独りぼっちのジョージ。エクアドル領はガラパゴス諸島・ピンタ島にのみ生息していたピンタゾウガメ(或いはガラパゴスゾウガメの亜種)の、最後の個体として知られる。
1876年に、ドイツ人動物学者アルベルト・ギュンターによって発見されたこの種であるが、1906年に発見・捕獲された個体の死亡後は、野生個体が確認されず、絶滅したものと見なされていた。
しかし、最後の発見から60年以上経った1971年12月1日、同島に上陸したハンガリーの動物学者によって、1頭のゾウガメが発見された。
この個体こそが、後にジョージと名付けられたピンタゾウガメである。
19世紀半ば頃より、食肉目的での乱獲、或いは希少な標本とする為の捕獲によって、ガラパゴス諸島に生息するゾウガメの頭数は激減した。
各島固有の特徴を持つ個体群をそれぞれ別の種として見なす、現在の学会で主流の説に従う場合、最大で15種程存在したゾウガメの内、19世紀時点で既に2種が絶滅していた。
こうした中、絶滅したと思われていた1種が生存していた、という報告は、学術的観点からも、また島の生態系保持という観点からも、福音と呼ぶべき慶事だった。
特にピンタゾウガメについては、乱獲以外にも、食料となる植物を島に放ったヤギが一度は食い尽くしてしまった為に、それを乗り越えて生存していたことは、喜ばしい出来事であった。
生きた個体発見の報告を受け、ジョージを保護したチャールズ・ダーウィン研究所やガラパゴス国立公園管理局は、早速、一つの計画を立案し、実行に移した。
即ち、ピンタゾウガメという種、より正確にはそのDNAの完全絶滅を避ける為に、近縁種との交配によって雑種を残すことを試みたのである。
だが、この試みは失敗した。近縁種のメス2頭が、ジョージとの交配を期待されて他の島から連れてこられたが、彼は結局子孫を残すことができなかったのだ。
20年近くこの試みは続行され、より遺伝子的に近縁である別種がいると判明した時には、そのメスがすぐに2頭連れてこられるなどしたが、それも失敗した。
2回だけメスが卵を生みこそしたが、それらは何れも無精卵であり、孵化することはなかった。後は奇形卵の産卵があったばかりで、それすらも極僅かな回数であったという。
彼の死後に行われた解剖では、彼の生殖器官は問題を抱えており、生物学的に生殖することが不可能であったことが判明した。
或いは、それを承知していたからこそ、彼は繁殖行為に対して消極的であったのかもしれない。
そして、その日は突然訪れた。2012年6月24日、現地時間午前8時。ガラパゴス国立公園は、SNSなどを通じて、ジョージを長年世話し続けてきた職員が、彼が死んでいるのを発見したと発表した。
水飲み場へ向かおうとしている最中に死んだと想定されており、彼の身体は、水飲み場の方へ向けて伸びた状態で倒れ伏していたという。
彼の死後、その遺体は即座に、分解を防ぐ為に冷蔵室へ運ばれた。現地の獣医の解剖結果からは、彼の直接の死因が、老衰による心停止であることが推定された。
しかし、ゾウガメが種によっては200年をも生きることがあるという事実、そしてジョージの年齢が100歳前後であると思われることを踏まえれば、彼の死が天命であるとは、必ずしも言えないであろう。
彼の遺体は、そのまま0度以下の極低温で凍結保管された上で、米国ニューヨークにある自然史博物館へと送られ、其処で剥製としての保存処置を受けた。
同博物館での短期間展示の後、彼の剥製は、エクアドル軍用機によってチャールズ・ダーウィン研究所に移送され、専用のスペースで展示されることとなった。
その存在は、ガラパゴスの現地住民やエクアドル国民にも愛され、絶滅危惧種(或いは絶滅種)に纏わる問題を象徴するものとして、多くの人々に対し、今なお声なき問いかけを発し続けている。
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――ガラパゴス諸島中、最大の面積を誇るイザベラ島。この島にもゾウガメは複数生息しているが、近年、この島で興味深い発見が為された。
ピンタゾウガメのDNAを受け継ぐ雑種個体が、複数発見された、というのだ。
ゾウガメは食料として乱獲されていた、とは先述したが、確保されたゾウガメは、即座に屠殺されるのではなく、他の家畜などと同様、必要になる時まで活かされていた。
こうして確保されている原生生物というのは、船に何か問題が生じた時、少しでも沈没などのリスクを避ける為、海へと投棄されることがしばしばあった。
この破棄によって、本来の生息域を離れた個体が、漂着した先で子孫を残し、交雑しながらではあるが生き延びていたのだ。
更に、研究内容は、まだ可能性の話ではあるものの、ピンタゾウガメの直系且つ交雑していない子孫がこの島に存在することを否定しきれない、と述べるのだ。
加えて、ある調査報告によれば、DNAを採取して調査したこれらの交雑種中には、ジョージと共通するDNAを持った個体が存在するのだという。
ジョージの推定年齢から、彼の生年は1900年前後であると考えられているが、この頃にはまだ、ゾウガメの乱獲は完全に終了していた訳ではなかった。
推定ではあるが。おそらく彼は、生殖機能を失う前に、近縁種との間に、子供を残せていたのだ。
そうして生まれた子が何かしらの理由で捕獲され、然る後投棄を受けて、イザベラ島に辿り着いた。そして、其処で生命を繋ぎ、今も尚生きていたのだ。
孤独なジョージは、確かに孤独であったが、それでも子を残していた。
そのDNAは、交雑したハイブリッド種の中に生き続け、絶滅してしまったピンタゾウガメの痕跡を、他の子孫達と共に、未来へと繋いでいくことだろう。