ImgCell-Automaton。 ここはimgにおけるいわゆる「僕鯖wiki」です。 オランダ&ネバダの座と並行して数多の泥鯖を、そして泥鱒をも記録し続けます。

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 教会を出て、防砂林の中を歩いてゆく。
 お父さんの遺体は、カルマート神父が管理してくれるそうだ。聖杯戦争の運営上、すぐに一般的な葬儀を行うことは出来ないらしい。
 お父さんの遺体は、カルマート親父が管理してくれるそうだ。聖杯戦争の運営上、すぐに一般的な葬儀を行うことは出来ないらしい。
 わたしとしても、この提案はありがたかった。聖杯戦争を戦う決意をした今、お葬式の準備をしている余裕はない。誰を呼んだらよいのかも分からないし、そもそもどのような手続きをしたらよいのかも皆目見当がつかない。
 けれども、今すぐ火葬して埋葬して葬儀はお終い、というような形にもしたくなかった。今わたしにはするべきことがあるけれど、それを果たした末には……自分の父親への感情ときちんと向き合う時間がほしかった。
 今のわたしに、そういうことが出来るとはとても思えないのだ。



「鞠瀬さん」
 前を歩いていた近衛さんが口を開く。
 わたしを振り返ったりするようなこともなく、虚空に話しかけるように彼女は続ける。
「私は聖杯戦争を出来るだけフェアに戦いたいと思ってるの。そして、あなたのお父様を騙し討ちした償いとして、あなたに聖杯戦争について教えるようファザー・カルマートに要求したわ」
 でも、と彼女は続ける。
「あなたは聖杯戦争で戦うことを選択した。つまり本来私たちは敵同士なの」
 わたしは無言で首肯した。それは理解している。彼女には右も左も分からなかったわたしにこの戦いについて教えてくれたという面では恩がある。本来ならば何も知らないわたしをそのまま騙して殺しても問題なかったはずなのだ。それをサーヴァントたちの矛を収めさせ、監督役のところまで導いてくれたのには感謝している。
 けれど一方で、今しがた彼女自身が言ったとおり、彼女がわたしのお父さんの仇であることもまた事実である。お父さんの命と聖杯戦争の知識が等価交換なのかなどという問答以前の話として、彼女へ抱く感情は対価を得たからというだけで割り切れるものではない。
 近衛さんは夜空を仰いだ。
 新月の夜空は、やはり教会へ向かったときと変わることのない降るような星空だ。
「この夜が明けるまでは休戦協定を結んだ、ということにしましょう。次に日が昇ったときからは、私たちは殺し合う敵同士よ」
 異論はなかった。
 近衛さん本人を殺したいほど憎いかというと、不思議なことにそこまで強い感情はなかった。けれど、かといって同級生だから戦うのが嫌だとか、彼女が刃を向けてきても止められないだとか、そんなことは決してない。
 わたしがこの街を護るのを彼女が邪魔するのなら、無力化くらいはせざるを得ない。そう思っている。
 隣を歩くセイバーをちらりと見やる。
 彼女もランサーのように姿を消すことができるらしいが、今はそれはしないでもらっている。それは周囲を警戒するためで、同時に近衛さんを警戒するためでもあった。
 工房での戦闘を思い出す。
 素の目では追い切れていなかったわたしの素人見立てでも、セイバーはランサーに優勢だったように見える。セイバーが積極的に攻めなかっただけで、ランサーの攻撃をセイバーは全て軽くいなしていた。
 ――いざとなれば、セイバーならランサーに勝てる。
 そんなことを考えていた。


 
 聖杯戦争のマスター同士は殺し合うのが一般的で、わたしのお父さんはマスターだから殺された。
 理解はしている。できてしまっている。
 一般的な家庭ならば、家族を殺されたら怒り狂うものなのだろうか。
 それが殺し合うのが当然のルールの儀式に参加していてもか。
 そもそも、一般的な家庭はそんな儀式には参加しない。
 だから、分からない。
 わたしの感情の持って行き方も。
 どういう自分が正しいのかも。
 なので、今は自分が正しいと思うことをしていくしかない。
 行方不明事件や殺人事件を起こしているマスターとサーヴァントを見つけ出し、これを止める。もしくは、倒す。
 それが今のわたしのするべきこと、なのだと思う。
 まずは目の前のやるべきことを果たす。そうしていれば、きっと――



