右翼民族派団体Wiki(維新情報社) - 神州士衛館(三重県)
神洲士衛館
解散(活動停止)
所在地
三重県
伊勢市舟江一丁目
加盟協議体
傘下団体
支部
役職者
役職
氏名
代表
藤田善勝
沿革
平成6年結成。
山口組系羽根組系列。
かつて右翼団体構成員であった同組若頭Kが設立を図り、組員が宿泊施設に利用していた建物を本部所在地として、同組が経営に関与していたとされる水産会社社員を役員に据え、三重県選挙管理委員会に届出されていた「団体」。
しかし団体としての実体はほぼなく、平成7年4月に起きたオウム真理教幹部刺殺事件の直後に同選管へ解散届が出された事によって名実共に消滅した。
羽根組とは
昭和50年、山口組と松田組との間で起きた抗争事件において、松田組翼下
大日本正義団
組員による山口組本部銃撃への報復として松田組組長宅に拳銃を撃ち込んだ「功績」を認められ、山口組直参に引き上げられた羽根悪美(当時山口組系中西組組員)を組長として結成された暴力団(任侠団体)。
三重県伊勢市を本拠地とし、構成員約50人。資金源としてシラスの養殖等を手掛けていたとされる。
平成7年5月12日、組長が山口組本部に赴き自身の引退を申し入れ、同日解散消滅した。
※ 以下においては神洲士衛館を単に「士衛館」と記述する。
オウム真理教幹部刺殺事件
事件の概要
平成7年3月20日、朝の通勤ラッシュ時間帯の東京都心において複数の地下鉄車両内に化学兵器サリンが撒かれ、数千人規模の死傷者を出すというおおよそ世界の犯罪史に類例のない無差別テロ事件が発生した。
当初より事件への関与を強く疑われたオウム真理教(以下、オウム)に対し連日警察が強制捜査を行い信者を次々逮捕する中で、マスコミ報道はまさにオウム一色となっていった。
とりわけテレビ局各社はオウム施設前に常駐し、幹部が出入りする度にカメラやマイクを突き付け、あるいはオウム幹部を番組に出演させ公共の電波でその虚言や詭弁を垂れ流す等、日に日に常識的な事件報道の矩を越える形で加熱し、その帰結として事件当日を迎えた。
4月23日夜、都内におけるオウムの中心的施設「東京総本部道場」前において、従前の如く報道陣に取り囲まれていたM幹部(オウム科学部門トップ。サリン事件のキーマンとされていた)は、報道陣に紛れ背後から近づいてきた男に牛刀で腹部を刺され、翌24日未明、出血多量により死亡した。
事件の一部始終はテレビで繰り返し放送され、衆人環視の元での凶行は社会に大きな衝撃を与えた。
現場で逮捕された男・Jは警察の取り調べに対し、自分は士衛館に所属しておりマスコミ報道を見て義憤にかられ誰でもいいからオウム幹部を痛めつけようと思い、独断で犯行に及んだとする旨を供述した。
しかし捜査の結果、Jが士衛館に加入していたとの本人の言は虚偽であり、そもそも士衛館自体活動実態のない羽根組のダミー組織に過ぎなかった事実が露見。
その他にも、供述の矛盾や協力者の存在が浮かび上がってきた事によって連日厳しい追及が行われた結果、ほどなくしてJは前言を翻し、K若頭からの指示で右翼団体構成員を装い殺害に及んだと自供するに至った。
これを受け警察では事件を暴力団による組織犯罪と見て5月11日にKを逮捕し、全容の解明を目指したものの捜査は思う様に進展せず、最終的にJとKのみが起訴される形となり7月以降両者の公判が始まった。
公判で認定された内容
Jの公判における検察側冒頭陳述の概要は以下の通り。
ーーー
暴力団羽根組の実質的な組員であったJ被告は、事件3日前の4月20日、上京した同組幹部のK被告に呼び出された。
組関係者だけが乗っていた車内でK被告は「オウムの幹部、上祐(史浩・後にひかりの輪代表)、A(教団顧問弁護士)、Mのだれでもいいから、一人を包丁でやれ」と、指令を出した。そして、「組のためにやるんだ」「組のためにならなかったら、おれがお前にこんなことをやらせるわけはないだろう」と言葉を続けた。自分は実質的な組員と自覚していたJ被告は断ることができず、「分かりました」と答えた。
