| とある日 |
| ──並木芽衣子様 |
芽衣子 | お、きたきた♪ |
| とうに見慣れたエアメール。流れるような書体で記される自分の名前に、思わず笑みがこぼれた。 |
芽衣子 | (前に私が手紙を出してから、少し間が空いた気がするけど……元気でやってるかな?) |
| 私は、幼い頃から手紙が好きだった。 |
| 封を切れば、嬉しい報告、面白おかしい出来事に、優しい気遣い。幸せな温度が、じわりとあふれ出す。 |
| 何度やり取りを重ねても、手紙に託した瞬間の輝きに触れるたび、心が躍った。──けれど。 |
芽衣子 | ……どうしたんだろう。いつもの元気がないような……何か、悩み事でもあるのかな。 |
| 直接、そうと書かれていたわけじゃないけれど、何かが心に引っかかった。 |
| 手書きの手紙は、ささやかな心の翳りさえも映し出してしまうから。 |
| 幼馴染である彼女と初めて心を書き交わしたのは、50個の文字の形だって覚えてないときで。 |
| 手のひらをクレヨンで汚し、紙の余白を黒鉛で染め、カラフルなインクが滑らかに心の内を綴ることを覚えた頃。 |
| 私たちは、周囲の人々から「まるで姉妹のようだ」と言われることに、すっかり慣れていた。 |
| 一緒にいると楽しくて、居心地がいい。私が、一番私らしくいられる場所だった。 |
| きっと……大人になってもずっとこの距離感で付き合っていくんだと、疑いもせずに思っていて。 |
| だから、高校卒業後の進路について、二人で初めて真剣に語り合ったあの日。 |
| 彼女の口から出た言葉に、私の世界がひっくり返る心地がした。 |
幼馴染 | そっか〜。芽衣子は、地元で就職する予定なんだ。 |
芽衣子 | うん!東京で働くのも憧れるけど……やっぱり、地元が好きだから♪ |
幼馴染 | 芽衣子らしいね。……私さ、卒業したら、留学しようと思ってるんだよね。 |
芽衣子 | えっ、留学……!?どこに?何しに? |
幼馴染 | 語学の勉強をするために、ヨーロッパの方に、ね。 |
芽衣子 | 語学の、勉強……。 |
幼馴染 | あはは、驚いてる。そうだよね。自分でもビックリしてるもん。 |
幼馴染 | でもね、きっかけをくれたのは、芽衣子なんだよ。 |
芽衣子 | 私? |
幼馴染 | うん。ほら……昔、芽衣子から、オススメの旅行記の本、プレゼントしてもらったでしょ? |
芽衣子 | あ……フィンランドの? |
幼馴染 | そうそう。衝撃的だったなぁ。それまで、海外での暮らしなんて、夢に見たこともなかったから。 |
幼馴染 | で、実際に足を運んだり文化に触れたりしてるうちに、昔話とか文学にも、興味が湧いてきちゃってさ〜。 |
幼馴染 | 翻訳家になりたいなって思ったんだよね。 |
幼馴染 | 旅行記とは違うけど……私なりに、フィンランドの美しさを、日本に広めたいなって。 |
幼馴染 | ……なんて、かっこつけすぎ? |
芽衣子 | う……ううん!すっごく素敵だと思う!私、応援するよ! |
幼馴染 | ふふ、ありがと。芽衣子にちゃんと伝えられて、よかった。 |
芽衣子 | こちらこそ、ありがとね。でも……そっかぁ。ちゃんと考えてたんだね、将来のこと。 |
幼馴染 | いやぁ、そんな大層なものじゃないけどね。ただ、「やりたい」って気持ちが強いだけで。 |
芽衣子 | ううん、すごいよ!私なんてまだ、自分が何をしたいのかとか、全然わからないからさ。 |
幼馴染 | 芽衣子にも、きっと見つかるよ。 |
芽衣子 | 叶えたい夢……とか、そういうやつ? |
幼馴染 | うん。そしたらさ、この町に、芽衣子の好奇心は収まりきらないかもね。 |
芽衣子 | ふふっ、そうかな?それってなんか……ワクワクするね♪ |