「おや、こんな夜遅くに何してるんだい、お嬢ちゃんたち」



 不意に、見知らぬ男の声がした。
 ちょうど防砂林と住宅街の狭間に差し掛かったところだった。左手には、材木などを置けるようになっている資材置き場がある。開けた場所だが、こんな時間に人がうろついているのは尋常ではない。
 わたしたちの方に歩み寄ってきたことで街灯に照らされ、ようやく男の顔が見えるようになった。
 漆黒のモッズコートに身を包んだ、髭面の男。黒いソフト帽をかぶり、口には煙草を燻らせていた。背丈は高く、180cmは越えるだろう。目の色は黒いが、肌は白く、彫りが深い。恐らく日本人ではないだろう。
 そして、何より――。
「魔力……っ!」
「ビンゴォ!」
 男がフィンガースナップをする。
「あんたが連れてるお連れさん……&ruby(・・・・・・・・){サーヴァントだな}?」
 ふわりと男の隣に魔力が集い、もう一人の男が姿を現す。
 新たに現れたその男は、全身黒ずくめのもう一人と対比になるような真っ白い衣装に身を包んでいた。
 白い帽子に、白のローブ。長くカールした髪は、腰に届くほどにまで長い。エメラルドグリーンの瞳は、もう一人と同じような昏い輝きを湛えている。
 なによりも。
 白衣の男は、全身に鎧を身に纏っていた。
 腰に剣を提げていた。



 間違いない。
 白衣の男は、サーヴァントだ。
 そして、黒衣の男はそのマスターだろう。



「わざわざ自分のサーヴァントを晒して散策たァ、相当欲求不満と見える」
 マスターはそうあざ笑い、吸っていた煙草を地面に捨てる。そのまま革靴で踏みつぶすことで、灯っていた火を消した。
「それなりに気骨のあるマスターなのか……それともひよっこか。どっちかは知らないが……出会っちまったからにはやるしかないよな、お嬢ちゃん?」
 この男が事件の犯人かは分からない。だが、向こうが敵意を剥き出しにしている以上、穏便に済ます方針は立てづらいだろう。
 まずは、事件についてそう問いただそう。


 
 そう思った矢先だった。
 わたしの背後から、大きな影が矢のように飛び出した。
「黙って聞いていれば」
 サーヴァントが刹那の間に剣を抜き放ち、その影を受け止める。
 鋭い金属音が、夜の闇を貫く。
 影の正体はランサーだった。
 氷の槍を振り回し、サーヴァントと鍔迫り合う。
 あわててわたしは眼球に魔力を通し、視力を強化した。わたしの魔術回路では即座に大した強化はできないけれど、工房での時のように何も目で追えないよりはまだマシだ。
 更に数合、剣と槍が打ち合う。続けざまに三度、氷と鉄がぶつかり合う音が夜闇を切り裂いた。そのまま大きく横に薙ぎ、サーヴァントに距離を取らせると、ランサーはバックステップで下がっていく。
 振り向けば、ランサーが近衛さんの前で槍を低く構えていた。
「私のこと、無視しないで貰えるかしら」
「おいおい、いきなりダブルビンゴかよ! 二対一、行けるな、バーサーカー!?」
「初戦から無茶を言ってくれるな、マスター……!」
 白衣のサーヴァント――バーサーカーは大振りに剣を奮ってランサーを牽制すると、懐の中から小石のような何かを取り出す。そして、そのまま地面へとばら撒いた。
「頼んだぜ、俺の傭兵サンたち!」
 地面へと接地した小石は小さな爆発を起こす。朦々と沸き上がる煙はまるで粘土細工を捏ねるように形を取り、瞬く間に10人程度の兵士となった。
 バーサーカーとよく似た全身鎧を身に纏い、剣や槍・斧などで武装した兵士たちは、しかしフルフェイスの兜によって表情を伺い知れない。否、もしやもしたら――。
「日陽!」
 セイバーの切羽詰まった声とともに、急に視界がぐるりと回る。
 セイバーがわたしを抱えて宙へと飛び上がったのだ。すぐに上下感覚を取り戻して下を見ると、兵士の一体がわたしのいた空間を切り裂いているところだった。
「呆けないでください、マスター。今貴女がいるのは戦場です」
「ごめん。ありがとう、セイバー」
 セイバーはランサーの背後に着地すると、わたしを優しく地面へ下ろした。
「マスター、意思確認です。あのサーヴァントとと交戦状態に入ります。宜しいですね」
「もちろん。頼んだよ、セイバー」
「御意にッ!」
 わたしを戦場から離し、セイバーはバーサーカーと兵士たちのところへと駆けてゆく。



