政治結社
松葉会
松葉会
解散(活動停止)
役職 | 氏名 | 協議体等役職 |
---|---|---|
会長 | 藤田 卯一郎 (故人) | 関東会 理事長 日本主義連合 議長 |
総務会長 | 久野益義 (故人) | 後に全日本愛国者団体会議 幹部 |
事務局長 | 小林 清 (故人) | |
幹事長 | 田中芳徳 (故人) | |
綱紀委員長 | 木津政雄 (故人) | |
組織委員長 | 和泉武志 (故人) | |
相談役 | 細井鵲郎 (故人) | |
幹事長 朝霞支部 支部長 | 遠藤一夫 (故人) | |
総務 事務局長 後に三代目会長 | 佐藤栄助 (故人) | |
青年行動隊長 後に二代目会長 | 菊地徳勝 (故人) |
昭和34年結成。
土建系暴力団(任侠団体)関根組(団体等規正令で解散)幹部であった藤田卯一郎(後に上萬一家五代目総長)が元関根組の構成員2000人余りを糾合して設立。
安保闘争に際しては社共・総評等のデモ隊と対決、当時の岸信介首相の訪米や帰国に当たっては警察の警備を補完するべく他の団体と合わせて2000人以上の人員を動員した。
また全日本愛国者団体会議にはその創設時より加盟していた(後に離脱)。
昭和35年には藤田夫人の葬儀に現職の政治家ら18人が花輪を送っていた事を批判的に取り上げた毎日新聞社を襲撃する事件を敢行した。
しかし昭和39年より始まった警察庁による第一次頂上作戦(首領級を的にした暴力団一斉取り締まり)により昭和40年に解散。
昭和43年に再建されてより後は政治結社ではなく純然たる暴力団となり、右翼団体としての活動を停止した。
(ただし右翼活動に加わる構成員や、翼下に位置する右翼団体は存在。)
一、松葉会は、現代青年層に於ける共産主義思想の侵略を阻止し、道義に徹した建設的な愛国精神の積極的育成を目的とする。
一、松葉会は、危険思想を帯びた教員組合、その他の団体の破壊行為に対しては、飽く迄も抗争するを目的とする。
一、松葉会は、勤労大衆を、破壊的思想の侵略から救い、勤労大衆に於ける健全なる道義的思想の育成を目的とする。
一、松葉会は、東洋に於ける統一された一大亜細亜の建設をその将来の目標とする方向に進むことを目的とする。
土建系暴力団(任侠団体)関根組(団体等規正令で解散)幹部であった藤田卯一郎(後に上萬一家五代目総長)が元関根組の構成員2000人余りを糾合して設立。
安保闘争に際しては社共・総評等のデモ隊と対決、当時の岸信介首相の訪米や帰国に当たっては警察の警備を補完するべく他の団体と合わせて2000人以上の人員を動員した。
また全日本愛国者団体会議にはその創設時より加盟していた(後に離脱)。
昭和35年には藤田夫人の葬儀に現職の政治家ら18人が花輪を送っていた事を批判的に取り上げた毎日新聞社を襲撃する事件を敢行した。
しかし昭和39年より始まった警察庁による第一次頂上作戦(首領級を的にした暴力団一斉取り締まり)により昭和40年に解散。
昭和43年に再建されてより後は政治結社ではなく純然たる暴力団となり、右翼団体としての活動を停止した。
(ただし右翼活動に加わる構成員や、翼下に位置する右翼団体は存在。)
- 綱領
一、松葉会は、現代青年層に於ける共産主義思想の侵略を阻止し、道義に徹した建設的な愛国精神の積極的育成を目的とする。
一、松葉会は、危険思想を帯びた教員組合、その他の団体の破壊行為に対しては、飽く迄も抗争するを目的とする。
一、松葉会は、勤労大衆を、破壊的思想の侵略から救い、勤労大衆に於ける健全なる道義的思想の育成を目的とする。
一、松葉会は、東洋に於ける統一された一大亜細亜の建設をその将来の目標とする方向に進むことを目的とする。
表記や記載項目等については基本事項をご参照下さい。 | |||
記事の不備や団体の解散等により必ずしも最新の情報ではない可能性もあります。間違った記述を発見したり最新の情報をご存知の方はお気軽に編集についてをご参照の上で編集に参加して下さるようお願い致します。 | |||
または訂正して欲しい記述や記載されていない情報等がありましたら、情報提供についてをご参照の上でコメント投稿より情報の提供をして頂ければ可及的速やかに編集させて頂きます。 | |||
単一団体 | 協議体 | 新右翼 | 都道府県別 |
憂国リング |
タグ
コメントをかく