日本国粋会
解散(活動停止)
昭和33年結成。
大正年間に東西の侠客が集結し結成された任侠右翼大日本国粋会の再建を目指し、同会関係者や護国団幹部、大物博徒らが奔走、主として関東の博徒一家が糾合し設立(なお設立当初名誉職として会長を置くも実質的には理事長制であり、後に会長制となった。)。
安保闘争に際しては社共・総評等のデモ隊と対決、当時の岸信介首相の訪米や帰国に当たっては警察の警備を補完するべく他の団体と合わせて2000人以上の人員を動員した。
また全日本愛国者団体会議にはその創設時より加盟していた(後に離脱)。
しかし昭和39年より始まった警察庁による第一次頂上作戦(首領級を的にした暴力団一斉取り締まり)により昭和40年に解散。
昭和43年に再建されてより後は政治結社ではなく純然たる暴力団(任侠団体)となり、右翼団体としての活動を停止した。
(ただし右翼活動に加わる構成員や、翼下に位置する右翼団体は存在。)
大正年間に東西の侠客が集結し結成された任侠右翼大日本国粋会の再建を目指し、同会関係者や護国団幹部、大物博徒らが奔走、主として関東の博徒一家が糾合し設立(なお設立当初名誉職として会長を置くも実質的には理事長制であり、後に会長制となった。)。
安保闘争に際しては社共・総評等のデモ隊と対決、当時の岸信介首相の訪米や帰国に当たっては警察の警備を補完するべく他の団体と合わせて2000人以上の人員を動員した。
また全日本愛国者団体会議にはその創設時より加盟していた(後に離脱)。
しかし昭和39年より始まった警察庁による第一次頂上作戦(首領級を的にした暴力団一斉取り締まり)により昭和40年に解散。
昭和43年に再建されてより後は政治結社ではなく純然たる暴力団(任侠団体)となり、右翼団体としての活動を停止した。
(ただし右翼活動に加わる構成員や、翼下に位置する右翼団体は存在。)
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