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We've Inc. 旧「マクロスクロニクル」に習い Web 独自機能を加味した日本初のロボテック辞典です。

フルネーム(日本語変換)

ヴェルナー・マグナス・マクシミリアン・フライヘル・フォン・ブラウン

英文

【Wernher Magnus Maximilian Freiherr von Braun】

記事名フルネーム省略の事情

ライブドア・ウィキの「タイトル文字数制限32文字」を、僅か1文字ですが超えてしまう【33文字】為に、最低限、個人名「ヴェルナー」とファミリーネーム「フォン・ブラウン」の組み合わせ構成に含めて、ミドルネーム及び洗礼名の省略を行いました。

略称

フォン・ブラウン 【VonBraun】

掲載理由

主要な連続性作品として、公式の年表に加えられた、ワイルドストーム【Wild-Storm】社のデジタルコミック「星界から」【From the Star】本編中で、技術者がドイツ語を話す由来の為。
モデルとされた科学者が「フォン・ブラウン」
旧西側先進国を中心に組織された、異星人の墜落宇宙戦艦【ASS-1】の解析機関であるオーテック【OTEC】機関中、エミール・ラング博士【Dr.Emil Lang】以下ベリテック【VERIECH】開発部構成研究員が、大半がドイツ人だったからで、実際フォンブラウンがアメリカ合衆国に招聘(しょうへい)されて以降、現実に発生した事態を参考にしています。
  • 関連情報として知っておいて欲しい基礎知識なので掲載しました。

研究者同士はドイツ語【Deutsch】で会話する


ドイツ語【Deutsch】で会話する研究者たちをいぶかしげに見遣るロイ・フォッカー大尉(当時)





概要


1912年3月23日に産まれ、 1977年6月16日没した彼はは、科学者であり、ロケット技術開発の最初期における最重要指導者のひとりでした。

ドイツ人でしたが、第二次大戦後にアメリカ合衆国に移住し、研究活動を行いました。

旧ソヴィエト連邦のセルゲイ・コロリョフと共に米ソの宇宙開発競争の代名詞的な人物でした。

出生・少年期


フォン・ブラウンは、ドイツ東部ポーゼン(現ポーランドのポズナニ)近郊のヴィルジッツ(Wirsitz)で貴族(ユンカー)の家に生まれました。

父親はフランツ・フォン・パーペン内閣で食糧農業大臣であったマグナス・フォン・ブラウン男爵。


母親は彼がルター派の堅信礼を行った時に望遠鏡を与えた。天文学と宇宙分野への関心が、彼を生涯にわたって動機付けました。

1920年ヴィルジッツがヴェルサイユ条約に基づいてポーランドに割譲されると、彼の一家は他の多数と同様にドイツ領へ移住しました。


フォン・ブラウン一家はシュレージエン地方で新生活を始めた。ここで、彼はパウル・ヒンデミットにピアノを教わっています。

彼はロケットの先駆者ヘルマン・オーベルトの著した「惑星間宇宙へのロケット」を手に入れるまでは、物理学と数学が不得意であった。しかしその本を手に入れてからの彼は数学に打ち込み、得意科目にするまで努力しました。

ドイツ在住時代

学生時代


1930年にベルリン工科大学に入学しました。
ドイツ宇宙旅行協会にも入会し、ヘルマン・オーベルトの液体燃料ロケットエンジンの試験を手伝いました。

その後工学士の学位を得てベルリン大学の大学院に進み、陸軍兵器局のヴァルター・ドルンベルガー陸軍大尉のもとで研究するよう取り計らってもらいました。
ブラウンはドルンベルガーがすでに持っていたクマースドルフの固体ロケット試験場の隣で研究を続け、2年後に物理学の博士号を受けました。

ミサイル開発


1934年の暮れまでに、ブラウンのグループは2.4km以上の高度に達するロケットを2基射ち上げることに成功しましたが、この頃すでにドイツロケット協会はなく、ロケットの実験は新たな体制では禁止されていました。

軍用の開発だけが許可され、より大きな施設がドイツ北部のバルト海のペーネミュンデの村に建てらました。

V2ロケット


第二次世界大戦においてドイツ第三帝国(いわゆるナチス)が連合国軍に対して劣勢に傾いていた1943年、アドルフ・ヒトラーはA-4を「報復兵器」として使うことを決定。

ブラウンらのグループはロンドン攻撃のためにA-4の開発をすることになりました。

ヒトラーの生産命令から14ヶ月後、最初の軍用A-4が、このころにはハインリヒ・ヒムラーの考えた名前の「V-2」と呼ばれることになっていて、1944年9月7日にヨーロッパ西部に対し発射された。1944年最初のV-2がロンドンに着弾した日にフォン・ブラウンは同僚に「ロケットは完璧に動作したが、間違った惑星に着地した」と述べました。

