| とある昼下がり |
千夏 | …………ふふ♪ |
礼子 | あら、千夏ちゃんも来てたのね。 |
千夏 | ええ、LIVE前にコーヒーをいただきに。礼子さんも? |
礼子 | 私もよ。会場入りには、まだ時間があるものね。 |
礼子 | ところで、何を読んでいたのかしら?なんだか嬉しそうだったわ。 |
千夏 | ああ……これは、少し前にもらったファンレターです。 |
千夏 | 読むと気持ちが引き締まるので……特に今日みたいな大事なお仕事の前には、よく読み返しているんです。 |
礼子 | ふふっ、そうなのね。お守り、といったところかしら。どんなことが書いてあるか、訊いても? |
千夏 | もちろん。そうね……まずは、この手紙をもらった経緯からお話しても? |
礼子 | ぜひ。 |
千夏 | じゃあ、少し長くなるかも。二人のコーヒーが冷めない程度には……♪ |
| あれは、私がまだ駆け出しのアイドルだった頃―― |
千夏 | はぁ……今日も、不備をたくさん指摘されてしまったわね。 |
千夏 | 振り付けは頭に入っているし、曲も歌詞も完璧に覚えたわ。それなのに、うまくできないなんて……。 |
千夏 | ダンスレッスンはおろか、前のボーカルレッスンも散々……困ったわね……。 |
千夏 | ふぅ……。どうかしら? |
トレーナー | うーん……技術的には問題ありません。というよりも、未経験者にしては、とても上手ですよ。 |
トレーナー | ですが、歌に感情がのってないんですよね。だから、聴き手の心に響いてこないんです。 |
千夏 | ……そう。 |
千夏 | 心に響かない……か。それはそうよね。だってこの曲の歌詞は、私の実体験でも気持ちでもないんだし。 |
千夏 | ……だからこそ想像力が必要になるんだわ。難しいわね、アイドルって。 |
千夏 | 正しい旋律をなぞって上手く歌ったり、振り付けをコピーするだけではなくて……そこに私の感情をのせる、か。 |
千夏 | 理屈はわかるわ。だから必ず出来るはず。でも…………ダメね。 |
千夏 | 具体的な解決策が、まったく見えてこない。カフェにでも行って、気持ちを落ち着けようかしら。 |
ちひろ | あ、いたいた! 千夏ちゃん、お疲れさまです♪ファンレターが届いたので、お渡ししますね。どうぞ! |
千夏 | ありがとうございます。ここで読んで行っても? |
ちひろ | もちろんです。私はこれで失礼しますけど、ごゆっくりどうぞ♪ |
千夏 | ファンレター、か。気持ちが落ち着くかもしれないし、早速…… |
| 『千夏ちゃんへ』――。 |
礼子 | そのファンレターというのが、千夏ちゃんが今、手にしているものというわけね。 |
千夏 | ええ、そうなんです。ただ…………。 |
礼子 | ただ……? |
千夏 | この手紙は、とある事情を抱えた女の子からのものだったんです。 |
| 『突然お手紙を送っちゃって、ごめんなさい。千夏ちゃんに伝えたいことがあって、ファンレターを書きました。』 |
| 『私は、中学生の女子です。中学生……なのですが、学校には行っていません。』 |
千夏 | 学校に?勉強や授業が楽しくないのかしら……? それとも、何か行けない理由があるとか……。 |
| 『ある日テレビを観ていたら、千夏ちゃんが出ていました。歌もダンスも、可愛くて、かっこよかったですっ!! 』 |
| 『クールで、きれいで、かっこよくて……私、千夏ちゃんのことが大好きになりました!』 |
千夏 | ……。 |
| 『それで、思ったんです。私も、千夏ちゃんみたいに、クールでかっこいい女性になりたいって!』 |
千夏 | 私が……かっこいい……? |
| 『それから、千夏ちゃんの好きなフランスに、いつか私も行きたいって夢もできました。』 |
| 『あと、オシャレなカフェやショッピングにも行きたいし、千夏ちゃんのLIVEにも、いつか絶対行きたいです!』 |
| 『それから……一番の友達に、千夏ちゃんのことを話したいです。だから、私は今度、学校に行こうって思います。』 |
千夏 | ! |
| 『千夏ちゃん、私に元気と勇気をくれて、ありがとう。これからも、ずっとずっと応援してますっ!!』 |
千夏 | そう……。 |
千夏 | 私……それまでは、アイドルが誰かの人生に影響を与えるなんて、思っていなかったんです。 |
千夏 | 自分にできることをこなしていれば、私は楽しいし、ファンも喜んでくれるって……そう思っていたから。 |
礼子 | …………なるほどね。それで? |
千夏 | 想定していない内容だったから、動揺してしまって。その後、プロデューサーさんに、会いに行ったんです。 |
千夏 | それまでの自分のままで、この仕事を続けてはいけない気がして……。 |
礼子 | ふふっ、そう。 |
千夏 | プロデューサーさんにも、手紙のことを伝えてみたわ。それから、訊いてみました。 |
千夏 | 『私には、アイドルとして、この子や、ファンのみんなに何ができるのかしら』って。 |
礼子 | プロデューサーくんは何て? |
千夏 | あなたは何がしたい?』って。……びっくりしたわ。質問を質問で返されたから。 |
| でもそれは、あの人なりの答えだったのよね。 |
| 私がしたいことをすればいい。そうすることで、笑顔になれる人がいる。……そう言われた気がしたわ。 |
| この仕事の先にあるものが何かわかった。なら私は、そこへ向かって、恥ずかしくないように生きたい。 |
| 今の自分ができることしかやらないのではなく、傍観者を気取るのでもなく……挑戦をしたい。 |
| どこかで、俯いて咲く花があったとしても……その花もいつか、美しく、満開に咲くでしょうから。 |
| 数時間後――。 |
千夏 | 礼子さん、さっきはありがとうございました。改めて……今日は、よろしくお願いしますね。 |
礼子 | ええ、こちらこそ。そういえば……。 |
千夏 | はい? |
礼子 | ……いえ、いいの。なんでもないわ。 |
礼子 | (結局、手紙をくれた女の子は学校に行ったのか訊こうと思ったけど……) |
礼子 | ……きっと行けたものね。ふふっ♪ |
コメントをかく