1910年韓国併合条約

１．時系列

	日本内部の動き	日韓交渉経緯
1907年
4月6日	本野一郎駐ロ公使が日露協商案について、韓国を「annexation」する将来的な可能性の明記を具申*1
4月12日	林董外務大臣から伊藤韓国統監宛。「まだその時機ではないと本野に指示したいが、どうか。」の旨*2
4月13日	伊藤から林へ返答。アネキゼーション明記を主張*3
4月16日	アネキゼーション問題で閣議決定。ロシア側の意思を確認すべき旨*4
4月18日	林外相から伊藤へ。アネキゼーション問題で元老と熟議した結果、ロシアの意思を確認すべき旨*5
1909年
3月30日以前	小村寿太郎外相より倉知鉄吉外務省政務局長へ、韓国問題に関する方針の文案起草を指示。*6
3月30日	小村外相から桂首相へ併合方針の草案提出。(註６参照)
4月10日	桂首相、小村外相が伊藤博文韓国統監と会談。伊藤が併合案に同意。*7
6月	韓国統監が伊藤博文から曽祢荒助に
7月6日	韓国併合方針を閣議決定。*8
7月下旬	小村外相が桂首相に韓国併合の詳細に関する意見書提出し、桂が閣議に付し閣僚一同賛意。*9
1910年
2月上旬以前	山県有朋、桂太郎首相、寺内正毅陸相で韓国併合につき協議。「実行は議会閉会後」*10
5月30日	韓国統監が曽祢から寺内正毅陸相に。寺内は陸相兼統監。*11 副統監は山県伊三郎。
6月3日	閣議で韓国併合後の施政方針を決定。（註１１参照）
6月24日・30日		日本が韓国の警察権を接収。*12
6月下旬～7月7日	首相官邸で併合準備委員会開催。*13
7月8日	併合条約案・詔勅案・宣言案等を閣議決定。併合後の呼称を「朝鮮」とすることも併せて決定。 (註１１・１３参照)
7月12日	桂太郎首相より寺内正毅韓国統監へ通牒。韓国併合『処理』を指示。*14
7月23日	寺内統監が「重要の訓令を帯び」京城到着し着任。*15
8月4日*16		李完用韓国総理の私設秘書李人植が小松緑韓国統監府参与官兼外務部長17を訪問。小松が併合方針を明言**18
8月8日		李人植が小松を訪問。李完用の意向を伝える。*19
日時不明	小松緑が李人植との会談を寺内統監に報告。*20
日時不明		寺内が国分象太郎を使者に出し李完用を招く。(註２０参照)
8月13日	寺内統監から小村外相宛電報。翌週より併合交渉開始し週末完了予定と。*21
8月14日	小村から寺内宛電報。本国の準備は整っている旨。*22
8月16日		寺内が李完用韓国総理を統監官邸に呼び併合交渉開始
〃	寺内より小村宛電報。第1回交渉を行った旨。*23
8月18日		寺内が李に条約案、全権委任状案を提示
8月22日		併合条約調印
〃		寺内・李の「覚書」で皇帝詔勅などは「双方打合」*24
8月27日	寺内より小村宛電報。韓国皇帝詔勅が決定と。*25
〃	寺内から小村宛電報。韓国皇帝詔勅を修正と。*26
8月29日		条約公布、韓国皇帝名「詔勅」と日本天皇名「詔書」発表

２．韓国から併合を望んだという嘘

併合前年1909年7月6日には日本政府（桂太郎内閣）が「適当の時機に於て韓国の併合を断行すること」と閣議決定しており、併合を望んでいたのは日本であった。*27

３．日本側が韓国総理を呼び出して併合交渉開始、日本が条約案・全権委任状案を用意し韓国側に提示

併合後の1910年11月、朝鮮総督寺内正毅は、併合の経緯をまとめた「韓国併合始末」を桂太郎首相に提出している。*28
それによると同年8月16日に寺内が李完用を韓国統監官邸に呼び出し併合交渉開始、二日後の18日には寺内が李に条約案と委任状案を提示した。

韓国併合始末

八月十六日を以て内閣総理大臣李完用を統監邸に招き……両国相合して一体と成り以て政治機関の統一を図るの外なき理由を説示し（6・7画像目）

翌十八日之に対する裁可を得たるに依り其の趣を李完用に伝達し……且条約案を提示して之に詳細の説明を加へ尚ほ韓国皇帝は内閣総理大臣を条約締結の全権委員に任命せらるるを以て正式の順序と為すが故に左案の趣旨に依り勅命（※委任状）を発せらるべき必要あることを告げ置けり。
（※以下委任状案）朕東洋の平和を鞏固にせむが為日韓両国の親善なる関係に鑑み相合して一家となるは相互万世の幸福を図る所以なるを念ひ茲に韓国の統治を挙げて之を朕が最も信頼する大日本国皇帝陛下に譲与することに決したり依て必要なる条章を規定し将来に於ける我皇室の安寧並に生民の福利を保障せむが為め内閣総理大臣李完用をして大日本帝国統監寺内正毅と会同し商議協定せしむ（18・19画像目）”

