エスペラント語の修正版として開発された人工言語、国際補助語です。

派生における注意点

イド語には、単語の基礎として、最大限の国際性と簡易性の原理をもとにして選ばれた、ふつうは「語根」と呼ばれる不変の幹があります。
不変化詞と副詞的な形態を除くと、大体のところ、3つのクラスに分かれます。
  1. 行為を表す動詞語根:「ir(ar)」「bat(ar)」「salt(ar)」
  2. ”モノ”を示す名詞語根:「hom(o)」「dom(o)」「puer(o)」
  3. 性質を表現する形容詞語根:「bon(a)」「facil(a)」「avar(a)」
これらの語根と適切な語尾(-ar, -o, -a, -e)を合わせたものが、基礎的な文法形態を構成するのです。
文法的語彙(-ar, -o, -a, -e)を付加することを、直接的派生といいます。間接的派生とは、接辞(接頭辞と接尾辞)を使ってもたらされるものです。直接的、間接的派生によって一つの語根から論理的に形成される単語の総体が、ワード・ファミリー(Word Family)を構成します。
一つの語根が一つの基本的な意味を表し、さらにそれが、一つ一つ不変の意味を持つ接辞によって、意味の変更が行われることが、基本原理です。一つの語根は一つの意味を表し、一つの接辞は一つの意味を表すのです。語根の形態(スペル)とその意味を知れば、適切な接辞を用い、関係するあらゆる概念を論理的、明快に表現することができます。この特質は、一意の原則(一語に一つの意味、意味の唯一性、一意)といいます。
例えば、音楽の基本概念は、「muzik-」という語根によって表されます。したがって、この音楽概念は、その語根から派生されるもの全て(名詞や、形容詞や、その他のもの)に、もたらされるのです。
例えば、音楽の基本概念は、「muzik-」という語根によって表されます。したがって、この音楽概念は、その語根から派生されるもの全て(名詞や、形容詞や、その他のもの)に、もたらされるのです。接尾辞「-isto」は、職業的に何かに従事している人を指し示します。したがって「muzik-isto」は(職業的)音楽家という意味になります。
動詞語根の「dormar」(眠る)をみれば、名詞形は「dormo」であり、その意味は名詞として「眠り」となり、眠る人とか眠る場所を言っているのではありません。
したがって、単語の形態と意味との間には、相互関係があるのです。
これはクーチュラ教授が次のように定式化した第二の原理「可逆性の原理」を生み出しています。
「どの派生もみな、可逆的である。つまり、ある規則に従って、ある単語が同じグループの別の単語に変化する時、全く逆の規則を用いて、その単語から元の単語へ変化させることができなければらない」
「pac-o」(平和)ならば、「pac-ar」は、「平和である(=to be at peace)」とか「平和な状態にある(=to be in a state of peace)」という意味です。しかし、「pac-ar」は、「平和にする」という概念ではありません。もしそうだったら、名詞は「講和(=平和を作る)」という意味になるはずです。
「平和にする」「講和」という概念を表すために、「産する、作る、させる」という意味を語根に付加する接尾辞「-if-」を付けなければならないのです。
従って、「pac-if-ar」は「誰かを平和にする( to pacify someone)」という概念、「pac-if-o」は「講和(pacification)」を表現します。
もし、名詞「kron-o(王冠)」から変更するとしたら、「kron-ar」という動詞形では道理にあった意味になりません。
王冠を意味する「kron-o」から派生するなら、「kron-ar」は、「(誰かに)王冠を授ける」という意味にはなりません。なぜなら、「王冠を授ける」から逆派生する名詞の意味は論理的に「王冠を授ける行為」「戴冠式」とはなれ、「王冠」それ自体ではないからです。
「誰かに王冠を授ける」という概念を表現するためには、語根に「供給する」という意味を与える接尾辞「-iz-」を使います。
したがって、「王冠を授ける」は論理的に、「kron-iz-ar」で表現します(kron(王冠)+-izar(〜で被う)) 
この動詞の形から、「戴冠式(corona-tion)」を意味する「kron-izo」を論理的に得られます。
派生による形態を逆進させれば、本来の意味に戻るのかという可能性は、派生された形の正当性をチェックする実践的な方法です。
特に注意しなければならない点は、自然言語(特に英語)は、形を変えることなく、ほとんどすべての名詞は動詞としても使われます。例えば、「we ship goods」(商品を船に積み込む)「we ship a crew」(乗組員を船で送る)。
私達は、全体として文章の精査から、そのような意味を理解します。なぜなら、その言い方に慣れているからです。
論理的に構築された言語では、多様な言語のグループによって使用されるような使い方は許容されません。
動詞から派生した名詞相当語句は、動詞によって表現された状態や行為より他の意味は論理上、ありえません。それ故、名詞が行為や条件を表現しないならば、名詞から直接派生できる動詞はありません。そのような場合には、動詞がその行為を行うことや、その条件であることを意味しなければならないからです。
同様に、形容詞から直接的に動詞への派生は不可能だということに関しては、正しいのです。ですから、適切な動詞的接尾辞(-ig, -esk, -if)を使うべきです。なぜなら、受け身の意味や、「es-ar」動詞の正式な形があるからです。