その後ドルンベルガーは陸軍のロケット開発指揮官に、フォン・ブラウンは技術部長になりました。

彼らはジェットエンジン補助推力の液体燃料飛行機の飛行実験に成功し、長射程弾道ミサイル・A-4(V2ロケット)と、超音速対空ミサイル「ヴァッサーファル」を開発しました。


国家秘密警察による逮捕


SS(ナチ親衛隊)とゲシュタポ(国家秘密警察)は、「軍事兵器の開発に優先して、フォン・ブラウンが地球を回る軌道に乗せるロケットや、おそらく月に向かうロケットを建造することについて語ることをやめない」、としてフォン・ブラウンを国家反逆罪で逮捕ました。

フォン・ブラウンの罪状は「より大型のロケット爆弾作成に集中すべき時に、個人的な願望について語りすぎる」というものでした。
ドルンベルガーは、「もしフォン・ブラウンがいなければV-2は完成しない、そうなればあなたたちは責任を問われるだろう」とゲシュタポを説得し、フォン・ブラウンを釈放させようとしました。

しかし、それでもゲシュタポは許そうとせず、最後はヒトラー自らがゲシュタポをとりなし、ようやくフォン・ブラウンは解放されました。

そのときヒトラーは「私でも彼を釈放することはかなり困難だった」と言ったとのことでした。

アメリカへの亡命


1945年5月にドイツは連合国軍に敗北することが確実な状況となり、フォン・ブラウンはペーネミュンデに戻ると直ちに彼の計画スタッフを招集し、どの国に亡命すべきか、どうやって亡命するかを決めるよう求めました。

科学者たちのほとんどはロシア人を恐れ、フランス人は彼らを奴隷のように扱うだろうし、イギリス人はロケット計画を賄うだけの十分な資力がないと感じていた。

残った選択肢がアメリカ人に向かうことでした。

偽造した書類で列車を盗み出した後、フォン・ブラウンはアメリカ軍に投降するためにペーネミュンデから500人を連れ出しました。


その頃SSは、記録を坑道に隠しアメリカ軍を探しつつ、友軍から逃れたドイツ人技術者を殺すよう命令を受けていました。

ドイツが連合国軍に対し降伏した後、最終的にロケットチームはアメリカの民間人を見つけ投降しました。

技術者たちの重要性を知ると、アメリカ軍は即座にペーネミュンデとノルトハウゼンに向かい、残されたV-2ロケットとV-2の部品を全て捕獲して2つの施設を爆破破壊しました。

アメリカ人は貨車300両分以上のV-2用スペアパーツをアメリカに持っていきましたが、しかしフォン・ブラウンの生産チームの大半は間もなく進駐してきたソ連軍の捕虜になりました。

6月20日に、アメリカのコーデル・ハル国務長官はフォン・ブラウンのロケット専門家達を移送することを承認しました。

この移送はペーパークリップ作戦として知られます。

その理由は、多数のドイツ人技術者が陸軍兵器廠に配属され、合衆国に来るよう選ばれた者は紙クリップで印付けられたからです。

彼らが移送されたのはデラウェア州ウィルミントンのすぐ南方にあるニューカッスル空軍基地でした。

その後ボストン市を経由し、海路ボストンハーバーのフォートストロングにある陸軍情報局の駐屯地に連れて行かれました。

後に、フォン・ブラウンを除いた専門家たちはメリーランド州のアバディーン性能試験場に移され、そこでペーネミュンデの文書を整理させられました。

これらの文書があれば、科学者が中断していたロケット実験を続ける事が出来たからです。


最終的に、陸軍兵器技術情報チームの本部長オルガー・N・トフトイ陸軍大佐の副官であったジェイムズ・P・ハミル陸軍少佐の命令で、フォン・ブラウンと126人のペーネミュンデの技術者達は、エルパソのすぐ北にある大きな陸軍基地テキサス州フォートブリスで、彼らに与えられた新たな家に移されました。

彼らは合衆国で新生活を始めるにあたり、奇妙な状況に気づきました。

彼らは軍人の護衛なしにフォートブリスを出ることが出来なかったことから、事実上軟禁状態で、時には自らのことを「平時捕虜」(Prisoners of Peace)【 戦時捕虜(Prisoners of War)に掛けた自嘲的な洒落】と呼びました。


フォートブリスに滞在中、彼らは産・軍・学の要員に複雑なロケットや誘導ミサイルに関する訓練と、ドイツからニューメキシコ州ホワイトサンズ性能試験場に運ばれてきた多数のV-2ロケットを修理し、組立て、そして打ち上げる手伝いをする仕事を課せられました。