併合条約調印当日8月22日に実際に出された全権委任状と比較すると、ほぼ同一文面であることが分かる。

8月18日に寺内が提示した全権委任状案

8月22日付の実際の全権委任状

朕東洋の平和を鞏固にせむが為日韓両国の親善なる関係に鑑み相合して一家となるは相互万世の幸福を図る所以なるを念ひ茲に韓国の統治を挙げて之を朕が最も信頼する大日本国皇帝陛下に譲与することに決したり依て必要なる条章を規定し将来に於ける我皇室の安寧並に生民の福利を保障せむが為め内閣総理大臣李完用をして大日本帝国統監寺内正毅と会同し商議協定せしむ

朕東洋平和を鞏固ならしむる為韓日両国の親密なる関係を以て彼我相合し一家をなすは互相万世之幸福を図る所以なるを念ひ玆に韓国の統治を挙げ此を朕が極めて信頼する大日本国皇帝陛下に譲与することを決定し仍ち必要なる條章を規定し将来我皇室の永久安寧と生民の福利を保障する為め内閣総理大臣李完用を全権委員に任命し大日本帝国統監寺内正毅と会同して商議協定せしむ諸臣亦朕が意の確断したる所を体し奉行せよ*29

４．「韓国が日本に譲与」の条約文言＝「韓国からお願いした」ではない

韓国併合条約の表現「統治権を日本に譲与」は当時としても特別なもの・目新しいものではなく、むしろ類型的・慣例的なものだった。
日清戦争の下関条約（1895年）では第２条「清国は左記の土地の主権並に該地方に在る城塁兵器製造所及官有物を永遠日本国に割与す」とある。
また日露戦争のポーツマス条約（1905年）では第５条「一切の権利、特権及譲與を日本帝国政府に移転譲渡す」「一切の公共営造物及財産を日本帝国政府に移転譲渡す」第９条「一切の公共営造物及財産を完全なる主権と共に永遠日本帝国政府に譲与す」とある。
韓国併合条約の文言「韓国が一切の統治権を完全且永久に譲与」とほぼ同じ表現であることが分かる。
日本以外の例を見ても、英国がニュージーランドを獲得したワイタンギ条約（1840年）ではマオリ族が英女王に「absolutely and without reservation（引用者注：完全かつ無条件に）」譲渡するとあり、これもやはり韓国併合条約と同様の文言である。
「下関条約にこう書いてあるから清から台湾をもらってくれとお願いしたのだ」「ポーツマス条約がこうだからロシアから旅順大連樺太をもらってくれとお願いしてきたのだ」「マオリ族からニュージーランドを献上したのだ」とはならない。むしろ嫌々であろう。それと同様に、「韓国併合条約にこう書いてあるから韓国からもらってくれとお願いしたのだ」とはならないのである。

1840年	ワイタンギ条約	マオリ族が英女王に完全かつ無条件に譲渡する
1895年	下関条約	清国は左記の土地の主権並に～を永遠日本国に割与す
1905年	ポーツマス条約	第9条　露西亜帝国政府は～一切の公共営造物及財産を完全なる主権と共に永遠日本帝国政府に譲与す
1910年	韓国併合条約	韓国皇帝陛下は韓国全部に關スル一切の統治権を完全且永久に日本国皇帝陛下に讓与す

５．韓国皇帝から李完用への「全権委任状」の意味

全権委任状とは何か

全権委任状とは「外交使節が条約を結ぶ交渉にあたる場合、その条約について交渉し、署名する権限をもつものであることを正式に証明する公文書。」*30
つまり条約締結に際して自国代表に持たせる文書であり、「この者は確かに自国の代表であり。この者が条約にサインします」と示す身分証・資格証明書である。以下具体例を挙げる。

日華平和条約（1952年）

日本国及び中華民国は、その歴史的及び文化的のきずなと地理的の近さにかんがみ、善隣関係を相互に希望することを考慮し、その共通の福祉の増進並びに国際の平和及び安全の維持のための緊密な関係が重要であることを思い、両者の間の戦争状態の存在の結果として生じた諸問題の解決の必要を認め、平和条約を締結することに決定し、よつて、その全権委員として次のとおり任命した。