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「いきなり二対一、それもセイバーとランサーだとは」
 バーサーカーは更に懐から小石を取り出し、兵士を増産する。
「アタリというよりは大ハズレじゃねぇのか、マスター・グロック?」
「軽口を叩けるくらいには余裕があるみたいじゃねえか」
「……んまあ、たらふく喰ったからな」
 バーサーカーはセイバーに蹴り飛ばされてきた兵士の一人を邪魔だと言わんばかりに斬り倒すと、そのままセイバーと斬り合う。
 縦に兜割りをしてくるセイバーの黒剣を、バーサーカーは斜めに弾いて偏向する。それでも勢いは殺しきれず、肩の鎧を掠めて軽い金属音が響いた。
 このセイバー、技術もそうだがまず力が強い。
 かなりの大振りであったのにも関わらずセイバーは体勢を崩すことなく剣をくるりと回すと、そのまま斬り上げてバーサーカーの首を狙う。このままでは受けきれないと、バーサーカーは素早く後ろに下がった。その直後、鞭のようにスナップを利かせた腕振りによりワンテンポ遅れた赤黒い剣閃がバーサーカーの首があった空間を両断する。
 俺の狂化ランクが後一つ高かったら、ここで下がれずに死んでたな。そんなことを考えながら、バーサーカーは再びセイバーの前に兵士を数体作り出した。彼女が再び兵士たちと斬り合い始め、ようやくバーサーカーは呼吸を整える。
 ランサーは――まだ兵士たちと打ち合っている。
 一体七という数の暴力の状態ではあるが、少なくともあのランサーはセイバーよりは腕が立つわけではないらしい。四方八方から剣や斧で斬りかかってくる兵士たちをいなすことは難なくできているが、決定打は与えられず攻め倦ねているようだ。
 バーサーカーは戦場からは目を離さずも、マスターであるグロックに嘯く。
「俺が多対一が得意なサーヴァントで助かったろ。感謝しな」
「それが出来ないサーヴァントだったらそれはそれで戦術を考えてたさ。それがマスターっつうモンだ」
「よく言うよ……ッ!」
 囲みを突破してきたランサーの突きの一撃を、高く跳んでかわす。セイバーと異なり兵士を全滅させて向かってきたわけではなさそうだ。おおかた兵士たちの隙をついてすり抜けてきたのだろう。
 バーサーカーはランサーが置き去りにした兵士たちの前に着地すると、更に数名兵士を増産する。
 ランサーが再び兵士たちと戦い始めたところで――バーサーカーは何かの直感に総毛立った。
 咄嗟に、無造作に剣を振る。
 その剣は、何もない空間で何かにぶつかり、弾き飛ばされた。



