731 ：水先案名無い人：2011/05/19(木) 15:56:23.58 ID:UXT1KUp/0
「センパイ！　何してんすか、止めてくださいよ！」
　１０年前、アノ日の撮影時と同じ――。
　俺は田所先輩に制止の言葉を投げかけた。だが彼は穏やかな笑みを返す。
「ははっ、何だよ遠野？　どうかしたか？」
「だ、だっておかしいですよ！　……何ですかコレ！」
　先輩が操作していたパソコンを指差す俺。
　そこには青色の名前欄と、気味の悪いＡＡが所狭しと踊り狂っていた。
　２ちゃんねる。――それも「真夏の夜の淫夢」スレだ。
「見てられませんよ！　『野獣は死滅しろ』『野獣先輩は人間のクズ』『ハゲカスステロイダー田所』……！　何ですかコレ！　田所さんはそんな人じゃないのに！　何で黙って楽しそうに見てるんですか！？」
「嬉しい事じゃないか。そこまで俺の出演作を気に入ってくれてるんだからさ」
「俺は我慢の限界です！　訴訟の準備に入らせて貰います」
「暴れんなよ」
「――ッ！！」
　全身が硬直した。
　先輩の「暴れんなよ」という一言は、俺の本能の根深い部分をがんじがらめに拘束してしまったのだ。
　指一つ動かせない。そんな俺へ言い聞かせるように、先輩は言葉を続ける。
「……いいか遠野。今の日本を見てみろ。地震、原発、経済の停滞――。国中を覆う閉塞感は終わりすら見えない。何をやろうにも原動力が足りないんだ。だから俺は、みんなに『笑い』を届け、この時代を乗り越えて欲しいと思ってる」
「だ、だからって……自分が無言投下兄貴にならなくたっていいじゃないですかっ！」
　そう。信じられない事に、田所先輩は自身の出演作『ザ・フェチVol.3』を動画サイトに投稿したのだ。
　あれだけ「多田野さんやＤＢさんがかわいそうだ」と言っていた彼が、だ。
「どうしてですか？　バレてもいいと？」
「嫌だよ？　でもさ……ホラホラ見ろよ、このスレの連中。俺の新作が出てきて最高に嬉しそうだ。こいつらがコレからの日本を変えてくれる、そう思ったら俺の過去がバレることなんて、ちっぽけなモンなんだよ」
「全く……知りませんよ。ＣＯＡＴ本社の位置もバレました、確実に先輩への包囲網は狭まってます」
「ああぁ、何か『野獣邸』とか言われてるアレだろ？　今度また行こうな！」
　無言で頷いた俺。先輩は誰に向けるでもない呟きを漏らした。

「いいんだ……これでいいんだよ。これでさ」