日本国政府　河田烈中華民国大統領　葉公超

これらの全権委員は、互にその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次の諸条を協定した。第一条　日本国と中華民国との間の戦争状態は、この条約が効力を生ずる日に終了する。（以下省略）

日本国とエティオピアとの間の友好条約（1957年）

日本国政府及びエティオピア皇帝ハイレ・セラシエ一世陛下の政府は、
幸に両国間に存在する友好関係を強化することを希望して、友好条約を締約することに決定し、そのため、次のとおり全権委員を任命した。

日本国政府
　　エティオピア駐在日本国臨時代理公使　　山津善衛
エティオピア皇帝ハイレ・セラシエ一世陛下の政府
　　エティオピア副総理大臣外務大臣　　　　アクリル・アブテ・ウォルド

これらの全権委員は、互にその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次の諸条を協定した。
第一条
日本国とエティオピアとの聞及び両国の国民の間には、永久の平和及び永続する友好関係が存在するものとする。
（以下省略）

このように全権委任状とは、条約締結国の全権委員が互いに提示しあい、その者が確かに全権委員であり国家代表として条約署名権限をもつことを確認するための書類である。
つまり全権委任状とは「相手国に自国の全てをゆだねます。相手国に自国の全てをお任せします。相手国に自国をお譲りします」という意味ではない。
以下具体例を挙げる。

（例１）日露戦争のポーツマス条約に際し、日本は外務大臣小村寿太郎と駐米公使高平小五郎の両名を全権委員に任命し、全権委任状を出した。これは「小村と高平が日本代表であり、条約に署名する資格がある」と証明するだけであり、「ロシアに全てをゆだねます、ロシアに全てお任せします、ロシアに日本国をお譲りします」という意味ではない。

（例２）太平洋戦争後の戦艦ミズーリ上での降伏文書調印に際し、日本は外務大臣重光葵と参謀総長梅津美治郎の両名を全権委員に任命し全権委任状を出した。これは「重光と梅津は日本代表であり、降伏文書に署名する資格がある」と証明するだけであり、「日本から降伏をお願いします。連合国に日本国をお譲りします」という意味ではない。

韓国併合条約の全権委任状

韓国併合条約に際し韓国皇帝から李完用に出された委任状についても、上述の例と同様の単なる身分証・資格証であって、「日本国に韓国の全てをゆだねます、韓国の全てをお譲りします」という意味ではない。

６．韓国皇帝の勅諭について

8月29日付で発表された韓国皇帝名の「詔勅」は、韓国統監府＝日本の手が入っている

韓国側では皇帝の「詔勅」文案が作成された。これは寺内・李「覚書」（史料60）で「双方打合」としていたから統監府が作成・交付にかかわったと見られる。（海野福寿「外交史料　韓国併合（下）636頁)

７．評価その他

ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」2005年
一九一〇年、日本が韓国を併合したのは、新皇帝が「請願（振り仮名「ピティション」）」したからだった。（258頁）…いまになってみれば、日本が韓国を「奴隷化した」ことは明らかだ。日韓相互防衛のため、自国を併合してほしいと日本に要請した韓国皇帝の「請願」は侵略を糊塗するための法的擬制（振り仮名「リーガル・フィクション」）であることも明らかだ。（262頁）