 そのころ、セイバーやランサーもまた迫り来る敵意を鋭敏に感じ取り、見えない攻撃を弾き飛ばしていた。
 そのまま二撃、三撃。どこから来るのかも分からない攻撃を、とにかく直感だけで弾き飛ばす。セイバーのすぐ後ろで、バーサーカーの兵士たちの首が斬り飛ばされ、ぼとりと地面に落ちると同時に消滅する。
 見えない攻撃は、斬撃だった。
 どのように生み出しているのかは分からない。魔術かもしれず、風かもしれなかった。
 だが、セイバーは斬撃の方向が単調なのに気がついた。ちらりとランサーやバーサーカーの方を見やると、やはり彼らが剣や槍で弾き飛ばしているのも同じ方向からの攻撃だ。
 即ち、セイバー・ランサー・バーサーカーの三点から攻撃の角度を判断すれば――攻撃の始点が見えてくる。
 把握した。材木置き場の一番奥にある街灯の上。
「――そこッ!」
 セイバーは躊躇うことなく自らの剣を投擲した。
 狙うは街灯の上の敵ではなく、街灯を支える金属のポールだ。
 果たして剣は溶けたバターのようにポールを両断し、三人を襲っていた見えない斬撃が停止する。
 地面に落ちた電灯はしかし明かりを消すことはなく、ふわりと降り立った四人目のサーヴァントの姿を照らし出した。
 若い女性だ。
 艶やかな銀色の髪は腰に届くほどにまで長く、憂いを帯びた顔立ちは陰気であるが美しい。胸元の大きく開いた扇情的なドレスを身に纏い、両足は茶のグラディエーターサンダル。
 そして手には、彼女の上腕よりも長いほどの大きな針を持っている。
「――あぁ、気づかれてしまいました」
 サーヴァントが口を開いた。
 震える声音。よく見ると、彼女は涙を流していた。
「けれど、けれど……申し訳ありませんが、死んでください」
 サーヴァントが指揮棒のように針を振ると、再び斬撃が三人を襲う。
「ちいっ……!」
 バーサーカーは二人の兵士を盾にし、ランサーは槍を壁のように回転させ攻撃を受け止める。
 一方のセイバーは直感で全ての攻撃をかわすと、ポールを切断した後地面に突き刺さっていた自らの剣のところまで疾走。走りながらそれを引き抜くと同時に、一気にサーヴァントの頭上へ斬りかかった。
「……ごめんなさい」
 瞬時にセイバーとサーヴァントの間に布のような物体が出現する。それはセイバーの剣で容易く真っ二つに切り裂かれたものの、風に乗ってふわりとはためきセイバーの視界を覆い隠した。彼女が布をかなぐり捨てた頃には既にサーヴァントは距離を取り直していた。
 セイバーがサーヴァントを攻撃したことで斬撃の嵐が停止する。その直後、ランサーとバーサーカーはすぐ隣に立っていたことに気がついた。
 これまで防戦していた二人だが、勿論協力をしていたわけではない。ふと一息をついたランサーの隙を見逃すバーサーカーではなく、不意打ちを狙って無造作にランサーへ剣を振る。
 しかしながらランサーも油断しきることはない。バーサーカーがその手を微かに動かしたときには既に攻撃の予感に感づき、自らの氷の槍で心臓を狙った蛇のような一撃を防ぎきる。
「へぇ……やってくれるじゃねぇか」
「んにゃ、これぐらい防いでくれなきゃ歯応えがねぇ」
 そのまま真っ直ぐ向き合い、ランサーとバーサーカーが戦闘を再開する。見えない斬撃により随分と数を減らしたバーサーカーの兵士は残り二体だったが、当然バーサーカーに加勢する形となった。
 三体一。とはいえ雑兵同然だった兵士たちと異なり、バーサーカー本人が加わると戦力は段違いである。少しずつランサーが押されてゆく。
「ランサー!」
 すぐさまランサーの支援にセイバーが割って入った。しかし、セイバーは未だ女性サーヴァントを倒しきったわけではない。ランサーを狙ったバーサーカーの振り下ろしを弾き飛ばした直後、再びあの斬撃がセイバーを襲う。斬撃はセイバーの籠手に弾かれて甲高い音を立てた。
「セイバー!?」
「どうしても何も、休戦は夜明けまでと言ったのは貴方のマスターだ。夜はまだ明けてはいない!」
「すまん! 恩に着るぞセイバー!」
 背中合わせに立つセイバーとランサー。それを取り囲むように再びバーサーカーの兵士たちが出現した。ようやく余裕を得たバーサーカーが召喚したのだ。
 バーサーカーがサーヴァントに目線を送る。
「あちらさんは手を組んでるようだが……どうする、お嬢ちゃん」
「ごめんなさい……謹んでお断りします……!」
「それは……残念、だっ!」
 セイバーとランサーが次々と兵士を斬り伏せてゆく。それと同時に、バーサーカーはサーヴァントに斬りかかる。
 近距離ではサーヴァントはバーサーカー相手にも分が悪いらしく、一歩、また一歩と押されてゆく。だが兵士たちの数が減り、セイバーとランサーを引きつけておけなくなったバーサーカーはまた攻撃の手を緩め兵士を呼び出さねばならない。
 一方、サーヴァントの方もセイバーとランサーを相手にしたくないらしく、直接はバーサーカーと戦闘を行いながらもセイバーとランサーの足止めには協力せんと見えない斬撃を繰り出していた。
 セイバーにとってはバーサーカーの兵士もサーヴァントの斬撃も大きな障害にはなっていなかったが、サーヴァントとバーサーカーが常に動き回っているため剣の投擲も狙えない。結果として二人にどうにも近づけないため攻め倦ねていた。
 ランサーもまたここで大きなダメージを追いそうな状況にはないものの、やはりうまいこと決定打を作り出せていない。特に兵士に囲まれ斬撃も飛んでくるこのような状況では、一人だけ長い得物がむしろ足枷となっていた。
 戦闘は続く。
 しかし、少しずつ誰もが苦しい状況に陥りつつあった。
 


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「セイバー……!」
 激しい戦いに口を出すこともできず、わたしはただ黙って眺めていた。
 腕は立つが近距離攻撃しか手段を持たないセイバーとランサー。
 戦力は劣るが広範囲に時間稼ぎを得意とするバーサーカーともう一人のサーヴァント。
 結果として誰もが誰もに有効打を作り出せない。
 戦場が膠着状態に陥りつつあることに、わたしは気づき始めていた。



