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以下出てくる京城日報は朝鮮総督府機関紙

京城日報1933年4月8日「メーデー撃滅 決死挺身隊を画策 大阪の右翼団奮起す
【大阪電報】非常時のメーデーを前にして東京の各労働団体が揉み合ってゐる折柄、大阪の右翼団体並に其所属労働組合では連盟脱退以来国家主義的立場からメーデー解消運動を画策してゐたが、六日午後二時北区北浜の大日本生産党関西本部に国家社会党神州護国党愛国労働組合、神武会愛国青年連盟の幹部が参集し其第一弾が放たれた
「労働運動は須らく其国策に範って行ふべし」の主張に基づき満場一致メーデー撲滅期成同盟の組織を決定し、左翼尖鋭分子の徹底的撃滅を期し、当日は期成同盟委員中から十名の決死挺身隊を組織してメーデーの示威運動を蹴散らすことゝなったなほ「亡国的メーデー絶対反対」のビラ二十万枚を全市に撒布し、又天長節の佳辰に天王寺公会堂に於て大演説会を開き大いに気勢を挙ぐることになった


京城日報1934年4月1日「鈴木総裁、鳩山氏らの暗殺を企て発覚 全く準備整ひ決行の直前 埼玉救国挺身隊検挙さる
(前略)日本大学、拓殖大学の学生を中心に在郷軍人等より成る皇国青年芳流会に属する一部急進分子に依り組織された「救国埼玉青年挺身隊」の一味に依り、埼玉県川越市を舞台とする政友会総裁鈴木喜三郎氏、当時の文相鳩山一郎氏の暗殺並に同地武州銀行襲撃の恐るべき陰謀事件が事前に暴露し、首謀者吉田豊隆以下十一名は同地警察部の活動に依り去年十一月十三日未明から十四日朝迄に一斉検挙され、目下熊谷、川越の両署に留置し厳重取調べ中である、(以下略)


京城日報1934年10月19日「満洲の新天地開拓 挺身隊の賑かさ, 南鮮水害地の千七十余人, 営口めざし昨夜京城通過
水禍に見舞はれた南鮮の故郷を後に営口の新しき天地を目指して進軍する移民団は南鮮の郡北中郷、進永、亀浦、勿禁、密陽各駅から子供達百三十四名を交へて総勢千七十八名の男女の農民が臨時移民列車に満載され、十八日午後五時五十五分京城駅についた沃野二千五百町歩が待ってゐる営口安全農村の征服に向ふ彼等の武器は鍬、鋤、鎌、その他五穀豊饒の神が与へた耕作の七ッ道具に家財道具の一式などで一ぱいだ、賑やかにわいわいさわぐ子供達の面上にも新たな希望の光明が輝いてゐるやうだ、親せき知人らと抱き合って別離の涙を流すもの、これらの送別に答へて拳を揮って憧れの新天地開拓の雄々しさを声高に語る者など移民軍の進軍風景としては京城初めての盛んな賑やかさだ、かくて廿分間京城の姿に別れを惜んだこの満州開拓の挺身列車はたゞ一人の落伍者も出さず北行した なほこの移民団引率者の楊外事課事務官、中西、原田、芦田、樋野各外事課員らが京城駅から同車した(写真は京城駅での車中)


京城日報1935年8月16日「夏の農漁村を行く 慶北の巻 その五 勇敢な男優りよ まさしく婦人労働挺身隊 福を寝て待つ暢ん気な漁家の男衆 生やせ殖やせ岩海苔養殖
慶北の海岸線は他道に較べてさほど長くはないが漁業に於ては決して他道に優るとも劣らない、漁家殆んど半農半漁で生活には恵まれてゐない、それもその筈男は漁期に入れば板子一枚の勇壮な活動をするが漁期外は寝て暮す此稼業特有の怠惰性に馴れてしまってゐるからだ、それだけ又この社会の婦女子は男まさりの活動性を有し、家事の切り回しから田畑の耖耕さては夫を海に送るに漁具の手入れまで引き受ける始末、道当局でも何とかして彼等漁民を更生せしむべく頭を悩ましてゐるが帰するところは婦女子の肩に落ちつく副業の奨励になってしまふ

その主なものが岩海苔の養殖でこれは女子供にも容易に出来る作業で…彼女等の勤労によって一戸当り二円五十銭の副収入が得られる算盤勘定になる

あれば有りぎりの彼等漁民の生活もかうした当局の指導と婦女子等の覚醒によって非常時局に備へる備荒貯蓄心も涵養され頼母しい将来を約束されるといふもの蓋し健気な婦人労働隊ではある 写真説明 男優りの漁村婦人の労働隊が岩海苔養殖場の磯洗ひに繰出したところ(慶北の項終り)


京城日報1935年8月21日「夏の農漁村を行く 慶南の巻 その三 産業更生の聖戦 南棉の婦人挺身隊に凱歌 健康美と純情に輝く
【釜山】南棉北羊これは産業朝鮮の独自性へ向って驀進する吾等の総督宇垣さんによって高く掲げられた栄光の大旆である慶南の農村もこの大きな旗印の南棉第一主義をもって自力更生の戦士として産業更生の聖戦に参加して躍進また猛進、しかも慶南では棉作は婦人労働に至極誂へ向きとあって健気な婦人挺身隊は共同耕作陣を勇敢に突進し今では農村の副業として洗濯と麥蒔きより外に知らなかった婦人は健康美と無邪気な純情に輝き棉作の凱歌高く十年前六十三町歩に過ぎなかった作付反別が昨年度は二万七千四百町歩、二千七百四十三万斤、十四万八千戸の農家が何んと五百十余万円も稼ぎ込んだ、勿論これは、米棉の産額に印棉の実質に及ばないことは天地ほどの差があるけれども彼の女等の双腕には外国から年々輸入される棉を防止せんとする強い鉄壁でなくて何んであらう、朝鮮農村の力強い歩みを見て下さいと高らかに謳歌するもの(写真は棉作の共同作業に働く女性達=鎮海湾要塞司令部検閲済)


朝鮮新聞1938年6月5日「交通挺身隊 自転車没収

朝鮮新聞1941年8月13日「挺身隊・本隊を編成 四百戸の入植を実施 満州開拓分村計画の全貌
十二日の総督府開拓民委員会においては明年度半島人開拓民政策として既定入植数たる一万戸を目標とする送出計画を決定したが・・・
一、先遣挺身隊は五十名として明年四月から二ヶ月間総督府訓練所に収容、訓練を経て六月から一年十ヶ月間現地において開拓村建設に当り、本体百五十戸が右の建設を待って前記挺身隊の家族ならびに本隊家族とゝもに入植、こゝに北満の新天地に輝しい半島人開拓村○○村が逞しき誕生をみるといふわけである
二、第二隊先遣挺身隊は明年八月訓練所に入り第一隊と同じ経過を辿って本隊とゝもに二百戸(挺身隊五十戸、本隊百五十戸)の入植が実施される

朝鮮新聞1942年2月7日「貯蓄挺身隊 見事な成果を収む

京城日報1944年3月28日「報道挺身隊 現地報告講演盛況

京城日報1944年7月19日「青年挺身隊 総蹶起大会

京城日報1944年10月28日「炊飯挺身隊の実習演習

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