大隈重信は韓国併合後、「朝鮮の日本に併有さるべき事は決して今日の問題にあらず。ポーツマス条約の締結当時に於て疾く既に決定し居たり」と述べた。*31

*1 : 日本外交文書デジタルアーカイブ第40巻第1冊、121頁。“四月六日　在露国本野公使より林外務大臣宛（電報）　日露協約の日本案中韓国に関する規定に付意見上申の件　第九五号　貴電第三三号（註　一〇九文書の別電）に関し協商案第四条韓国に関する規定中 further development 云々の語はもともと該条文を公にする積りにて特に婉曲なる文字を用ひられたるものならんも今や之れを秘密になす以上は他日の誤解を防ぐ為め右の文字は判然　annexation にも及ぶ意義なることを明かになし置こと必要なるべし尤も今更条文を修正することは不得策なるべきに付秘密外交文書を以て此主意を露国政府に通じ其承諾を取り置くこと然るべしと信ず”
*2 : 日本外交文書デジタルアーカイブ第40巻第1冊、122-3頁。“四月十二日　林外務大臣より伊藤韓国統監宛（電報）　日露協約の露国対案に関する本野公使宛電訓案に付協議の件　（中略）別電第三七号の趣意を以て本野公使に電訓したき考なり右に対する御意見ご電報を請ふ（中略）第三七号…（二）…貴電第九五号稟申の御意見に関しては帝国政府が結局韓国を併合するの意思なる旨を此際他国に通知するは其の何国に対するを問はず未だ機宜に適せざるものと思考し我対案第四条に於ける「将来の発展（※further development）」なる語に対し其の意義を限定するの必要を認めず”
*3 : 日本外交文書デジタルアーカイブ第40巻第1冊、124頁。“四月十三日　伊藤韓国統監より林外務大臣宛（電報）…一、韓国に関する条項は本条約中に規定して発表し之に加ふるに本野公使の稟議の如く公文を交換して「将来の発展」なる語は「アネキゼーション」迄も包含する旨を明かにするを最も得策なりとす已むを得ずして本条項を秘密協約に移すも尚本野公使の稟議を採用するの必要ありと認む韓国の形勢今の如くにして推移せば年を経るに従って「アネキゼーション」は益困難なるに至るべし故に今日に於て我意思の在る処を明かにし予め露西亜の承諾を得置かざるべからず”
*4 : 日本外交文書デジタルアーカイブ第40巻第1冊、124-5頁。“四月十六日　閣議決定…「将来の発展」なる語に対し外交文書を以て其意義を明定すべき旨貴電第九五号の貴見に関しては帝国政府は追て露国政府の同意を得べきことを十分に確信するに至るまで斯の如き趣旨の提議を通告するを不得策なりと思考す（以下略）
*5 : 日本外交文書デジタルアーカイブ第40巻第1冊、127-8頁。“四月十八日　林外務大臣より伊藤韓国統監宛（電報）…日露協商問題に関し一昨日各元老列席の上熟議を尽し貴電第一五号の御意見（※4月13日の伊藤の意見）をも篤と考量し左の通決定せり（一）韓国合併に関して此際露国の明白なる承認を得るは御意見の通望ましきことなるも露国に本件を提議するに先ち尚一応之に対する露国の意向に関し本野公使の観察せる所を問合はせたる上にて何分の決定を為すを安全の策と思考す…露国外務大臣が従来本野公使との会見に於て之に関し如何なる程度迄言質を与へたるや又之を提議するに於て露国の同意を得べき確実なる見込あるかを本野公使に確むることに決せり
*6 : 小松緑「朝鮮併合之裏面」1920年、15-17頁。
“覚書
明治四十二年春曽祢子爵の伊藤公爵に代りて統監に任ぜらる内議ある際右交迭に先ち韓国問題に関する我大方針を確立し且之を文書となし置くことを必要なりとし小村外相より自分（当時政務局長）に右文案の起草を命ぜられ且本件に関する外相の意見の大要を指示せられたり自分が右指示に基き立案し更に同外相の意見に依り之に修正を加へ遂に確定草案となりたる即ち別紙第一号方針書及施設大綱書なり
　該案は三月三十日を以て外相より桂首相に提出せられたるも当時右は最機密として取扱はれ之に関し何等記録の残留するものなし然れども小村外相の自分に語られたる所に依れば外相は右に対し桂首相の同意を得たる後相携へて伊藤公（当時統監）を訪問し本件に関する熟議を遂げんことを欲し四月初め毛利公爵邸園遊会の折同公と訪問の約をなし尋て四月十日桂小村両相伊藤公に会見し意見を述べ窃かに或は同公より議論の出づべきことを期したるに公は以外にも右に対し同意の旨を明言せられ両相は格別の論議をなさずして同公邸を辞せられたりと云ふ
