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というのはガセで、ハングルは元々使われていた。
以下「諺文」とはハングルのこと

■シャルル・ダレ「朝鮮事情」東洋文庫(原著1874年)
子供たちは、漢字を学ぶ初歩的な本に載っている翻訳によって、いうなれば知らず知らずのうちに、朝鮮文字(振り仮名:ハングル)を習得する。しかし彼らは、習慣によってのみ音節を身につけるだけで、綴りを述べるとか、音節を一句一句分けるとかは、できないようだ。漢字を学ぶ手段も機会もない婦女子や貧しい人びとは、朝鮮文字を学ばないわけにはいかない。彼らは、それを使って、通信文や会計簿をつけるのである。宣教師によって印刷された宗教の本は、すべて朝鮮文字になっているという。したがって、すべてのキリスト教徒は、子供にもすぐ憶えられるアルファベット式の朝鮮文字を読み書きすることができる。(143‐144頁)

■瀬脇寿人, 林深造 編「鶏林事略 初編1」1876年
文学並言語文字
国内用うる所の文字、一種支那と異なる者あり。之を朝鮮文字と云ひ、又諺文と云ふ。其数凡百九十一字、我が神代文字に似たり、左の如し。
(ハングル一覧表省略)
右の文字を綴り合せて。国語並に漢音を記する事。日本の仮名と同じ。又母韻を長呼する時には、ー(振り仮名「イ」)字を傍に添ふ。…
朝鮮文字は、楷体のみにて、行草体なし。習熟の後は、自己の能にて字画格を草体の如くし、急書に便にす。
書翰記簿の類、漢文を善する者は、国字を雑へず。漢文を能せざる者は、漢字諺文を雑へ書し。或は、全く国字耳(※のみ)を用ゆ

■石幡貞「朝鮮帰好余録」1878年
朝鮮国文字有二様。曰真文即漢字也。曰諺文是為国字。・・・以其易学、民皆便之。而政府公文措之不用。
〔現代語訳〕朝鮮には2種の文字がある。真文というのが漢字であり、諺文というのが国の字とされる。・・・学びやすいので、民衆は皆これ(諺文)を使っている。しかし政府は公文書ではこれを用いない。

■坂根達郎「朝鮮地誌」1880年(明治13)
風俗、及び技芸は、略支那に髣髴たり、衣様は明制を用ゆ、国人文学を好み、漢文を講習するもの多し、又別に本土固有の文字あり、之を(?)諺文と云ふ、人種も亦略支那に似たり、…

■隅田英次 編「朝鮮釜山戯話」1881年(明治14)
本の広告にこうある
一 朝鮮諺文 片楮 定価金壹銭五釐
此は即ち我五十音と同じく子母発音の原を示したる者にして韓語を学ぶの士必用の書なり



■浦瀬裕 校正増補「訂正隣語大方 : 9巻 天(巻1-3)」1882年(明治15)
当時の語学学習書



■雨森芳洲 (東) 著 [他]「交隣須知 四」1883年(明治16)

当時の語学学習書で、東京外大の前身「東京外国語学校」でも使用されたという。*1


■鈴木信仁「朝鮮紀聞」1885年
貧賤の者は諺文のみを習ひ纔かに通用に便するものなり。貧窶にして筆墨を買ふの資なきものは砂を盆に盛て字を習ひ或は河海の浜に往き平坦の石面に大字を習ふ事あり。(126頁)


交詢雑誌 第192号 1885年7月5日
寄書
○文科(前号の続き)在朝鮮社員 井上角五郎
現今朝鮮にては専ぱら漢字を用ひ、士人の章奏書柬はみな漢文なり。又た国王及び政府の布示諭達も又た漢文を用ひ、地方官吏の上報一般人民の訴状などは吏読を用ひ、下等平民の漢字を知らざるもの及び婦人の書柬はみな諺文を用ひて言語を其儘に記して文となす。余曾て評して曰く、全国人民を平均し諺文を知るもの百中八九にて漢字を知るもの百中四五而して吏読を記し得るもの百中二三にして漢文を記し得るもの百中一二なりと。いまこれを思ふに蓋し当れり。・・・
言語は古今にて大に異なりあり。古書の諺文にて記するものは今ま解しがたきこと多く又た各地みな多少の差異あり。而して言語は専ぱら今躰を貴び諺文にて文を記するときは言語の儘を用ゆ。又た全国押並べて全羅道の言葉尤もよく各地に通用すといふ。(20頁)

■北村三郎「印度史 : 附・朝鮮,安南,緬甸,暹羅各国史 (万国歴史全書 ; 第4篇)」1889年(明治22)
此の諺文は、僅に字母廿五字を、縦横に構成し、転換無窮にして、事物の有形無形を問はず自在に之を記すべく、又其音の清濁強弱抑揚長短、意の如くならざるはなし、(356-7頁)


■石井研堂 (民司) 著「朝鮮児童画談」1891年
又此国には、諺文とて、仮名九十九字あれども、一般に用ひるもの少なく、書状等にのみ用ひ居れり。(15頁)

■工業雑誌社「工業雑誌 第54号」1894年6月22日付
○朝鮮には日本のいろはの如き諺文八十字あり中等以上の人は漢字にて通ずるも下等及び婦人は総て此俗字を用ゆ故に市中其他の看板等には必ず両字を以て書し居れり先づ日本語の通語に用ゆるものは左の如し(368頁)

■イザベラ・バード「朝鮮奥地紀行1」東洋文庫(原著1898年)
諺文は軽蔑され、教育ある階級の書き言葉には使われない。しかしながら私は、川上に居る下層社会の非常に多くの男の人たちが、朝鮮固有の筆記文字〔諺文〕を読める事に気付いた。(138頁)
イザベラ・バードは1894年1月から1897年3月までの間に四度、朝鮮を訪問した。(1巻21頁)
原著「朝鮮とその近隣諸国」は1898年ロンドンで刊行(1巻5頁)

■幣原坦「朝鮮教育論」1919年
如此にて、学校としては、京城では成均館、四学、地方では書院・郷校、その下に書堂があるといふ次第である。書堂(又は書房)とは、日本の寺子屋である。書堂で授けることは、先づ初めに千字文又は類合で、諺文を習はしめる。それから童蒙先習又は啓蒙編などを教へる(354頁)


■井上角五郎先生伝記編纂会編「井上角五郎先生伝」1943年
それで朝鮮では上流社会は漢字ばかりで綴った漢文を用ひて棒読にし、下流社会は諺文ばかりで文を綴っていたのである。ところが日本でも仮名ばかりで綴った文章は却って読みにくいが、それに漢字を交ぜて用ゐると綴り易く読み易いと同様に、諺文にも漢字を交へて用ひると便利である。そこに気付いたのが井上先生であった。

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