 その時だった。
 ずしり、と材木置き場に地響きが響いた。
「何やら騒がしいと寄り道してみれば――早くも英雄たちが鎬を削っていたとはな」
 万里の先にも響きわたりそうな朗々とした発声。
 その明瞭さに、サーヴァント四人とわたしを含めたマスター三人、全員が声の源を振り返った。
 立っていたのは身長200cmは優に越すであろう大男。筋骨隆々とした上半身を惜しげもなく晒し、下半身には古風な鎧を纏っている。掴んでいるのはそんな彼の身長をも更に越えている巨大な木製の棍棒だ。
 肩に届く深紅の髪を堂々と揺らし、しかし澄み切った蒼い瞳は夜闇の中でも力強い光を放っている。荒々しい体格と対照的に、その顔立ちは王子のように甘く整ったものだった。
「英雄同士の競い合い! 是非この我も参加させてもらおうか!」
 大男はニカリと眩いばかりの笑顔を見せる。
「……おっと、名乗らぬのは失礼に当たるかな? 我が真名は――イテッ!」
 虫に叩かれたような小さな音が男の足下から聞こえてくる。そしてすぐに大きな声が響いた。
「初対面で真名を言おうとするんじゃじゃねーよ馬鹿野郎! せめてクラスにしとけつったよな!」
「おぉう、そうだった。すまんすまん」
 よく見ると、左隣に彼の胸元にも届かないほど小柄な影が立っている。
 黒い髪の長い小柄な女性だ。赤いシャツに緑のパーカー、デニムのホットパンツ。目鼻立ちは整っているが、顔立ちは幼い。もしかしたらわたしよりも年下かもしれなかった。
 どこか、記憶の片隅に引っかかる顔だ。
 だがそんなわたしの心象を吹き飛ばすように再び男の大声が響く。
「では、改めて名乗らせて貰おうか! 我が名はライダー! この聖杯戦争にて勝利をこの手に頂く男であるッ!」
 大男――ライダーは棍棒をブンと振って肩に担ぐと、やはり輝かんばかりの笑顔を見せ……。
 そして再び隣の女性にひっぱたかれた。
「オイ! 今そいつあたしを掠めたぞ!? マスターを巻き込んで殺す気じゃねーだろうなライダー!?」
「ハハハ、これはしたり! すまぬマスターよ!」
 ライダーをどやしていたマスターは、しかしわたしの方に気づくと急に笑顔になり大きく手を振った。
「お! あの時の子じゃないか! やっぱりマスターだったじゃんかよ! あたしの嗅覚に間違いはねえな!」
 あまりにも呑気なライダー主従に、反応に困ったように近衛さんは頭を掻いた。
「えっと……知り合い?」
 そうは言われてもわたしも見覚えはない。……いいや、なくはないのだが……ただ、どこで会ったのか思い出せない。
 わたしは頷くことも首を振ることもできず、ただぼんやりと立っていることしかできない。
「おいおい、忘れられちまったのかよ! あの時渡したろ、うちの工場のラスク!」
 あっ、とわたしの口から声が漏れた。
 数日前、下校中にわたしがぶつかってしまった女性だった。何故かわたしの腕をじろじろと探索され、そして何故か既製品のラスクを渡されて別れた記憶が蘇る。
「あたし、乾。乾いちか! 隣の美人さん共々よろしくな!」
「美人、さん……」
 近衛さんは更に混乱を重ねたようだ。目線があちこちへうろうろと動き、両手をもじもじさせている。……ってつまり乾さんとしてはわたしは「美人さん」には入らないのだろうか。いやまぁ童顔だし、美人ってタイプの顔立ちではないのは自覚しているけれど。それでも気になるものは気になる。
 そんな緊張感のないやりとりをしていると、バーサーカーのマスターもそれに釣られたように吹き出した。
「ハハハハハ! 愉快なヤツらが出てきたもんだ!」
 そして、その目が鋭く細まる。
「――で、ライダーはそっちにつくのか?」
「何を言うか! 我はあらゆる英霊たちを倒し、この戦いに勝利する! 頼まれもせずにどちらかの贔屓など言語道断ッ! 我の目の前のサーヴァント全てが敵よ!」
 ライダーは軽く棍棒を地面へと叩きつけた。それだけで大地に亀裂が走り、朦々と土煙が辺りを包み込む。
 その土煙までも棍棒で薙ぎ払い、ライダーは不敵な笑みを見せる。
「無論、逃げるなら追わんがね」
「じゃあ、俺は逃げさせて貰うぜ」
 ライダーの言葉に即座に台詞を被せ、バーサーカーのマスターは口に咥えていた煙草を投げ捨てた。
「例え負けが込まなくても、ここまで埒が開かねえっつうことはツキが無いと判断せざるを得ねぇ」
 やれやれ、と彼は首を振る。
「バーサーカー、撤退だ! 立て直すぞ」
 マスターの言葉にバーサーカーは口笛を吹いて答えると、腰の鞘に剣を収める。同時に数体残っていた彼の兵隊たちも煙となって姿を消した。
 ふと見ると、もう一人の女性サーヴァントもいつの間にか姿を消している。
「おーい! そこのお二人さんもここはお開きにしとこうぜ? あんたらのサーヴァントも疲れてンだろ」
 バーサーカーのマスターが頭をボリボリと掻きながらわたしたちに問いかけてくる。既に戦闘の緊張感は完全に解けた格好だ。ランサーなど既に槍を手元から消し、のんびりと近衛さんの方へ歩いてきてきた。
「つぅことでお開きみたいだな」
「何だぁお主ら……つまらん奴だなぁ」
「こっちは疲れてるんだよ、ライダー。いくらバーサーカーつったって疲れ知らずとはいかねぇの。そりゃお前が問答無用で殴りかかってくるんなら相手してやるけどな」
「否ッ! 同意のない戦闘なぞ我の誇りに悖るッ!」
「じゃあ帰らせてくれ」
「応とも!」
「じゃーなー」
 バーサーカーもまたマスターの元へ戻り、姿を消す。