　然るに該案は尚久しく之を極秘に付せられ同年七月六日に至り初めて之を閣議に付して各大臣の署名を得且同日陛下の御裁決を経たりと記臆す（以下略）
以上　大正二年三月十日　倉知鉄吉”
*7 : 小松緑「朝鮮併合之裏面」1920年、第二章「霊南坂の三頭密議」8～12頁。
“朝鮮併合の廟議は、何時確定したる乎といふに、それが、正式の閣議を経て、天皇陛下の御裁可を得たのは、明治四十二年七月六日であるが、此の時より約三箇月以前の四月十日に、当時の総理大臣桂太郎と、外務大臣小村寿太郎とが、相与に統監伊藤博文と赤坂霊南坂の官邸に会見し、朝鮮併合の実行方針を協議した時を以て、廟議が確実に決定したことゝ認むべきである。此の事実は、当時無論極秘に付せられてゐたから、従来世間に知られなかった。それ故へ、伊藤公が、若し哈爾賓に於て変死しなかったならば、朝鮮併合は、爾かく急速に実現しなかったであらうなどと言ふ人が、今尚ほ内外に少なくない。それは、全然誤解であるが、世間にかういふ感想を懐く者の少くないのは、必ずしも無理でない。桂首相や小村外相でさへも、霊南坂会見の時までは、伊藤公が飽くまで漸進主義を固持して居られたやうに思ひ込んだのである。
　此の隠れたる会見事情は、今日に於ける誤解を釈く為めにも、又後世史家の参考資料としても、精確に語る価値あるものと、吾輩は信ずる者である。
　　霊南坂会見の当日が、明治四十二年四月十日とすると、伊藤統監の辞職に先だつこと約二箇月、併合実行の時から一年四箇月以前になる。吾輩は、此の時京城に居ったので、此の会見の事を知らなかったから、其の内容と時日とを確むる為めに、其の後ち単に伊藤統監及小村外相から聞いた断片的の直話のみに満足せず、更に後日の確証を得て置きたいと思って、当時の政務局長後ちの外務次官倉知鉄吉から覚書を手に入れた。此の覚書は、吾輩の私信に対する回答である上に、今日では、秘密文書の性質を失って、却って有力なる史料と認むべきものとなったから、其の全文を本章の末尾に添付することにした。其の中には、霊南坂会見の内容及時日のみならず、併合といふ文字を創作した苦心談も述べてある。
　元来、朝鮮の併合は、独り内政上の重大事件なるのみならず、或は容易ならぬ外交問題の起るべき可能性を持ってゐたものである。随って要路の責任者中異論があっては、到底円滑に其の目的を達することができない。当時山縣有朋は、枢密院議長として、初から朝鮮併合の議に与かり、賛成者といふよりも、寧ろ主唱者であった。肝腎の伊藤統監は、由来温和主義の政治家で何時も急激の政策に反対する性格を持ってゐた。故に朝鮮併合の提案に対し縦し主義に於て反対しないとしても、其の時機や、順序や、条件などに就ては、必ず種々の議論を持って居られるであらうとは、桂首相及小村外相が、心竊かに期待した所であった。そこで、両相が相携へて、当時恰も辞職の意を決して上京されてゐた伊藤統監を訪ふ時には、公と大議論を闘はす積りで朝鮮併合の万止むを得ざる理由及事情を立証すべき書類を充分に取り纏め、斯く問はれたらば、斯く答へむ、爾かく難詰せられたらば、爾かく弁明せんなどゝ、千々に心を砕いたといふことである。愈々伊藤統監に面会して、桂首相先づ口を開いて、朝鮮問題は、同国を我国に併合するより外に解決の途がない旨を告げると、伊藤統監は、案外にも、それは至極御同感ぢゃと言はれる。そこで、小村外相から、実行方針として、条約の締結や、王室の処分法等を述べて、公の意見を叩かれた。伊藤統監はそれを傾聴し、説明も求めず、質問も発せず、其れも好し、此れも可也とて、悉く同意を表せられた。是に於て、桂首相も小村外相も、今まで緊張した力も抜けて、意外の感に打たれた。同じ拍子抜けでも、これは、失望ではなく、得意の方であったから両相は、伊藤公の大量に敬服して退出したといふことである。此の事実は、吾輩が小村外相より親しく聞いた所であり、又倉知次官の手記した覚書の語句に徴しても、誤りのないことが判る。”
*8 : アジア歴史資料センター、レファレンスコードA03023677700、「韓国併合ニ関スル閣議決定書・其三」、2画像目。“第一、適当の時機に於て韓国併合を断行すること”
*9 : 外務省蔵版「日本外交文書別冊　小村外交史　下」新聞月鑑社、1953年、382-383、385頁。“小村は、併合実行の時機如何は予測し難きも、何時好時機の到るやも知れざるに鑑み、これに応ずる手筈を定め置くの要ありとし、併合断行の順序方法等の細目に就て更に推敲を重ね、すなわち韓国併合の宣布、韓国皇室の処分、韓国将来の統治、対外関係等に亘る諸項を詳に具した意見書を七月下旬桂の手許に提出した。”　“桂は次で小村の意見書を閣議に付し、閣僚一同これに賛し、なお別に併合の条約締結の形式によつて行われない場合の措置をも攻究する所があつた。”
