トーマス・アルバ・エジソンの召喚にあたって、彼を補強する為に「空」になった、歴代アメリカ合衆国大統領の霊基。
その空白に、「国家防衛」という概念に纏わる幻霊が詰め込まれ、ロナルド・レーガンという形で召喚されたのが、このサーヴァントである。
ロナルド・レーガンという人物の経歴は、以下の通り。
ロナルド・レーガンは、第四十代アメリカ合衆国大統領である。
生来より話術や演技に才能を見せ、1937年に26歳で映画俳優としてハリウッドでデビューしてより、輝かしい経歴を重ねる。
一方、俳優としての活動と共に、俳優組合の要職につくなど政治的活動に携わり、またその話術を活かして、黎明期のテレビ番組にも積極的に出演したことで知名度を高めていった。
なお、俳優組合の要職に就く者として、第二次世界大戦後アメリカ全土に吹き荒れたアカ狩りに協力するなど、当初の政治的スタンスはリベラル寄りであったが、後には保守主義者に転じていることが知られている。
彼が本格的に政治の世界に進出したのは、1967年のカリフォルニア州知事選挙であった。
この選挙に当選したレーガンは、その後数度に渡り大統領選挙に出馬するも、度々落選。
しかし、回数を重ねるごとに勝利に近づき、1980年の選挙では、当時の政権が直面する様々な問題で現職大統領の支持率が落ち込んでいたこともあり、共和党の代表として見事に当選を果たした。
この際に用いられたのが、彼が積み重ねてきた俳優としてのキャリアであり、丁度映画の中で演技をする要領で、人々に対し強く訴えかけ、その支持を集めた。
この時、実にレーガンは69歳。現在でも史上二番目に高齢で就任した大統領であると記録されている。
当選直後に暗殺未遂事件が発生するなど、波乱の幕開けを迎えたレーガン政権だったが、それでも、その運行は比較的安定していた。
数々の政策上・外交上の失敗、また彼個人に纏わるスキャンダルなど、政権を揺るがす事態は何度もあった。しかし、それを抑えきるほどに、彼個人は人々に対する魅力で溢れていた。
事実、イラン・コントラ事件として知られる一件では、アメリカ大使館人質事件によって国交を断絶、一切の交渉や武器輸出を禁じていたはずのイランに対し、政府上層部から秘密裏に武器を供給する契約を交わすなどの指示があったことが指摘された。
このように、議会の議決に真っ向から反する行為が指摘されたにも関わらず、レーガンに対する批判は、飽くまでも「彼以下の政府関係者がしていたことを管理できていなかった」という程度に収まってしまった。
彼の在任中最も大きく取り上げられたスキャンダルですらこの有様であり、野党である民主党議員からは、傷つきにくいテフロン製の調理器具に擬え「テフロン大統領」と揶揄された。
政治家、大統領としての彼が実行した政策の内、特に語られるべきものがいくつかある。
内政面では、主にレーガノミクスとして知られる経済政策であろう。
彼は軍事支出を拡充し、自由競争を促進、減税によって市場の供給を増やすなどのケインズ経済学的政策を試みたが、これは財政と貿易の両面で、所謂「双子の赤字」を増大させる結果となった。
また外交面では、軍事支出の増大に関与し、東欧や中南米などの共産系政権に対して強硬な態度を取り、特に中南米に於いては、反共ゲリラや民兵組織などへの支援を行う「レーガン・ドクトリン」を遂行。
現地での「汚い戦争」を支え、莫大な数の死傷者と亡命者を出しつつも、親米政権に対しては協力的な姿勢を取り続けた。
これはひとえに、レーガン政権下で顕在化した対ソ強硬路線の現れであり、彼はソ連との間で結ばれた緊張緩和政策、所謂デタントを、「戦力の均衡によって冷戦をいたずらに長引かせた」と一切合切否定。
レーガン・ドクトリンを含むあらゆる手段で、技術力・軍事力を発展させつつあったソ連に真っ向から対抗、武力で拮抗することによる平和を目指した。
この強硬路線を最もよく体現するものこそ、彼が軍事支出の主要な出力先として提示した「戦略防衛構想」……通称「スターウォーズ計画」である。
これは、国防予算を大幅に増額、衛星兵器やミサイル迎撃システムなどの整備を主軸として、「核による相互確証破壊」を無意味に帰する先進兵器の開発を推し進めるという、「スペースオペラばり」の壮大な計画であった。
また、同計画の推進はそのままソ連に強い圧力を与え、これに対抗する為にソ連側も軍事力増強に更に国力を振り向けることになるが、これこそがソ連の首を締めるとした。
即ち、アフガニスタン侵攻の泥濘化によって既に疲弊の極地にあったソ連の国家財政を、軍事支出の増大によって破綻させ、社会主義国家の要である社会保障制度を破壊。
これによってソ連国民が共産主義政権を見限り、ソ連の自発的崩壊を発生させることを促すという、謂わば我慢比べのような戦略であった。
果たしてその予想は的中し、ソ連の財政赤字は急速に悪化。西側の団結をロサンゼルスオリンピックなどで誇示しつつ、東側の崩壊を今か今かと待ち続けた。
そして1985年、ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフの書記長就任に伴い行われた情報開示「グラスノスチ」を元に、アメリカはソ連からあらゆる面での譲歩を引き出した上で、INF条約の締結などに成功した。