 
 完全に解散する雰囲気となっている中、セイバーだけは正中に剣を構えたまま動かない。この場で緊張感を保っているのは彼女だけだ。
 セイバーがわたしを振り返り、真剣な面持ちで頷く。
 いや………………緊張してるのはわたしも、か。
「一つ――聞かせてください」
 わたしはバーサーカーのマスターに問いかける。
 そう。これだけは確認しておかなければならない。
「お、何だ? 名前ならグロックだが。ディーン・グロック」
 彼は事も無げに懐から紙たばこを取り出すと、口に咥える。
「じゃあ、お聞きします。グロックさん」
 ごくりと、唾を飲む。
 人に疑いをかけるのは誰だって楽しくはない。
 人を糾弾するのだって心は痛む。
 けれど、わたしが自ら戦う理由をそう定めた以上、出会ったマスターには問わねばならない。
 だから、わたしは言葉を紡ぐ。
 

 
「この街で夜に事件を起こしていたりはしませんよね?」
 グロックさんは驚いたように眉を上げた。
 懐からジッポを取り出して火をつけ――まだ燃えている煙草を口に咥えたまま答えた。
「ん? せいぜい魂喰いぐらいだな。大したことはしてねえよ」



「――セイバー!」
「御意に、マスター!」
 セイバーがジェット噴射のように勢いよく飛び出し、グロックさん――否、グロックの方へと直進する。彼女の急襲にグロックは咥えた煙草を落とし――。


 
「オイオイ、逃げるなら追わんと言ったろうが」
 刹那、地面に鳴り響く鈍い音。
 そして、セイバーのウエストよりも更に太い巨大な棍棒が行く手を阻む。
 彼女の凄まじい勢いを以てしてもその棍棒を弾き飛ばすまでには至らない。むしろセイバーは跳ね返ってきたその勢いに弾き飛ばされ、わたしのすぐ前に着地した。
 頭をぶんぶんと振って靄を払い、セイバーが剣を構え直す。
「ライダー!? 何故だ!」
「聖杯戦争はサーヴァント同士の競い合い。いきなりマスターを不意打つとはむしろ騎士としてどうなんだ、セイバー」
 ライダーは変わらず緊張感のない様子のまま棍棒を肩に担ぎ直した。
「彼奴は自らの願いのために人民の平穏を乱す外道! ボクは我が主とあのような者を討ち滅ぼさんと盟約を交わしたのだ! 止めてくれるなライダー!」
「うぅむ、そうは言われてものう」
 セイバーとライダーの視線がぶつかり合う。そしてその背後では、グロックが居心地悪そうに首を掻いていた。
「まったく、肝を冷やしたぜ。そんなのが地雷かよ、アンタ。それでも魔術師か」
「なんだと……?」
 思わずわたしの口から鋭い言葉が漏れる。こんなところで魔術師がどうのと諭される筋合いはないはずだ。そもそもわたしは魔術師になりたいわけではない。
「自らの願いの為なら少数の犠牲も知ったこっちゃない! それが魔術師のスタンダードだろうが! そんな甘ちゃんじゃあいくら最優のセイバーでも聖杯戦争にゃ勝てねぇぞ!」
 グロックはせせら笑う。
 魔術師の研究は全て自分たちの発展と栄光のため。徹頭徹尾自分たちの為に生きるのが魔術師の生き方だと、そうお父さんに教わってきた。だから魔術師たちが自分勝手な存在だということは知っているはずだった。
 それにしても、流石にそれは違うだろう。
 自分の願いの為に、無関係な誰かの命を奪っていいはずが――。
「ほら、メガネの嬢ちゃんにも聞いてみたらどうだ!?」
 そう言われて振り返ると、近衛さんはわたしから目を逸らした。
「……ええ。そこは彼の言う通りよ」
 近衛さんは呟くように言う。
「あなたがセイバーのマスターになったから、わたしはあなたを無碍にはできないと思って聖杯戦争のいろはを教えたわ。けれど」
 近衛さんは俯いた。
「あなたがただの鞠瀬霧治の娘でしかなかったら……私はきっとあなたをランサーに殺させていた」
 わたしの肩がぴくりと震えた。
 聖杯戦争において、わたしと近衛さんは敵同士。
 だから刃を向けなければならないかもしれないし、刃を向けられるかもしれない。
 その覚悟はしていた。
 少なくとも、していたつもりだった。
 けれど、きっとどこかで彼女はわたしの理想に賛同してくれると思っていたのだろう。
 わたしと同じような考えで聖杯戦争に臨んでくれていると、そんな甘い考えを持っていたのだろう。
 そんな考えは捨てなければならない。
 事実、セイバーがわたしの目の前に現れる前も、ランサーはわたしのことを殺そうとしていたのだから。
 あの時には理解しておくべきだったはずなのだ。
 これは聖杯戦争。
 わたしの味方は――セイバーだけ。

