB-29と交戦した試作機が一度不確実な撃破を報じただけに終わっている
長距離攻撃や「ボーイング B-29 超・空の要塞」【Super-Fortress】の迎撃において銀河が大きな戦果を挙げている訳ではない。
しかし、低稼働率であったB-29がその高性能を活かして日本軍を苦しめたことに代表されるように、必要とされる時に必要とされることが出来たという点も、四式重爆で高く評価される実用性と同じくらい兵器においては重要であり、この点においては銀河に軍配が上がると考えられる。
しかし、低稼働率であったB-29がその高性能を活かして日本軍を苦しめたことに代表されるように、必要とされる時に必要とされることが出来たという点も、四式重爆で高く評価される実用性と同じくらい兵器においては重要であり、この点においては銀河に軍配が上がると考えられる。
この他にも、銀河と四式重爆だけでなく、陸海軍が零式艦上戦闘機【A6M】と「一式戦・隼」、局地戦闘機 / 乙戦:J2M1〜7 雷電と川崎航空機・「二式単座戦闘機・鍾馗」、夜間戦闘機/丙戦である月光と「二式複座戦闘機・屠龍」、局地戦闘機である紫電改と「四式甲戦・疾風」など類似した機種を個別に開発・生産したことについて、機種数が少ない方が開発、生産、整備とそれに必要な部品供給が効率的・合理的に行えるとの観点から人的・物的資源の浪費ではないかという指摘がなされている。
開発面においては、陸海軍からの多数の開発発注のため、各航空機メーカーの設計陣に大きな負担がかかっていおり、例えば、堀越 二郎は過労と診断されて二ヵ月の休養を余儀なくされているのは事実である。
しかし、航空機開発においては複数社による競作という形でバックアップ体制を整えていることが一般的であるにも拘らず、不採用機が無駄になることから、陸海軍とも昭和10年代初めに単独指名開発に移行している。
一方、米国においてはグラマン・F6F ヘルキャット とチャンス・ヴォート・F4U コルセア、「ボーイング B-29 超・空の要塞」【Super-Fortress】 と、ダグラス XB-31のバックアップ機であった「コンベア」【Dominator】に見られるように、アメリカは競作開発のままであった。
旧日本軍の陸海軍ともバックアップ機の廃止により効率化を図っている以上、類似機種の並行開発を一概に非効率と断定することは難しい。
しかし、航空機開発においては複数社による競作という形でバックアップ体制を整えていることが一般的であるにも拘らず、不採用機が無駄になることから、陸海軍とも昭和10年代初めに単独指名開発に移行している。
一方、米国においてはグラマン・F6F ヘルキャット とチャンス・ヴォート・F4U コルセア、「ボーイング B-29 超・空の要塞」【Super-Fortress】 と、ダグラス XB-31のバックアップ機であった「コンベア」【Dominator】に見られるように、アメリカは競作開発のままであった。
旧日本軍の陸海軍ともバックアップ機の廃止により効率化を図っている以上、類似機種の並行開発を一概に非効率と断定することは難しい。
生産面では、工場担当者が闇市で原材料を入手したという話がある様に、戦時下の日本での航空機生産においては原材料や電力の供給がネックとなって、生産機種の限定や性能を犠牲にして生産性を高める設計をしなければならないほど、生産ラインを稼働させられなかったのではないかという意見もある。
また、生産される機体数に対して不足気味であった発動機については陸海軍共ほぼ同じもの(装備する機体に合わせた仕様の変更などは行われている)を使用しており、性能を犠牲にしてまで機体の生産性を上げる意義は見出し難い。
また生産機種を絞った場合には転換生産を大規模に行う必要があるが、生産が軌道に乗るまでにはかなりの時間を要す場合が多く、転換生産メーカーが生産しやすいように微妙な変更を加える例も多数見られるため、生産や整備の効率化、部品の共通化が大幅に進むとは必ずしも言えない。
また生産を固定した機種に大きな欠陥が認められた場合、対策が取られるまで戦力が大幅に低下することは避けられず、戦力維持の面からはある程度の機種を揃えることも必要である。
また、生産される機体数に対して不足気味であった発動機については陸海軍共ほぼ同じもの(装備する機体に合わせた仕様の変更などは行われている)を使用しており、性能を犠牲にしてまで機体の生産性を上げる意義は見出し難い。
また生産機種を絞った場合には転換生産を大規模に行う必要があるが、生産が軌道に乗るまでにはかなりの時間を要す場合が多く、転換生産メーカーが生産しやすいように微妙な変更を加える例も多数見られるため、生産や整備の効率化、部品の共通化が大幅に進むとは必ずしも言えない。
また生産を固定した機種に大きな欠陥が認められた場合、対策が取られるまで戦力が大幅に低下することは避けられず、戦力維持の面からはある程度の機種を揃えることも必要である。
銀河と四式重爆は開発・生産メーカーや装備発動機ばかりか設計思想まで異なっていたという意味では、両者は理想的なバックアップ体勢の関係にあり、両者とも開発に成功したために機種統一されることなく生産・実戦配備に至ったと言える。
- 中島 十一試艦上爆撃機【Nakajima, Navy Experimental 11-Shi Carrier Dive Bomber/D3N】
- 中島航空発動機製造株式会社 【Nakajima Aircraft Engine Production Co.Ltd.】
- 中島航空宇宙発動機製造株式会社 【Nakajima Aerospace Engine Production Co.Ltd.】
- 三菱 J4M1 閃電
- コマンドゲレート
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