いわゆる慰安婦(日本軍性奴隷)について知り、考えるためのFAQです。

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否定派の主張

確かに慰安婦制度は現代の価値観で見れば非道に見えるかもしれないが、当時はそれが当然だった。現代の価値観で過去を断罪すべきではない

反論

「当時の価値観」に照らしても、慰安婦制度は問題があった

この「現代の価値観で~」というフレーズは慰安婦問題に限らず、いわゆる日本の戦争責任問題を免罪しようとする人々によってよく使われるようです。

確かに時代によって価値観は異なるし、その時代の人間がその価値観の枠にとらわれているのはやむを得ない(したがってそうした点を非難すべきでない)、ということはあるでしょう。たとえば哲学者のソクラテスが生きた時代のギリシャでは奴隷制度が存在し、男尊女卑(男性のみが「市民」として参政権を持っていた)が当たり前の風潮でした。ソクラテスの主張の中にもそれを前提にし、容認していると思われるものがあります。だからといってソクラテスの哲学者としての功績を全否定するような主張があったなら、それに対して「現代の価値観で断罪すべきではない」と反論するのは有効かもしれません。

しかし、慰安婦問題について「当時の価値観」では(ソクラテスの時代の奴隷制度のように)「当然」 と思われていたでしょうか。

確かに慰安婦制度が存在した時期、日本には公娼制度が存在していました。しかしそれに反対し、廃止しようという運動(廃娼運動)も1920年代から広がり始めています(※注)。実際に1941年までに群馬・埼玉・秋田・ 長崎など14の県が廃娼を実施した他、福井・福島・新潟・神奈川など14の県で廃娼が決議されています。

また、当時の官憲の立場からしても、慰安婦制度は「隠すべきこと」であったと京都大学の永井和教授は論じています。

この史料から、軍による陸軍慰安所の設置とその要請を受けた慰安婦募集は警察にとってはにわかに信じがたいできごとであったことがよくわかる。上海総領事館警察から正式の通知を受け取っていた長崎県や、内務省から非公式の指示があった兵庫県・大阪府は軍の要請による慰安婦募集活動であることを事前に知らされ、それゆえ内々にその活動に便宜をはかったのだが、何の連絡も受けていない関東や東北では、大内の話はまったくの荒唐無稽事に聞こえたのである。
軍が売春施設と類似の慰安所を開設し、そこで働く女性を募集しているとなどという話はそもそも公秩良俗に反し、まともに考えれば、とても信じられるものではない。ましてそれを公然とふれまわるにいたっては、皇軍の名誉を著しく傷つけるにもほどがあると、そう群馬県警察は解した。大内は嘘を言って、女性を騙そうとしたわけではない。真実を告げて募集活動をしたために、警察から「皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノ」とみなされたのであった。
この通牒は、一方において慰安婦の募集と渡航を容認しながら、軍すなわち国家と慰安所の関係についてはそれを隠蔽することを業者に義務づけた。この公認と隠蔽のダブル・スタンダードが警保局の方針であり、日本政府の方針であった。なぜなら、自らが「醜業」と呼んではばからないことがらに軍=国家が直接手を染めるのは、いかに軍事上の必要からとはいえ、 軍=国家の体面にかかわる「恥ずかしい」ことであり、大っぴらにできないことだったからだ

永井和「日本軍の慰安所政策について」

以上のことから、「当時の価値観」からしても慰安婦制度は問題があり、「大っぴらにできない、恥ずべきもの」であったことが確認できます。慰安婦問題を批判的に取り上げると「自虐的」と非難する人がいますが、当時の価値観(人権感覚)を不当に低く見積もる主張こそ、ある意味「自虐的」と言えるのではないでしょうか。

(※注)こうした運動で公娼制度は「人身売買と自由拘束の二大罪悪を内容とする事実上の奴隷制度」と非難されています。こうした主張と、現在インターネットなどでさかんに言われている「慰安婦はただの売春婦」という主張と、果たしてどちらが「進んでいる」でしょうか 。
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