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kannrininn 2025年06月02日(月) 10:23:38履歴
内務省警保局「国家社会主義団体に関する調」(1932年5月)では「主なる団体のみにても其数五十に近く、小なる団体に至りては此れを列挙するの煩に堪へず、警視庁管内のみにてもその数実に百七十を超ゆるの状況にあり。右国家主義諸団体は総じて忠君愛国を基本綱領とし、国体擁護、国粋保存、赤化防止を唱へ」とある。*1
外務省調査部「右翼運動の現勢」(1935年1月)では「右翼団体は其の数極めて多数に上り満州事変直後の如き一時三千有余を数へたることありし程なるが昭和七八年頃より漸次統一的傾向現はれ其の数亦従て徐々に減少し居れる処」とする。*2
外務省調査部「国家主義団体系統一覧表」(1935年8月)では「国家主義諸団体は現在約六百余(支部を除く)の多数に達し居るのみならず其の離合集散極めて頻繁且つ迅速にして是が実態を究むること甚だ困難」とする。*3
中外商業新報社「右翼思想の展望: 発生・経過・動向」(1935年10月)では「今日右翼思想の主流をなしてゐる日本主義は…当局の調査したところに依ると、昭和九年末で、四十万人弱、約六百団体といふのが、全国における日本主義支持者の概数であるが、毎年人数に於いて二万乃至三万位、団体数に於て廿乃至五十位宛の増加を示してゐる。」「全国で四十万人弱、東京で六万七千といふ日本主義支持者の数」とある。
日本警察社編「思想警察通論」(1940年)では、有名無実のものなど含めれば「其数全国的に見れば一千以上を算するであらう。東京だけで警視庁の調査に依れば約五百と言はれてゐて」とある。*4
「種村氏警察参考資料」の「国家主義団体員数表」では1940年12月末で計2,528団体、633,979人となっている。*5
外務省調査部「右翼運動の現勢」(1935年1月)では「右翼団体は其の数極めて多数に上り満州事変直後の如き一時三千有余を数へたることありし程なるが昭和七八年頃より漸次統一的傾向現はれ其の数亦従て徐々に減少し居れる処」とする。*2
外務省調査部「国家主義団体系統一覧表」(1935年8月)では「国家主義諸団体は現在約六百余(支部を除く)の多数に達し居るのみならず其の離合集散極めて頻繁且つ迅速にして是が実態を究むること甚だ困難」とする。*3
中外商業新報社「右翼思想の展望: 発生・経過・動向」(1935年10月)では「今日右翼思想の主流をなしてゐる日本主義は…当局の調査したところに依ると、昭和九年末で、四十万人弱、約六百団体といふのが、全国における日本主義支持者の概数であるが、毎年人数に於いて二万乃至三万位、団体数に於て廿乃至五十位宛の増加を示してゐる。」「全国で四十万人弱、東京で六万七千といふ日本主義支持者の数」とある。
日本警察社編「思想警察通論」(1940年)では、有名無実のものなど含めれば「其数全国的に見れば一千以上を算するであらう。東京だけで警視庁の調査に依れば約五百と言はれてゐて」とある。*4
「種村氏警察参考資料」の「国家主義団体員数表」では1940年12月末で計2,528団体、633,979人となっている。*5
また構成員の属性については、外務省調査部「右翼運動の現勢」(1935年1月)では、左翼に学生等インテリが多い一方で「右翼運動は知識階級の外に多数の浪人、侠客の類を抱擁し」とする。*6
外務省調査部「国家主義団体系統一覧表」(1935年8月)では「純粋国粋乃至浪人系」「左翼転向系」「在郷軍人系」「農民系」「宗教系」の5系統に分けている。*7
「朝日時局読本」(1937)の「右翼団体の動向」では「従来の団体の多くは出資者又は政界巨頭、或は貴族層、産業家等によってその組織的基礎が安定したるものが多く…昭和時代に発生せるものはその種類が区々であって…大別すると資本家、貴族、官僚、軍人等上層部に関係近きものと、中産階級、小市民、インテリ、農民に近きものとの二種に大別し得る」としている。*8
外務省調査部「国家主義団体系統一覧表」(1935年8月)では「純粋国粋乃至浪人系」「左翼転向系」「在郷軍人系」「農民系」「宗教系」の5系統に分けている。*7
「朝日時局読本」(1937)の「右翼団体の動向」では「従来の団体の多くは出資者又は政界巨頭、或は貴族層、産業家等によってその組織的基礎が安定したるものが多く…昭和時代に発生せるものはその種類が区々であって…大別すると資本家、貴族、官僚、軍人等上層部に関係近きものと、中産階級、小市民、インテリ、農民に近きものとの二種に大別し得る」としている。*8
