フランス語を知らない日本人には、前の19課の pasinto の議論は、『それ全然わかんない、意味が伝達して来ない』 だと思いますので、再度、御説明します。
フランス語では『過去』を le passé (前の課では活字の都合上、passe' と表しておりました) と言います。これは フランス語の動詞 passer (通り過ぎる) の過去分詞に定冠詞の le を付けて名詞にしたものです。それではイド語動詞 pasar の過去分詞 pasinta を名詞にすれば、『過去』の意味になるのでしょうか?イエイエ、それはなりませぬ!イド語では過去分詞と雖も、形容詞の仲間ですから、形容詞の -a を取って -o を付けますと、それは何々の性質を持つ人の意味になるのですね。ですから、イド語の pasinto は過ぎ去った人、つまり死人の意味になり、決して『過去』 の意味にはならないのです。でも、フランス語を母語とする人間には、ここの所が分からんのです。天才、ボーフロン氏と雖も、間違えてしまうのですね。
形容詞の語尾 -a を取って -o を付けて、人ではなく時間の意味にできるのならば、la prezento(現在)を la pasanto = la tempo pasanta と表せますし、la futuro(未来)を la pasonto = la tempo pasonta と表せる筈です。でも当のフランス語が未来の事をl'avenir (la venonto)と表現しますから、ティベリオ・マドンナに『お前の未来は la pasonto じゃなくて、フランス語風に la venonto と言わなきゃ駄目だろう?』 と嫌味を言ったのです。この嫌味に語学の秀才、ティベリオ・マドンナは反撃できない訳です。
そんな訳で現在の所、天才、ボーフロン氏のお蔭で、イド語には『過去』を表す適切な言葉がありません。そこで、私(Bebson)は過去を pasinto ではなくて、 paseo* [pa-SE-o]とゆう言葉にする事を提案しております。(* の付いた言葉は非公式な単語を表します。)
伊藤氏の説明によると、栗山仁先生の日本語イド語辞書では、『過去』は pasinteso と訳されているそうです。
pasinteso は純然たる『過去』の意味ではなくて、『過去の性質、性格』の意味になります。例えば...
La pasinteso di Francia esas monarkio. フランスは過って王政であった。
La paseo di Francia skribesas en ca libro. フランスの歴史はこの本に書かれている。
La paseo di ca Angla verbo "go" esas "went". 英語動詞 "go" の過去は "went" である。
La pasinteso di ca Angla verbo "go" esas ne'regula. 英語動詞 "go" の過去(形)の性格は不規則である。