エスペラント語の修正版として開発された人工言語、国際補助語です。

Prepozicioni prefixa. 接頭辞的な前置詞

Quale sen-, vidita en antea chapitro, altra prepozicioni pleas la rolo di prefixi :
前の章で見た「sen-」のように、他の前置詞も接頭辞の役割を果たしている。
adportar, cirkumpola, cirkumskribo (geom.), ekirar, enirar *1, foreso, kontredicar, kunvoko, preterirar, subjacanta, vice-prezidero, e. c.
「adportar」(持って来る)、「cirkumpola」(周極の、極付近の)、「cirkumskribo (geom.)」(〈領土などの〉周りに境界線を描くこと)、「ekirar」(出掛ける)、「enirar」(入る)、「foreso」(距離)、「kontredicar」(反論する)、「kunvoko」(呼び出し)、「preterirar」(通過する)、「subjacanta」(〜の下に横たわる、屈服する)、「vice-prezidero」(副大統領)、など。
Nultempe atribuez a prepoziciono, kompozante derivajo, senco altra kam ita, quan ol havas aparte.
前置詞やその派生語に対して、それが個別に持っている意味とは別の意味を割り当ててはならない。
Exemple : eklernar nule povas signifikar parlernar = lernar komplete; ektrovar o ekpensar nule povas recevar la senco di inventar, nek ekparolar (German aus-sprechen) ta di pronuncar; same ekportar = portar extere ne povas signifikar o suportar o tolerar.
例):「eklernar nule povas signifikar parlernar(= lernar komplete)」(学び始めることは習得することを決して意味するものではない);「ektrovar」あるいは「ekpensar」とは、発明するという意味ではない。(ドイツ語の逐語訳では発音する、だが)「ekparolar」は、発音するという意味ではない。;同じく「ekportar」=(外に運ぶ)は、支えるという意味でも、許容するという意味でもない。

ベブソンのチャチャ:人間の脳コンピュータをイド語がどこまで支援できるか?

Kompozado per prepozicioni(前置詞を用いた単語合成)の所で説明してある様に「vice-prezidero」(副大統領)は良くない。
これは ulu vice prezidero か prezidero vice unesma'prezidero の意味か判然としないからである。
submaro は海 (maro sub ulo) ではなくて、海の下のモノ(ulo/navo sub maro) であるのならば、.........
vice-prezidero も大統領 (prezidero vice ulu ) ではなくて、大統領の代わりの人 (ulu/chefa ministro vice prezidero) なのです。詰まり、大統領の代わりの首相の意味になってしまう。本物の代わりだが大統領資格を持つ者(副大統領)ならば、prezidero vice unesma'prezidero ですから vicea prezidero でなくては!ここの所がボーフロン氏を始め西洋人は好い加減なので、ベブソンは非常に気になってしまいます。

こんな所まで、細かく吟味する事はエスペラントではしません。エスペラントはあちゃこちゃで或る意味、非常にアバウトな言語なのです。マア、英語と良い勝負だと思っております。私はアバウトだから駄目だと言っている訳ではありません。アバウトな英語が実務的国際語として充分に機能しておりますから、エスペラント語も十分に実務的国際語として機能する事が出来る筈です。ただ、私は人間が自身の脳コンピュータを何処まで性能を上げて使えるかに興味がありますので、イド語がそれに答えてくれると考えているのです。これからの時代は、人間の脳がコンピュータAIと勝負しなければならない厳しい時代になりますので、優れた言語で脳コンピュータの性能を極限まで引き出さねばなりません。負ける訳にはまいりません。http://www.ikeda.asia/2014/02/2045.html

余り言いたくない話なのですが、一見複雑に見える日本語ですが、人間の無意識の領域を含めて脳コンピュータを活性化する驚くほどの仕組みがビルトインされていて、だから日本人の脳は世界的に他を圧しているのだなと感じる事が良くあります。でも、これは日本人に生まれないと得られない特権なんですね。ですから、世界の他地域の人達はイド語の様な意識して合理的に使える言語を磨いて、脳の活性化を図るしかないなと考えております。イディオムや文法的不規則例外の多い不合理な言語で日常生活を送っている人達の知的レベルの低さに圧倒される経験をして来ますと、こんな感想を抱いても許されるかなと思っております。日本語とイド語を両方使える日本人になれば、シンギュラリティ(技術的特異点)は別に怖くはないんですね。これは別に強がっている訳ではなく、AIと対抗するには、脳が少しでも論理的な言語を使わなければならないのですが、AIが入り込めない非論理の世界に入り込むには、日本語にビルトインされているツールが素晴らしいんです。参考には、ロラン・バルト(Roland Barthes、1915年11月12日 - 1980年3月26日)氏の著作等を勉強するのもその一つです。https://goo.gl/fY2o2u 詰まり、AIは人間の脳の無意識の世界には侵入が非常に難しいので、AIをここに誘い込めば、十分に勝算があるとゆう事なのですね。私も若い頃から Prolog言語(人工知能言語)等を勉強して『彼(敵)を知り己を知れば百戦殆うからず 』の境地なのです。
所で、私の若い頃は人工知能言語は大型コンピュータの上で動くとても高価なモノでした。それでも、パソコン上で動くPrologが英国の某企業で開発され、Micro-PROLOG とゆう名前で発売されました。若い頃に余りお金の無かった私でしたが、発奮して英国に注文を出して、この Micro-PROLOG を手に入れました。当時、この言語の為の名著も発売されており、それも手に入れて随分と勉強したモノです。現代の人工知能の世界は遥かに進んでしまい当時の面影はありませんが、方向性(ベクトル)はマア、同じです。完全なロジックの世界で曖昧性を上手く扱う事ができない。西欧の言語も曖昧性を上手く扱う事が下手です。だからこそ、近代科学が西欧で生まれて来たとも言えます。イド語も曖昧性を極力排除して、科学を効率的に扱う事に長けた言語です。現代の時間がとても速く過ぎ、効率性を重視する社会には必要とされる言語だと思います。他の西欧語と比較しても、短時間に正確な情報を運ぶ事が可能です。世界の余り効率的でない脳を持った大衆には、是非学んで欲しい言語なのです。しかし人類には日本語の様な言語も必要なのですが、これは一種の贅沢品ですから、イド語を学んだら次に日本語を学ぶ様な社会が百年後に来ていると嬉しいですね。

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