幼馴染 | でしょ?私は一足先に旅立つだけ。芽衣子も、自分だけの夢を見つけてね。 |
芽衣子 | うん……ありがと。離れてても、私たち、ずっと友だちだよね? |
幼馴染 | 何言ってんの……当然でしょ! |
| それから数か月後、彼女は夢に向かって日本を発った。私も、第一志望の地元の会社で働き始めた。 |
| 彼女がいない違和感は、日々の忙しさに溶けていく。 |
| そんな折、ときどき届く幼馴染からの手紙は、私にとって、初めて紐解く物語のようで。 |
| まるで宇宙の果てのお話のような、どこか他人行儀な感動があった。 |
| そして……数年が経ち、仕事にも慣れて、たまの休日に、海外旅行へ行くのが息抜きになった。 |
| 大人になって、行きたい場所に行けるようになり、毎日がそれなりに楽しい。 |
| もっといろんな場所に行ってみたいと、とめどなく想像も膨らむようになった。 |
芽衣子 | (これが、私の「叶えたい夢」……なのかな?よく、わからないな……。) |
芽衣子 | (うーん、やめやめ!週末は、久しぶりに東京観光に行くんだから!めいっぱい楽しむぞー!) |
| 特に目的はなかったけれど、ふと思い立ったので、東京行きを決めた。 |
| たくさんの人が行き交う東京で、私の人生を180度……とまではいかなくても、 |
| ほんのちょっとだけ、前を向く元気をくれるような出逢いを、期待していたのかもしれない。 |
芽衣子 | わ、私が……アイドル? |
芽衣子 | 最高の景色……私、見てみたい。あなたが、見せてくれるの? |
| あの人の言葉を聞いて、ずっと霞がかかっていたような視界が、一瞬で開けて、光が差した。 |
芽衣子 | (……この目の前の道は、いったい、どこに繋がっているんだろう?) |
| 久しぶりに感じる、私の背中を押す大きな衝動。 |
| この熱いときめきに身を任せて、どこまでも突き進んでいこうと、決めた。 |
芽衣子 | (……と、決心したものの……あの子に伝えるのは、まだちょっと恥ずかしいな……) |
| 生まれたての情熱を手のひらにそっと乗せてみる。嬉しいような、くすぐったいような、特別な気持ち。 |
| あの日……私に夢の欠片を見せてくれたとき、あなたもこんな気分だった? |
| プルルルル…… |
芽衣子 | わわっ!電話!?……も、もしもし!? |
幼馴染 | 『あ、芽衣子?なんか焦ってるみたいだけど……今、大丈夫?』 |
芽衣子 | だ、大丈夫!どうしたの?電話なんて、珍しいよね? |
幼馴染 | 『「どうしたの」なんて、それ、私が言いたかったセリフだったんだけどなぁ』 |
芽衣子 | え? |
幼馴染 | 『手紙。なんか元気ないみたいだったから……でも、平気そうだね?』 |
芽衣子 | あ……あ〜!そんなつもりじゃなかったんだけど……心配かけちゃって、ごめんね。 |
幼馴染 | 『何年、文通してると思ってるの。すぐにわかるよ。……たぶん、もう解決したのかもしれないけどさ』 |
幼馴染 | 『もし何か、伝えたい話があれば……聞かせてほしいな』 |
芽衣子 | ……ふふ、さすがだね。じゃあ、聞いてくれる? |
芽衣子 | 見つけたんだ、私も……絶対に、叶えたい夢! |
芽衣子 | (……そうだ。今度は、私が電話をかけてみよう。それで……ただ、そっと寄り添ってあげたい。) |
芽衣子 | (あの子が……あのとき、私にそうしてくれたみたいに) |
| プルルルル……プッ |
芽衣子 | あっ、も、もしもし?私……芽衣子だよ! |
| 今はまだ、お互いに道の途中。いつか……目指す場所に辿り着いたら、たくさん語り合いたいね。 |
| とっても素敵な、旅の物語。 |
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