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kannrininn 2025年06月01日(日) 20:58:14履歴
座間勝平「日本フアッシヨ運動の展望」1932年
※座間は「国民新聞社編輯顧問、国民新聞社前編輯局長」
※座間は「国民新聞社編輯顧問、国民新聞社前編輯局長」
三 諸外国に於けるファッシズム運動
世界的流行たるファッシズム運動
学者の規定は何とあらうとも、最近、深刻なる世界恐慌のために、世界の資本主義が、政治の危機に頻〔ママ〕するに至って、世界各国にファッシズムの運動が、それぞれの特色をもって、各国に現出した事は、何人と雖も否定出来ない事実である。
(一)既に伊太利にはムッソリニ―一派が政権を握り、その政策を遂行してゐる。伊太利に於けるファッショ独裁は、ロシヤに於ける共産主義の実現とともに、世界の興味の中心にある。
(二)ドイツに於ては、ファッショ政党として、(イ)アドルフ、ヒットラーの『民族社会主義ドイツ労働党』(ロ)ヒューゲンベルグの『ドイツ民族国民党』(ハ)ドイツ民族国民党から分裂した『保守国民党』(ニ)『ドイツ青年団』の政党たる『国民民族同盟』の四つがあるが、その中最も有名なのはヒットラー一派のナチス運動だ。
(三)フランスに於ては、『アクション、フランセーズ』及びヴァロアの〔フェーソウ〕及び『愛国青年団』とがファッシズム運動の中心をなしてゐる。殊にヴァロアの運動が失敗したのに引き換へ、一九二四年愛国連盟の一翼として創設された『愛国青年団』はフランスのファシズム運動の中心をなすに至り最も注目されてゐる。
(四)イギリスに於て最も有名なのはオスワルド、モズレーの『新政党』である。また最近頻々として起った自由党並に労働党の分裂は、日本に於ける既成政党並に合法無産政党の分裂と同様、各政党内に於けるファッショ転向を意味するものである。
(五)その他アメリカにも、最近革命を伝へられ、スペインにも、ポーランドにもオーストリヤにも、それぞれファッシズムの運動は見られる。
かくしてファッショは、いまや全世界に於ける流行児となったといふ事が云へるのだ。
座間勝平「日本フアッシヨ運動の展望」1932年
※座間は「国民新聞社編輯顧問、国民新聞社前編輯局長」
※座間は「国民新聞社編輯顧問、国民新聞社前編輯局長」
現代日本に於けるファッシズム
現代日本に於ては、ファッショといふ言葉は極めて広い意味に於て用ひられ、時には、単なる反動といふやうな意味にまで用ひられてゐる。だが筆者が本書に於てファッショといふ意味は、その運動の目的として(一)天皇中心主義の政治、(二)既成政党の排撃、(三)資本主義経済組織の変革、(四)国家統制経済の実現、(五)亜細亜民族の解放等を掲げてゐるものを云ふのであって、その意味に於けるファシストとしては、国家社会主義の諸団体並に既成政党内部に於ける中野正剛氏一派の社会国民主義、及び従来の国粋団体等を指すものである。即ち、更にルーズな規定に従へば、本書に於ては広い意味に於ける日本主義愛国主義、国家主義の運動を指して、ファッショと称してゐる事を予め断って置く。(8頁)
日本のファシズムは国体思想が根本にあったので右翼とされた
日本警察社編「思想警察通論 改訂増補」1940年
日本警察社編「思想警察通論 改訂増補」1940年
右翼主義運動に対する取締(445頁〜)
我国の国家国民主義及ファシズム的運動は其の根本指導原理(イデオロギー)に於ては我国体精神或肇国の原理に適合せざる一切の弊害欠陥を除去し以て皇国の真髄を発揚せんとするものである故に其の精神に於ては何人と雖異存はあるべき筈なきも、其の具体的、行動、主張、政策等に於て適正妥当なりやと言ふに疑しきもの少なしとせず、…
当時の日本でどういう思想・運動がファッショ(ファシズム)と呼ばれていたかを見ると、おおよそ次の特徴を備えている。
- 特徴1.国粋主義(国民主義・国家主義・民族主義)
- 特徴2.反共産主義
- 特徴3.行過ぎた資本主義への反感、統制経済志向
- 特徴4.反既存政党・反政党内閣・脱議会
- 京都帝大助教授黒田覚「先きに私はファッショの根本性格をその反民主主義、反議会主義と、その反マルクス主義的社会主義共産主義との二方向に求めた。」(特徴4・2)(大阪時事新報1933年)*1