さらに、彼らは軍事と研究へ応用するロケットが持つ将来的な可能性について学ぶことになりました。

アメリカ合衆国にて

結婚


この時期、フォン・ブラウンは従妹で18歳のマリア・フォン・クヴィルストルプ(クヴィストルプとも)に求婚する手紙を書きました。

1947年3月1日、彼はマリアと、彼女の住む地域のルター派教会で結婚式を挙げたのでした。

1948年12月に最初の娘【長女】「アイリス」がフォートブリスの陸軍病院で誕生しました。

1950年、フォン・ブラウンと彼のチームはアラバマ州ハンツヴィルに移され、そこがブラウンの以後20年間の住処となりました。

アメリカ陸軍ロケット兵器開発

レッドストーン・ロケット


1950年から1956年にかけ、フォン・ブラウンはレッドストーン兵器廠で陸軍のロケット開発チームを率いて、兵器廠の名にちなんだレッドストーンロケットを開発しました。

宇宙計画への関心


1952年、フォン・ブラウンは、なおもロケットが平和的な探検に使用される世界を夢見て宇宙ステーションの概念を「コリアー」誌に発表しました。

この宇宙ステーションは直径75mで、高度1700kmの軌道に置かれ、人工重力を発生するために自転すると説明されました。

彼の予見では、ここは月探検のための理想的な出発点のはずでした。

フォン・ブラウンはまた、ウォルト・ディズニー率いるディズニー社の宇宙探検に関する3本のテレビ映画の制作に技術監督として参加しました。

フォン・ブラウンは、その後何年も、未来の宇宙計画に対してより多数の公衆の興味を惹くことを望んで、ディズニー社との仕事を続けたのです。

ジュピターC ロケット


陸軍弾道ミサイル局(ABMA)の開発オペレーション部門の長として、フォン・ブラウンのチームはレッドストーンを改良したジュピターCロケットを開発しました。

ジュピターCは1958年1月31日、西側諸国として初めての人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げに成功し、この出来事は米国の宇宙計画の誕生を告げる偉業の出発点になりました。

NASA時代


1958年7月29日にはアメリカ航空宇宙局(NASA)が法律上成立した。翌日、50番目のレッドストーンロケットが核実験ハードタック作戦の一部として南太平洋のジョンストン島から成功裏に打ち上げられました。

2年後、NASAはアラバマ州ハンツヴィルにマーシャル宇宙飛行センターを新設し、フォン・ブラウンと彼の開発チームをレッドストーン兵器廠からNASAに移籍させました。

フォン・ブラウンは1960年から1970年まで同センターの初代所長を勤めのです。


マーシャル宇宙飛行センターの大きな初仕事は、1960年に就任したジョン・F・ケネディ大統領の指揮下で計画がスタートした、宇宙飛行士を月に運べるサターンロケットの開発でした。


フォン・ブラウンの子供時代の方針であった「時代を動かすこと」とその後の夢となっていた人類が月面を踏む手助けをすることは、1969年7月16日、マーシャル宇宙飛行センターが開発したサターンVロケットがアポロ11号の搭乗員を打ち上げた時に現実のものとなりました。

アポロ計画の過程で6組(18人、月面せ 船外活動は12人)の宇宙飛行士チームが月面を探検したのです。

1970年フォン・ブラウンと家族は、ハンツヴィルからワシントンD.C.に移り、NASA本部の計画担当副長官補に任命され、テクノクラートとしての役割を果たしましたが、アポロ計画後、フォン・ブラウンは彼の将来の宇宙飛行の方針がNASAのものとは違うと感じ、1972年6月にNASAを辞職しました。


彼はメリーランド州ジャーマンタウンにあるフェアチャイルド社の副社長に就任し、米国宇宙協会を創立振興する活動を行いました。----

死去


宇宙協会の活動の絶頂期に、フォン・ブラウンは自分が癌であることを知りました。

手術を受けましたが癌は進行し、1976年12月31日にフェアチャイルド社の辞職を余儀なくされました。

1977年6月16日、バージニア州アレクサンドリアで、療養の甲斐も無く没したのです。(享年65歳。)

評価


フォン・ブラウンは第二次世界大戦中は、ナチス党政権下のドイツのためにV2号ミサイルの製作を指揮し、ナチス党員、親衛隊少佐でもありました。


戦後渡ったアメリカでは、その経歴のために様々な非難を受けましたが「ナチズムには前から反対だった」、「宇宙にいく為なら悪魔に魂を売り渡してもよいと思った」と弁明したのでした。

第二次世界大戦中はドイツ軍の勝利のためにロケットを開発し、ドイツの敗戦後には、第二次世界大戦においてドイツの敵国であったアメリカの国家の威信のためにロケットを作るという変節を、両国の評論家よりしばしば非難されることがあります。

風刺家トム・レーラーは歌の中で彼を「忠誠が便宜に支配された男」と評しています。

とはいえ、人生をロケットの研究にかけ、国家にではなく、ロケット技術と自分自身に忠義を尽くしたともいえ、またフォン・ブラウンの西側諸国の科学界における貢献は非常に大きく、1975年にアメリカ国家科学賞を受賞しています。

モデルとなった人物

  • エミ−ル・ラング?工学博士

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