こうした態度をソ連側の外交的軟化とみなしたレーガンは、それまでの強硬的な態度を改め、ソ連に対する緊張を緩和。ゴルバチョフに対し、改革の更なる前進を促した。
ゴルバチョフとの四度に渡る首脳会談、そして個人的交流を踏まえて、彼はゴルバチョフを親密な友人であるとまで見なすようになり、またソ連という国家自体に対する態度も軟化させた。今度こそ、冷たい戦争が終わることを、彼は確信していたという。
こうした変遷を経て、1989年1月に彼がホワイトハウスを去った後、同年11月、ベルリンの壁は崩壊。その後東欧諸国での革命が相次ぎ、とうとう、長らく続いた東西冷戦は終結へと至った。
レーガンの後任であったジョージ・H・W・ブッシュはゴルバチョフとマルタ会談を行い、冷戦の終結を確認。44年に渡る冷たい戦争を終わらせたのは、レーガン在任中の差配であったと言えよう。
しかし、こうした政治的・歴史的功績の背景で、彼は間違いなく老いに蝕まれていた。
彼の退任した1989年、彼は実に77歳。史上最高齢で大統領の任期満了を迎えた彼であったが、その二年程前から、様々な身体的不調を訴え、執政に関わる時間は少なくなっていたという。
そして、大統領退任から4年後の1993年、彼はアルツハイマー病と診断され、残りの余生を静かでプライベートな環境で過ごさざるを得なくなった。
症状の進行を食い止める為、彼の妻は自室に大統領時代の執務室を再現し、そこに彼を座らせて、新聞を読むなどの「執務」というルーチンを熟させたという。
1994年、レーガンが公式に発した最後のメッセージが、国民にあてた手紙という形で発表され、其処に記された『I now begin the journey that will lead me into the sunset of my life.(私は今、私の人生の黄昏に至る旅に出かけます)』という言葉は、人々の心を打ったという。
2001年、自宅で転倒したことで腰を骨折、以降は寝たきりとなってしまい、健康状態は更に不安定に。
そして2004年6月5日13時09分。ロサンゼルスの高級住宅街にある自宅で、彼は息を引き取った。死因は、肺炎であったという。
妻と子どもたちに寝床を囲まれての大往生。93歳と120日の長い人生に相応しい終わりであったろう。
彼の死は7日間の国葬を以て弔われ、述べ108000人もの一般人がその棺を見る為に集い、また弔問に来たものもそれに並ぶほどの数だった。
その死後、旧東側諸国のいくつかで彼は、「冷戦の勝利によるソ連解体の立役者」として銅像を立てられるほどの評価を集めている。
──さて、かくも「偉大な」大統領であるロナルド・レーガンだが、彼もまた、歴代大統領と共に、人理焼却という異常事態へ立ち向かった一人である。
無論、それは彼一人によるものではなく、彼の力を、合衆国随一の知名度を誇る英雄「トーマス・アルバ・エジソン」を補強する礼装として提供する、という形であった。
あまりにも信仰が不足し、あまりにも歴史が短い。合衆国という国家に刻まれた英霊故に、彼は臍を噛んで、エジソンに力を貸した。もしも、もっと私に力があれば。そう悔やみながら、である。
しかし、何たる奇然であることか。彼という存在を、英霊として召喚しようとするものが、何処かの時空に存在した。
彼自身それに喜び、応じるつもりであったが、しかしそのままでは無理がある。何故ならば彼というサーヴァントのリソースは、その殆どをエジソンに貸し与えていたから……。
が、どうやら彼の召喚者は、其処まで含めて計算の内だったようで、「彼と深い関係を持つ概念、或いはその幻霊を霊基と融合させる」ことで、霊基数値の不足をクリアすることに成功した。
その「概念・幻霊」とは?
即ち、「スターウォーズ計画」それそのものである。
彼の最大の偉業とは冷戦終結への道筋を立てたことであろうが、それを間接的に導いたのは、戦略防衛構想計画による軍事力の増大であった。
しかし、この計画には、当時開発途上だった幾つもの新兵器の採用が前提とされており、故にこそ、それは「空想科学的」だという批判を受け、事実その全ては実現に至らなかった。
彼の召喚者は此処に眼をつけた。「空想科学」とは、科学の広まった現代における最新の「幻想」であり、そして一種の「信仰」である。ならば、それを霊基に組み込めば、霊基自体の強化に繋がるはずだ、と。
果たしてその試みは成功し、空っぽになったレーガンの霊基に「スターウォーズ計画」に対する信仰を集約することに成功。
更に、計画に関する幾つもの空想兵器への憧れ、幻想をも含有させることで、「神の杖」を始めとする超兵器群を装備させることにも成功した。
斯くして、あまりにも新しい英霊「ロナルド・レーガン」は、複数の幻霊を複合した「国家防衛」という概念の体現者として現界した。
その目的は、何よりも合衆国を、そして合衆国の存在する世界を護ること。その為に、彼は振るったこともない超兵器を取り回し、大地を駆ける。
「こういう時、大統領はこういうのが当世風の流儀らしいな! ならば私もそれに倣おう!」
「──OK, Let's Partyyyyyyyyyyyyyyyyy ! ! !」