鳥山石燕:我々(わたし)たちという概念の父と呼ぶべき存在。彼が描いた『塵塚怪王』は本当に山姥たちの長だったのかもしれない。麒麟や鳳凰と並ぶ神的存在だったのかもしれない。我々(わたし)ではない何かを見ていたのかもしれない。それでも我々(わたし)はあなたという人間に感謝をし続ける。
器物系サーヴァント:妬ましい道具(おまえ)ら。輝かしい道具(おまえ)。形無き我々(わたし)達と違って自力で力を得た物。信仰を獲得した物。その存在自体が眩しくなるほどに妬ましく、決して届き得ぬ夢の果て。
対外的には付喪神の王であるため高圧的な態度を取るが、内心は有名人に偶然出会った一般人の様に舞い上がる。
妖怪系サーヴァント:好ましい妖怪(もの)ら。愉快なる幻想(もの)。人間に敵対することを宣言していなければ基本的に似たような存在として友好的。主にどんな人間と接したかという思いで話を好んで聞く傾向にある。
隠神刑部:月にて出会った人の味方となることを選んだ妖怪。鉄の大洋の環境から割とやさぐれ気味だった怪王であったが、彼やタヌキに他の妖怪そして作り出した付喪神や迷い込んだ人間などと接することによって割と能天気に暮らして行けるようになった。どうやらかなり付き合いは長いようで、昔話を聞くと割とノリノリでやさぐれていた時代から酩酊通りが今に至るまで発展した事柄まで話してくれる。