最終更新:
kannrininn 2024年02月10日(土) 09:48:37履歴
「日本軍の実態#上下関係と敬礼への過度のこだわり」も参照
- 1943年1月に赤紙で召集され松本の歩兵第50連隊に入営した元兵士は「初年兵はどこを向いても上級者ばかりですから敬礼の手が上りっぱなしです」と回想する。*4
- 1943年4月に熊本の西部第21部隊野砲隊に現役入隊した元兵士は「…やっと馬の手入れが終わるのです。それから野砲・小銃・帯剣・軍靴の手入れをします。手入れ中にもし古参兵の一等兵が通ると、手入れを止めて起立、拳手の敬礼をします。何度会ってもしなければなりません。わざと初年兵の手入れ中に、通る古参兵もいました」と回想する。*5
- 1943年に役場勤めから召集され5月1日鳥取中部第47部隊に入営した元兵士は「日曜の外出には…鳥取市内にて喫茶店、映画、市内ぶらぶら。何時でも上官に出会えば敬礼、欠礼すれば大変、初年兵は外出しても敬礼演習のようなり」と述べている。*6
- 1942年7月4日付陸軍省副官通牒では「見習士官及少尉候補者」と「准士官」の間の敬礼について「疑義の向あるも」という認識を示し、「准士官は見習士官及少尉候補者に対し敬礼すべき」とした。*11
- フィリピンの第16師団の1942年7月「参謀長の巡視の際に於ける口演要旨」では、外国人との敬礼トラブルに言及している。*14
以下二三、師団長の御心配になって居られる事項を伝達する。 一、比島人の習慣を克く知ることが大切である。又言葉使も考へてやらねばならん。或る比島人の街で警備に任じてゐる日本軍が比島人の敬礼が悪いと云って殴打した兵がある。敬礼が悪い事ですぐ殴打する様な事は止めて「こうやって敬礼をするのだと教へて呉れ」教へて呉れれば敬礼をすると答へた比島要人がある。こんな事で意思の疎通を欠かない様にせられたい。
- インドネシアの元南方特別留学生も「民政部の前を通るときには、そこに立っている兵隊さんにお辞儀をしなければならないのです。・・・お辞儀をしないとビンタです」と回想している。*15