その際、J被告は「やったら、その場で逮捕されろ。そして、右翼神洲士衛館の者だと名乗れ」と詳細な指示を受けた。犯行の動機についても、「オウムのようなやつらがいては、日本の治安は守れない」などと右翼的な主張を述べるよう命じられた。
K被告は犯行現場の下見をするよう言ったうえで「ある人が、お前を期待しているんだ」「このことは絶対、だれにも言うな」と厳命。当座の足代として現金2、3万円を渡した。
J被告は21日夜、テレビで上祐氏が東京都港区の教団東京総本部にいることを知った。
「早くすませて気を楽にしたい」
午後9時半ごろ、東京総本部の近くに行ったJ被告は公衆電話からK被告に電話をかけて上祐氏殺害を持ちかけたが、K被告から「今日はだめだ。また明日の夕方、電話しろ」と指示されて実行を断念した。
J被告は22日午前10時半に実家を出て、東京都足立区内の金物店で包丁を購入し、アタッシェケース内に隠した。東京総本部前に行ったが、マスコミ関係者があまりに多いので断念。午後6時半ごろ、K被告に電話し、渋谷で落ち合った後、六本木の日本料理店で密談した。
K被告は紙ナプキンに「神洲士衛館」など(*引用者注:士衛館幹部の氏名)と書き、「これを覚えろ」と命じた。さらに、テーブルに指で「殺」と書き、「警察では、これがなかったといえ」と殺意の否認を指示した。
23日午前11時ごろ、J被告は教団東京総本部に到着した。同11時26分には上祐氏が到着。午後0時50分ごろにはA氏が着き、約2時間後に出発したが、このときにはJ被告は殺害に向けた動きを見せなかった。
午後8時半ごろ、M幹部が到着したのを確認したJ被告は、一階のビル入り口に先回りした。アタッシェケースから包丁を取り出し、M幹部の左腕に切りつけ、混乱の中で引き離された後、M幹部に再び接近し、右わき腹を思いきり突き刺した。
(なおK被告の公判における検察側冒頭陳述では、事件後K被告が組員に電話して、J被告が右翼団体員だと名乗るだろうから、口裏合わせをするように、と連絡していたことが明らかにされた)
ーーー
この検察側主張の中核部分である「Kによる犯行の指示」は、Jの公判では事実認定され、「確定的殺意を持って実行しており、結果として疑惑解明の妨害となることも容易に予想できた」として懲役12年の判決が下されたものの、K自身の公判では本人が否認した事もあって認められず、無罪判決が確定した。
それ故、いまだ背後関係をはじめとして真相の解明はなされておらず、当該事件は警察庁長官狙撃事件に並ぶオウム未解決事件の一つとなっている。
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参照・引用
デマサイトと妄信
上述の通り
士衛館は有名無実の存在
に過ぎなかった事、加えて
オウム幹部殺害犯の在日韓国人Jは士衛館とは無関係
であった事が判明しており、事件はいわゆる「右翼テロ」ではなく、無論「自作自演」でもなかった。
しかしながら
デマサイト
にあっては、《事件を起こしたのは右翼団体構成員の在日韓国人》なる事件直後に流布し既に訂正されている誤情報を根拠の一つとして、《右翼団体は日本人に国旗や愛国心に対するマイナスイメージを植え付ける事を目的に活動している在日コリアン主体の反日勢力》といった言説(デマ)を主張し続けている。
(※ デマサイトのトップ画像です〈平成30年現在〉)
我々は、あのオウム真理教事件より数十年経てなお、荒唐無稽なデマを以て特定の対象を「敵」と決め付け、憎悪と軽侮を煽る醜悪なる人間が存在し、またかかるデマを無分別に受容しあまつさえ情強(情報強者)然としている怠惰な人々が決して少なからざる現状を正視し、いかにすれば日本社会が真にオウム問題を総括し克服し得るであろうかを、今一度、沈思黙考すべきではなかろうか。
注
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