*10 : 統監府文書10巻・二四・統監上京中往復書類・(23) 韓國合邦に対する李・宋會見內容報告件“明治四十三年二月二十日午後０時三十分京城発　（前略）宋（※宋秉畯）李（李容九）の会見は十数日以前山県侯から首相寺内陸相との協議に依り愈韓国合併のこと決せられ一進会従来の行動を是認し将来は帝国政府に於て引受け之を遂行すべしとの覚書の交付を受け且つ之れが実行は議会閉会後なるを以て之れに関し互に研究し置くべしとの口達ありたるに就き親しく相談の必要起りたるが為めと小官（※亀山理平太釜山理事庁理事官）並に警察署長に対し明言せり（後略）”　亀山の肩書などは「海野福寿編『外交史料日韓併合』667-668頁」
*11 : 外務省蔵版「日本外交文書別冊　小村外交史　下」新聞月鑑社、1953年、387-388頁。“政府は五月三十日統監の更迭を行い、曽祢を罷めて寺内陸相を統監に兼任せしめた。翌六月三日、閣議は併合後韓国に対する施政方針を定め、七月八日更に併合条約案、詔勅案、宣言案等の閣議が決定した。そして政府は韓国に関する外交関係その他の諸問題について万遺算なからしめんがため、別に柴田内閣書記官長、安広法制局長官、倉知外務省政務局長を委員としてこれが調査に当らしめ、その結果同委員は国称、朝鮮人の国法上の位地、朝鮮に於ける司法上の諸事項、外国居留地の処分、居留民団、外国人の土地所有権及び借地の将来、外国船舶及び輸出入貨物、朝鮮の債権債務、韓国勲章、官吏の任命、韓国皇室及び功臣の処分等に関する諸事項、その他朝鮮総督府の設置、旧韓国軍人の処分、旧韓国財政の処理、朝鮮に於ける法令の効力、関税等に関する法令案を具して内閣に復命し閣議は若干の修正を加えてこれを可決した。その国称に就ては、時の逓相後藤は、韓人の歴史的心理を顧念して高麗と称するの議を出したが、桂、寺内等の賛同を得ず、議は遂にこれを「朝鮮」と為すに決したものである。”
*12 : 外務省蔵版「日本外交文書別冊　小村外交史　下」新聞月鑑社、1953年、388頁。“我が政府は、時局の発展に処すべき先決問題として、韓国政府の警察機関を統監府に移すの要を認め、新任寺內統監は上京中の明石憲兵隊司令官をして案文を齎らして急速京城に帰任せしめ、統監府総務長官事務取扱の石塚参与官は旨を承けてこれを韓国政府に交渉し、六月二十四日韓国政府との間に警察事務委托に関する覚書を交換した。同月三十日、同政府は韓国警察官々制を廃止し、同時に我が政府は統監府警察官署官制及び韓国駐箚憲兵条例の改正に関する勅令を発し、明石憲兵隊司令官を以て統監府警務総長を兼ねしめ、全国の警察事務を挙げて憲兵の手に移した。”
*13 : 小松緑「朝鮮併合之裏面」1920年。“細心なる寺内統監は…啻に大綱のみならず、細目に渉ってまでも、予め明確に決定し、将来に於て、議論を容るゝの余地を防ぐために、一々箇条書を作り、正式の閣議決定を求めて置くことに極められた。…そこで、外交関係の事項は、外務省政務局長倉知鉄吉が主任となり、韓国関係の事項は、統監府外務部長たる著者が主任となって、原案を起草し、内閣、法制局、拓殖局等の主管者より成る併合準備委員会で、此の原案を議定することになり、六月の下旬から、七月の上旬にかけて、永田町の首相官邸に会合して、講究を重ねた。”（88-89頁）
　“併合準備委員会では、以上の重要事項の外、韓国に於て、諸外国の有する治外法権及居留地制度を、併合と同時に撤回せしむることや、我国に於て、韓国の債権債務を負担することや、併合後韓国の法令を日本法令として、其の効力を存続せしむることなど、総て二十一箇条を議定した。全部の会議を終ったのが、七月七日であった。此の原案は、翌八日に、閣議に提出されたが、即日悉く正式に決定された。併合準備委員会には、内閣書記官長も、法制局長官も、参加してゐて、終始、各省大臣と連絡を執ってゐたのであるから、閣議決定の手続は、単に形式に過ぎなかったのである。此の決定事項は、直ちに、寺内統監に通達されて、一種の訓令となったものである。それが即ち韓国併合の実行細目である。（章尾参照一）”（93-94頁）
　“（参照一）明治四十三年七月八日決定　併合実行方法細目　第一　国称の件　韓国を改称して朝鮮とすること　第二（以下略）”（98-99頁）
