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kannrininn 2021年12月28日(火) 06:14:17履歴
1939年7月22日付で関東軍参謀長磯谷廉介から陸軍次官山脇正隆に提出された「ノモンハン事件より得たる地上部隊編成装備に関する意見提出の件通牒」では「第二十三軍の有する野砲、十二榴に対し敵は十五榴十加特に十五加(一大隊九門にして射程三万米)を有し対砲兵戦に於ては到底太刀打困難にして我が死傷の過半は右砲弾の爆瘡に依るものと判断しあり」と述べている。*1
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