 

 なんとか頭を切り替えて、戦況を確認する。
 既にランサーは近衛さんの背後に控えていた。再び槍を構え、警戒するような表情でセイバーを見つめている。バーサーカーもまた再び姿を現し、剣を抜いて低く構えている。その表情は今まで軽口混じりに戦っていたとは思えないほどに険しい。そして、ライダーもまた手慰みのように巨大な棍棒をぐるぐると回している。余裕の構えではあるが、セイバーが動けば彼もまたすぐに戦闘態勢に移行するだろう。
 バーサーカーとライダーに加えて、一応はまだ味方であるはずのランサーまでもが、わたしとセイバーの行動を牽制している。
 下手をしたら三対一。そうでなくても、ランサーの助力は望めず二対一になりかねない。
 それでも、動くか?
 わたしは考える。
 だが、打開策は浮かばない。


 
 「やめとけよ」
 乾さんが冷めた口調で言った。
 「うちのライダーは置いといて、ランサーとバーサーカーは戦いを切り上げたがってるだろ。そして、うちの馬鹿は誰でもいいからやり合いたいだけだ。おっぱじめるとしたら一番&ruby(や){闘}る気のある奴とってことになる」
 わたしは唇を噛んだ。
 「要は空気読め、ってこった。まあそれはライダーにも言いたい台詞なんだがなあたしは」
 ハハハ、と乾さんは明るく笑い、ライダーの腹筋をぺしぺしと叩いた。
 「乾……つったか。助かったぜ、ライダーのマスターさんよ」
 「おっと、勘違いすんなよ。あたしは戦闘の方針をライダーに任せてるだけだ。アイツが庇ったからってだけでお前の味方をしたかった訳じゃねぇ」
 乾さんの声が低くなる。
 「ご覧の通りうちのライダーは義理を通すくらいの誇りはある奴だ。お痛が過ぎればお仕置きが来るかもしれないぜ」
 「なるべくそうならんようにコソコソやることにするよ。じゃあな」
 グロックが片手を振りながら去っていく。
 バーサーカーもわたしたちを警戒しながらも、少しずつ離れてゆく。
 けれど、追うことはできない。
 ここでセイバーが動けば、一気に状況が不利になってしまう。
 「……マスター」
 「わかってる」
 グロックの姿が闇に溶けるまで、わたしたちは一歩も動くことはできなかった。



「さて、撤収だよ、ライダー」
 乾さんが両手をパンパンと叩く。腰に手を当てて、隣にいる巨漢を額で小突く。
「むぅ……結局戦えず仕舞いか。つまらんのう」
「いいから帰るよ。晩飯もまだなんだから」
「おうマスターよ。今度はフレンチトーストとやらを食べてみたいのう……!」
 霊体化してゆくライダーに、ハイハイうちにそんなお金はありませんよ、と声をかけると、彼女がわたしのところに歩み寄ってきた。
「なーにぼーっとしてんだよ」
 わたしより背の低い彼女は、けれどもわたしの肩をぱこーん、と叩いた。
「んまぁ、そういうことだけどさ。あたしは嫌いじゃないぜ、あんたみたいなマスターも」
 口角を上げてにやりと笑うと、懐から何かを取り出してわたしの腕に握らせる。手のひらを見てみると今度もまた同じメーカーのラスクが置かれていた。ただし、今回はチョコレート味だった。
「我がヤマモト製パンをよろしく、ってな。まぁ次も敵同士だろうが、せいぜい正々堂々やろうぜ」
 ひらひらと手を振ると、乾さんもまた夜闇の中へと消えていった。