- 「ファッショ的傾向は…資本主義を世界の経済恐慌の前に維持して行くためには今までのような組織では駄目だからもっと引き締った統制経済で行かなければならぬと云う論が盛になって来た」「何も出来ない議会政治や政党政治では駄目だ。もっとビシビシやってのける強力な独裁政治でなければならぬと云う考えが盛になり世界各国ともこの傾向の運動が起り、また団体が出来てきた」(特徴3・4)(国民新聞1932年8月8日)*2
- 「ファッショという語は…議会を骨抜きにしてしまって、議会から超然と立つ内閣を組織しようというにあるらしい。これをもっと実際的にいえば、政友民政両党を尻目にかけて、中間内閣を組織しようという位のことであるらしい。少くとも、それがいまファッショ運動の上層をなす人達の狙い所ではないかと、世間は思っているようである。」(特徴4)(大阪毎日新聞1932年5月15日)*3
- 衆議院議員小池四郎「強権の力によって金融資本を打ち倒し、議会制度の代りに独裁制を樹立しようと云うのが、ファッショであると断定することは冷静な正しい客観的解釈であると云っていいと思う。」「ムッソリニもヒットラーも今では少くとも社会主義的の香気をさえ失って了っているそして残ったものは唯徹底的なる国民主義乃至国家主義以上の何ものでもない。」(特徴3・4・1)(時事新報1932年4月)*4
- 「久しく我国の社会思想運動を独占していたマルクス主義、社会民主主義の人気を一度にさらって、日本主義、国家主義、所謂ファッショ全盛時代を招来した訳である。」(特徴1)(大阪時事新報1932年12月)*5
- 「我国のファシズムは、邪道に陥れる資本主義を排撃するが、本質的資本主義を否定するものではないようだ」(特徴3)(京城日報1932年3月20日)*6
当時の右翼団体はこれらの特徴を満たしていた(と見られていた)ので、一般にファッショ(ファシズム・ファッシズム)と呼ばれていた。*8*9*10*11*12
国民新聞 1932.5.16 (昭和7)
浮出た平沼男の顔
国本社を柱幹に軍部の支持でファッショ全派を率ゆ
議会浄化の戦き(2)
大阪時事新報 1932.7.17 (昭和7)
雄々しくも生る!其名も日本ファッショ明倫会
国家的義憤に燃え自ら国難打開に当る 一切の政党と不正財閥排撃
祖国愛の善政を宣誓
「日本ファッシズム連盟」*13は機関誌「ファッシズム」を刊行したが、これは右翼自身がファッショを自認していた例である。
また勤王連盟本部が出版した「フアツシヨと皇国の将来」(1933年)では自らの団体「勤王連盟」をファシズム団体に含めており*14、これもファシズムを自認していた例である。
また大日本正義団*15の創設者酒井栄蔵は「イタリーのムッソリーニに猛烈に私淑し、正義団員に黒シャツを着用せしめ」*16ていた。
愛国青年同盟は緑色シャツだった*17が、緑シャツ隊はフランス*18やアイルランド、エジプト、ブラジルのファシスト運動と共通する(→ファシズム)。
一方で明倫会副会長奥平俊蔵陸軍中将は、自分たちはファシズムではないと否定している。*19
国本社の荒木貞夫陸軍大臣も「荒木はファッショをやるのではないかというが自分はファッショではない」*20と否定しており、(おそらく独裁制のイメージが強いため)ファシズムと呼ばれたくないという思いを持つ右翼もいたようである。
ただし明倫会も国本社も世間ではファッショと見られていたのは上で示した通りである。
また勤王連盟本部が出版した「フアツシヨと皇国の将来」(1933年)では自らの団体「勤王連盟」をファシズム団体に含めており*14、これもファシズムを自認していた例である。
また大日本正義団*15の創設者酒井栄蔵は「イタリーのムッソリーニに猛烈に私淑し、正義団員に黒シャツを着用せしめ」*16ていた。
愛国青年同盟は緑色シャツだった*17が、緑シャツ隊はフランス*18やアイルランド、エジプト、ブラジルのファシスト運動と共通する(→ファシズム)。
一方で明倫会副会長奥平俊蔵陸軍中将は、自分たちはファシズムではないと否定している。*19
国本社の荒木貞夫陸軍大臣も「荒木はファッショをやるのではないかというが自分はファッショではない」*20と否定しており、(おそらく独裁制のイメージが強いため)ファシズムと呼ばれたくないという思いを持つ右翼もいたようである。
ただし明倫会も国本社も世間ではファッショと見られていたのは上で示した通りである。