形容詞からの名詞(相当語句)

もし形容詞が人間(あるいは動物)の本質的な性質を表しているならば、その名詞(相当語句)は、人(あるいは生物)を示します:「saj-o」(賢い人)、「blind-o」(盲目の人、動物)、「katolik-o」(カトリックの信者)。
形容詞派生した名詞(相当語句)
saj-a(賢い)saj-o(賢い人)
blind-a(盲目の)blind-o(盲目の人、動物)
katolik-a(カトリックの)katolik-o(カトリックの信者)
もし形容詞が非・人間の本質的な性質を表しているならば、その名詞(相当語句)は、モノを示します:「acid-o」(酸)、「rekt-o」(直線)、「kav-o」(穴)。
形容詞派生した名詞(相当語句)
acid-a(酸っぱい)acid-o(酸)
rekt-a(まっすぐ)rekt-o(直線)
kav-a(窪んだ)kav-o(穴)
もし、形容詞で表現された性質が、生命のある対象と非生命的対象の両方に提供できるものであれば、語尾「o」の形の名詞(相当語句)は形容詞の形を表すだけでなく、その意味が文脈から明らかでなければならない。
名詞(相当語句)に関して(人か物かの)疑問があるかもしれないところでは、人を表す「-ulo」「-ino」をつけたり、モノを表す「-ajo」をつけたりして、曖昧さをなくしたほうがいいでしょう。
例:「bono」「alt-o」「perfekt-o」は、「良い」「高い」「完全な」というものが人間も指し、モノも指すものかもしれません。しかし、「bon-ulo」「alt-ulo」「perfekt-ulo」であれば人であるし、「bon-ajo」「alt-ajo」「perfekt-ajo」となれば、非生物のモノだけを表しているのです。

見果てぬ夢("Sueño Imposible")

この第31課の中で、ベブソンさんは、セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』をもとにしたミュージカル作品「ラ・マンチャの人」 (Man of La Mancha)で歌われた『見果てぬ夢』*2のスペイン語訳を紹介しています。

"Sueño Imposible"
Con fe' lo imposible soñar al mal combatir
sin temor triunfar sobre el miedo invencible en
pie soportar el dolor

Amar la pureza sin par buscar la verdad del
error vivir con los brazos abiertos creer en un
mundo mejor

Es mi ideal la estrella alcanzar no importa
cuán lejos se pueda encontrar luchar por el bien
sin dudar ni temer y dispuesto al infierno
llegar si lo dicta el deber

Y yo se' que si logro ser fiel a mi
sueño ideal estara' mi alma en paz
al llegar de mi vida el final

Sera' este mundo mejor si hubo quien
despreciando el dolor combatio' hasta el
último aliento

Con fe' lo imposible soñar y la
Con fe' lo imposible sonyar y la
estrella alcanzar


Anke me esas viro de la Mancha (menchi*) kun mea idealo...
私もまた自分の理想をもった漢(おとこ*3)です…
mea grandega revo nun preske ne'posibla ke Ido esez la linguo inter'naciona en la venonta mondo ube mea e via decendanti povez juar sua vivo kun sola e bela e facile lernebra idiomo qua facas la tota homaro ye felica, irge quale li esus nur povra o fortunoze richa, edukita o ne'suficante edukita.
私の大きな夢は、今はかなわぬものかもしれないが、イド語を将来の世界で国際言語にさせることです。その世界は、私とあなた達の子孫たちが、ただ一つの、美しく、易しく学べる固有言語を使って人生を楽しむことのできるところです。その言語は、貧しいとか、幸いにして金持ちであるとか、教育を受けているとか、充分に教育を受けていないとかには関係がなく、全人類を幸せにするものなのです。
Venez tal mondo sur ca gaiya*, nia planeto, en la universo dil Deo!
このような世界が、神の宇宙の中にある、このガイヤ(地球)上に、我々の惑星に上にもたらされるように!

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イド語文法編(4)

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