 後は。
「……近衛さん」
 わたしの隣に立ち尽くした彼女はまだ、俯いたままだ。
 励ましの言葉か、それとも慰めの言葉か。いいや、そのどちらも彼女にかけるべき言葉ではなかろう。
 わたしを殺そうとしていた、という彼女の言葉に何を返せばいいのだろう。怒ればいいのか、悲しめばいいのか。糾弾すればいいのか、怯えればいいのか。そのいずれの感情も、わたしの中には湧いてこなかった。
 それでもなんとか言葉を続けようと口を開こうとしたところで、ランサーがわたしの肩を叩き、首を振る。
「あいつらも言ったとおり、今日はもうお開きだ、嬢ちゃん」
 戦場となった材木置き場の地面はひび割れ、あちこちに崩れた材木が散乱している。セイバーが切断した電灯も床に転がったままで、何もない虚空を照らしている。
 けれど、それだけだ。
 喧しいほどにまで鳴り響いていた剣戟の音はなく、朦々と舞っていた土煙は晴れ、ただ蒸し暑さの残る夏の夜風が吹き渡るのみ。
「んまぁ、僕はマスター殺しも不意打ちも否定はしない。ただ状況は見て動いた方がいいぜ」
 ランサーは片手を上げると、近衛さんの背中を抱えて歩き出す。マスターとサーヴァントが去ってゆく。
 ゆっくりと歩く二人の姿がわたしの視界から消える、その直前になって、近衛さんは立ち止まった。
「こんなことを言うのも、おかしいかもしれないけれど」
 その背中から声がした。
「…………悪いとは、思っているわ」
「近衛さん……」
 彼女は振り向いて、儚げな笑みを見せた。
「夜明けからは敵同士よ。さよなら、鞠瀬さん」
 そうして、わたしたちだけが残された。



 二人並んで夜道を歩く。
 時刻は既に午後九時を回っていた。
 先程までの激しい戦いが嘘のように静かな夜だ。
 古堀の街中に入れば、そこはもう閑静な住宅街。星が照らす夜空の中、ぽつりぽつりと灯る街灯だけがわたしたちの顔を照らし出している。
「マスター」
「なぁに、セイバー?」
「申し訳ございませんでした」
「謝ることじゃないよ。あの状況じゃそもそも無理だった」
 わたしの家までは、もう少し距離がある。
 行きの道では無言のまま歩いていたから、こうしてセイバーと話すことができるのが少し嬉しかった。
 攻防での召喚は偶然だったから、彼女と正しく契約したのはあの教会だった陽に思う。彼女はわたしの理想に賛同してくれた。わたしのやりたいことについてきてくれるのだと思えた。
 人智を越えた英雄である彼女が、わたしに力を貸してくれる。
 それはとても素敵なことだと思えたのだ。
 そうだ。英雄といえば。
「そういえば聞き忘れてたけど」
「なんでしょう、日陽」
 セイバーがこくりと首を傾げる。高い身長に反して浮かんだ表情はあどけなく、なんだか微笑ましくなってしまう。
「せっかくだし教えられるなら教えてほしいな」
「?」
「ほら、セイバーの真名。あなたがどんな英雄なのか知っておいた方が、今後の戦略とか立てられそうだし」
「……それは、そうなの……ですが」
 セイバーの歯切れが悪くなる。真名を教えることに何か問題でもあるのだろうか。
 そこまで信頼を得られていない、という話ならば頷くしかない。出会ってまだ数時間の関係だし、マスターとサーヴァントとしての戦闘は先程が初戦と言って良いだろう。まだお互いのことを何も知らない関係だし、おいそれと秘密を明かせないのかもしれない。
 ただ、それでも先程の戦闘はそれなりに距離を縮めるきっかけになれたと思っていたから、少し寂しいとも思う。
 でも、仕方ない。
「分かった。じゃあ、セイバーが教えたくなったときに教えてくれれば――」
「違う! 違うのです、マスター」
 だが、セイバーはそんなわたしの言葉を遮った。
 そのまま立ち止まり、何かを警戒するように周囲を見回す。
「……先程まではずっと傍らにランサーとそのマスターがいました。そのためおいそれとは口にできませんでしたが」
 彼女はしばらく目を伏せ……それから意を決したようにわたしの顔を見る。
「ボクの召喚はまず貴女のお父様が試み、そして日陽、貴女が引き継ぎました。しかし召喚の途中での引き継ぎなど本来あり得ないことです。恐らく、その影響なのでしょうが――」
 セイバーが悔しそうに首を振った。



「今のボクに、生前の記憶はありません。ボク自身、自分の名前も、宝具の真名も分からないのです」



 申し訳ありません、マスター。そうセイバーは頭を下げた。
 その予想外すぎる報告に、わたしはただ絶句するしかなかった。
 

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