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金泰賢「朝鮮における在留日本人社会と日本人経営新聞
(韓国)統監府は韓国統治に関する世論を統制するために既存の新聞を買収または廃刊させる政策に乗出した。まず1898年に創刊され韓国人の輿論を代弁していた新聞である『帝国新聞』と『皇城新聞』、「大韓民報』(1906〜1910.8)、『傾向新聞』(1906.10〜1910.12)など、京城で発行されていたすべての韓国人新聞を廃刊させた。それによって、『朝鮮日報』(1920.3.5−1940.8.10)、「東亜日報」(1920.4.1−1940.8.10)が創刊されるまで約10年間、韓国人の言論活動は徹底的に封鎖された。
 日露戦争の前後から京城を中心に発行されていた日本人経営新聞も例外ではなかった。韓国の開港以降、日本人の勢力の拡大のために日本政府が経営資金を援助した『漢城新聞』や「大東新報』を始め『中央新聞』『朝鮮日日新聞』、『東洋日報』、『大韓新聞』なども統監府や総督府の買収、廃刊などの統制から免れることはできなかった。 
(中略)
   統監府は1906年に日本語新聞の『京城日報』と英語新聞の『ソウルプレス』を、日本による韓国併合の直前の1910年5月には当時イギリス人のマンハム(Alfred Weekly Mamharm)が経営していた『大韓毎日申報』を買収して『毎日申報」という韓国語新聞を機関紙として発行した。(10-11頁)

咸苔英「1910年代朝鮮総督府機関紙と徳富蘇峰
併合前、統監府は強力な抗日言論であった『大韓毎日申報』を執拗な工作の末、1910 年 6 月初旬その買収に成功する。『大韓毎日申報』の実質的な統監府当局による買収は併合に先立って行なわれたのである。(114頁・註6)

併合後、『毎日申報』は独立した言論機関ではなく、総督府の機関紙として『京城日報』編輯局に所属した一つの部署として出発することになる。(99頁)

1910 年代は『毎日申報』のみが当時植民地朝鮮において発行された唯一の朝鮮語新聞であった。(97頁)

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