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gurugurian 2014年01月16日(木) 05:15:23履歴
証言者に曖昧さや記憶違い、矛盾などがあるのは当然。研究や実態解明はそれを踏まえ、精査した上でなされている。
これは歴史学の方法論を知らない人の言い分と言えるでしょう。別に慰安婦問題の証言に限らず、複数の歴史資料に数字や場所の食い違いや矛盾があるのは珍しいことではありません。少し考えればわかることですが、必ずしも「資料=事実」ではないのです。歴史学ではそうした複数の資料を照らし合わせた上で、ここまでは確実だろう、とか、ここは事実が不明、といっ た検証が行われます。
慰安婦問題でも同様です。何も研究者や専門家は元慰安婦の証言を全て「事実」と捉えて資料に採用しているわけではありません。特に元慰安婦の場合、長い年月を経て記憶が薄れていたり混乱している場合もありますし、あまりに苛酷な体験がトラウマとなり、自己防衛的に記憶を封印しているとみられるケースもあります 。元慰安婦の証言についてはそうした前提を踏まえて検証すべきであり、食い違いや矛盾をもって証言全てが「信用できない」「嘘だ」というのは、事実から目をそらしたい(そらさせたい)からだと批判されても仕方がないでしょう。
また、元慰安婦の証言について「年齢や年数が合わない」ことをもって「矛盾している」「嘘だ」という意見がありますが、これは証言者が「数え年(生まれた時点で一歳、以降年が明ける毎に一歳年を取る数え方。したがって満年齢より一~二歳加算されることになる)」を使用していることが多いこと(※注1)、また年数を数える場合も年をまたいだ時点で二年と数えること(※注2)がしばしばあること、そうした点に証言を伝えるメディアが充分配慮せずに伝えたり、読者が早合点したりすることが原因と思われます。
(※注1)参考:「従軍慰安婦の証言を聞くときには「数え年」にご注意」
(※注2)たとえば、韓国では朝鮮半島が日本に植民地支配された時期(1910年8月29日の韓国併合から1945年8月15日の日本の敗戦までの35年弱、より正確には34年と343日)を「日帝三十六年」と呼びますが、これも同じような数え方によるものです。
これは歴史学の方法論を知らない人の言い分と言えるでしょう。別に慰安婦問題の証言に限らず、複数の歴史資料に数字や場所の食い違いや矛盾があるのは珍しいことではありません。少し考えればわかることですが、必ずしも「資料=事実」ではないのです。歴史学ではそうした複数の資料を照らし合わせた上で、ここまでは確実だろう、とか、ここは事実が不明、といっ た検証が行われます。
慰安婦問題でも同様です。何も研究者や専門家は元慰安婦の証言を全て「事実」と捉えて資料に採用しているわけではありません。特に元慰安婦の場合、長い年月を経て記憶が薄れていたり混乱している場合もありますし、あまりに苛酷な体験がトラウマとなり、自己防衛的に記憶を封印しているとみられるケースもあります 。元慰安婦の証言についてはそうした前提を踏まえて検証すべきであり、食い違いや矛盾をもって証言全てが「信用できない」「嘘だ」というのは、事実から目をそらしたい(そらさせたい)からだと批判されても仕方がないでしょう。
また、元慰安婦の証言について「年齢や年数が合わない」ことをもって「矛盾している」「嘘だ」という意見がありますが、これは証言者が「数え年(生まれた時点で一歳、以降年が明ける毎に一歳年を取る数え方。したがって満年齢より一~二歳加算されることになる)」を使用していることが多いこと(※注1)、また年数を数える場合も年をまたいだ時点で二年と数えること(※注2)がしばしばあること、そうした点に証言を伝えるメディアが充分配慮せずに伝えたり、読者が早合点したりすることが原因と思われます。
(※注1)参考:「従軍慰安婦の証言を聞くときには「数え年」にご注意」
(※注2)たとえば、韓国では朝鮮半島が日本に植民地支配された時期(1910年8月29日の韓国併合から1945年8月15日の日本の敗戦までの35年弱、より正確には34年と343日)を「日帝三十六年」と呼びますが、これも同じような数え方によるものです。
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