*14 : 朝鮮総督府「朝鮮の保護及併合」1918年、330頁。“桂総理大臣七月十二日付を以て寺内統監に通牒して曰く適当の時機に於て韓国併合を断行すべきは廟議の決定せる所なるを以て決行期日協定の上之が処理を為す所あるべしと”
*15 : 外務省蔵版「日本外交文書別冊　小村外交史　下」新聞月鑑社、1953年、388頁。“寺内は重要の訓令を帯び、最後解決の筹算を胸底に蔵して赴任の途に上り、七月二十三日着任した。”
*16 : 新城道彦「王公族の創設と日本の対韓政策 : 『合意的国際条約』としての韓国併合」、東アジア近代史14号、71頁。“八月四日に李完用首相の私設秘書である李人植が南山脚下の統監府官舎に小松を訪問した”
*17 : アジア歴史資料センター「植民地官僚経歴図
小松緑」“1909年12月統監府参与官兼外務部長”
*18 : 小松緑「朝鮮併合之裏面」1920年、124頁以降「第九章　深夜の密談」。“寺内新統監が、着任してからは、今夜始めて（李人植が小松を）来訪したのである。時間が余りに遅いので、吾輩（小松）は、只事ではあるまいと思った。…（李は）渠（かれ）の来訪が、純然たる自己の意思より出でたるもので、李完用又は趙重応と打合せたる結果でないこと、今夜の対話は、此の場限りの密談として、寺内統監の耳に入れて貰ひたくないことなどを、渠は、先づ以て特に注意した。…吾輩は、此の李人植の話を聞いて、是れは、誠に好い問題を持って来た哩と、心竊かに歓んだ。此の問題を推究して行くと李首相の併合に対する意向が、自然に判明するであらうと考へたからである。そこで、吾輩は、渠の話の途切れるのを待って、かう答へた。「吾輩は、細目に就ては、能く承知してゐない。よしんば、それを知ってゐたところで、今は言外すべき時機でないが、大体に於て日韓一家となること丈けは、確定して動かないと言ってよい。…李人植は、吾輩の言ふ所を、常にない注意を以て聴いてゐたが、吾輩の話が終ると、直ぐかう言った。「併合の実行問題に付ては、貴君らが、専ら関係して居らるゝことゝ諒解してゐますから、只今のお話は、一場の閑談ではなく、日本政府の大体方針を語られたことゝ考へられますが、…
*19 : 小松緑「朝鮮併合之裏面」1920年、140-141頁。“やうやく四日目の八日になって、又夜遅く（李人植が）やって来た。…渠（かれ）は（四日前の）談話の大要を、李（完用）首相に伝へたところ、李首相は、一々首肯されたのみで、各事項に対し、可否の意見を加へられなかったが、唯々最後に、余り永引くと、意外の故障が起るかも知れないから、一日も早く、時局を片付けた方が得策であらうと言はれた。それ丈けを、特に報告すると語った。そこで、吾輩は、それは、如何にも御尤もなる御注意であるから、早速寺内統監に伝へる旨を答へたのみで、外に何も話をせずに別れた。”
*20 : 小松緑「朝鮮併合之裏面」1920年、1141頁。“吾輩は、李人植の挨拶を、寺内統監に告げた上、最早談判開始の時機が熟したものと思はれる旨を付け加へた。そこで、寺内統監は、使者を立てゝ李首相を招かれた。此の使者は、曾て京城の日本公使館に通訳官として永らく在勤し、統監府になってから、人事局長に就任してゐた国分象太郎であった。国分は、使の事であるから、勿論、談判の内容には触れなかったが、先づ日韓併合の件に関し面会したしとの統監の意を伝へ、更に世間の注視を避ける為めに、夜中にても、統監邸に来られてはどうかと注意した。すると、李首相は、夜中に往復すると、却って世人の疑を招く恐れがあるから、寧ろ白昼公然趙重応と共に訪問致す方がよからう、幸ひ日本に於ては、例年にない大洪水があったといふ事であるから、統監を通じて日本皇室に水害の見舞を申上げると云ふ事にして伺はふと答へた。”
*21 : 日本外交文書デジタルアーカイブ第43巻第1冊、675頁。“八月十三日　寺内韓国統監より小村外務大臣宛（電報）　韓国併合条約交渉開始及其完結期の予定に関する件　第二五号　予て内命を受け居れる時局の解決は来週より着手したし別段の故障なく進行するに於ては其週末には総て完了せしめ度意見なり就ては在京中協議済なる条約案に基づき交渉を開始すべきも該案中の文字多少修正を要することあるべく其重要なるものは更に御協議に及ぶべし右完結の際に当り貴省に於て執らるべき手続は総て準備整ひ居ることと信ずるも御都合如何折返し電報ありたし”
