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kannrininn 2024年08月12日(月) 09:20:01履歴
シャルル・ダレ「朝鮮事情」1874年 (東洋文庫)
山内民博「近世朝鮮の周縁的集団と史料 : 戸籍史料・裁判史料からの接近」
は丹城県都山面・蔚山府青良面の戸籍を検討しこう述べる
奴婢の数は、こんにちでは昔よりはるかに少なくなっており、なお減りつつある。少なくとも、中部地方〔京畿・忠清道あたり〕の有力な両班の家以外では、もう奴婢をほとんど見かけることはない。(210頁)
山内民博「近世朝鮮の周縁的集団と史料 : 戸籍史料・裁判史料からの接近」
は丹城県都山面・蔚山府青良面の戸籍を検討しこう述べる
「賤身分(奴婢)戸主の数は…18世紀後半になると急減し、19世紀には消滅に近い」
「18世紀後半には奴婢戸主も多くが姓を称し」(共に68頁)
それは大昔、何百年も前の事で、それ以降は記録が無いようである。
シャルル・ダレ「朝鮮事情」1874年 (東洋文庫)
シャルル・ダレ「朝鮮事情」1874年 (東洋文庫)
朝鮮人は一般に、一六三七年の条約の一項を、満州人が中国を失って自国に引っ込まざるをえなくなった場合を見越して用意されたものだと認識してゐる。その場合、朝鮮は、三千頭の牛と三千頭の馬、それに莫大な金額を彼らのために用意せねばならず、さらに選り抜きの娘三千人を送り届けねばならず、朝鮮ではいつも諸道にそれだけの女婢をかかえているが、これは、必要な場合に条約の該項を遂行するためだといわれている。しかし、いかなる宣教師も、ついにこの点に関する公的史料を発見することはできなかった。(39頁)