*22 : 日本外交文書デジタルアーカイブ第43巻第1冊、676頁。“八月十四日　小村外務大臣より寺内韓国統監宛（電報）　韓国併合実行の際外務省が執るべき手続の準備整ひ居る旨解答の件　第四一号　貴殿二五号に関し　併合実行の際当省に於て執るべき手続に付ては準備総て整ひ居れり尤も条約締結の上は内に於ては之を枢密院に報告するを要し外に対しては条約の内容を通告し併せて既定の宣言をなすの必要あるを以て御出発前御打合致し置きたる通条約の調印と公布との間に若干の日子を存し且併合の効力を実際に生ぜしむるは帝国政府に於て条約を交付したる日より初むることと致したく尚調印と公布との間の日数は約一週間を要する見込に付右御含置を乞ふ”
*23 : 日本外交文書デジタルアーカイブ第43巻第1冊、677-678頁。“八月十六日　寺内韓国統監より小村外務大臣宛（電報）　韓国併合協定の為韓国李総理と第一回会見の件　第三一号　左の件外務大臣に於て一閲の上桂総理大臣へ御伝へを請ふ　今朝九時半李総理大臣を招き時局解決に関する初度の会見を遂げたり　本官は予て抱有する訓令に基き覚書を認め之を李総理に手交して其一覧を求め一面口頭を以て時局解決に必要なる説明を与へたり李総理は大体に於て異議なきも国号並皇帝の尊称に関し（韓国なる国号を依然用ゐんことを希望し後には朝鮮の国号を用ふるに一致せり）皇帝に対しては只主権なき王殿下として単に其称号だけを保留せんことを主張せり最後に同総理は尚退て一考せんことを求め且之を同僚に協議せんか啻其同意を得難きのみならず或は為に外聞に漏洩するの虞あるを以て自分の最も信用する趙農相と内議を凝し成るべく平静の方法に依り本案の妥協を見ることに努むべき旨申出たり　皇帝称号の一事に付ては李総理の再考を促し置きたるも此後の経過如何に依ては右称号問題に関しては更に申報する所あるべし”
*24 : 海野福寿編「外交史料日韓併合」724頁。“覚書　一、併合条約及両国皇帝陛下の詔勅は総て双方打合の上、同時に公布すること。一、右条約及詔勅は何時にても公布し得らるる様、直に必要の手続を為し置くこと。明治四十三年八月二十二日　統監子爵寺内正毅［印なし］隆熙四年八月二十二日　内閣総理大臣李完用［印なし］”
*25 : 日本外交文書デジタルアーカイブ第43巻第1冊、701-702頁。“八月二十七日　寺内韓国統監より小村外務大臣宛（電報）併合に関する韓帝詔勅文通報の件　第五〇号　桂首相小村外相へ　日韓併合に関する韓帝の詔勅文は別紙の通決定し本日御裁可を経て来る二十九日併合条約と共に発表せらるゝ筈　（別紙）朕否徳にして艱大なる業を承け臨御以後今日に至る迄維新の政令に関し丞図し試備し用力未だ曾て至らずむばあらずと雖由来積弱痼を成し疲弊極処に到る時日間に挽回の施措望なし昼夜憂慮善後策茫然たり。之に任じ支離益甚しければ自ら終局収拾し得ざるに底らん寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せしむるに如かず故に朕茲に於て瞿然内に省み廓然自ら断じ茲に韓国の統治権を従前より親信依仰したる隣国大日本皇帝陛下に譲与し外東洋の平和を鞏固にし内八域の民生を保全せむとす惟ふに爾大小臣民国勢と時宜を深察し煩擾すること勿く各其業に安んじ日本帝国の文明新政に服従し幸福を共受せよ朕の今日此挙や爾有衆を忘るゝに非らず亶ら爾有衆を救活せむとするの至意に出づ爾臣民等は朕の此意を克体せよ　註　詔勅文の修正は八月二十七日寺内統監発電報第五一号に依り通報せられたるものなるも此所には便宜の為修正を加へたる形にて採録せり”
*26 : 海野福寿編「外交史料日韓併合」731頁。“八月廿七日　後　六、五五京城発　後一一、一四東京着　小村外務大臣　寺内統監　第五一号　前電韓皇詔勅文左の通修正せられたり。「維新の制令」の下「を」を削り「に関し」を加ふ。「凾図し」の下「備試し」を加ふ。「用力」の下「至らざる所なし」を削り「未だ曾て至らずんばあらず」を加ふ。「疲弊」の下「劇」を「極」に改む。「極処に至る」の下「一朝一夕」を「時日間」に改む。「大任を人に」の下「委」を「託」に改む。「功効を奏」の下「する」を「せしむる」に改む。「親信依仰」の下「し安危維れ共に」の七字を削る。”
*27 : アジア歴史資料センター、レファレンスコードA03023677700、「韓国併合ニ関スル閣議決定書・其三」（2画像目）。
*28 : アジア歴史資料センター、レファレンスコードA04010229300、「韓国併合始末ノ件」。
*29 : 『朝鮮総督府施政年報. 明治43年』朝鮮総督府、1912年。
*30 : 日本大百科全書(ニッポニカ)「全権委任状」の解説
*31 : 池田常太郎「日韓合邦小史」読売新聞社、1910年、223頁