ImgCell-Automaton。 ここはimgにおけるいわゆる「僕鯖wiki」です。 オランダ&ネバダの座と並行して数多の泥鯖を、そして泥鱒をも記録し続けます。

前書き

後日追記…

序章

 西暦2053年、5月。
 シンガポールが有する超巨大メガフロート都市「ソルポート」にひとりの青年の姿がある。
 笑顔の観光客たちが行き来する海沿いの道路をひたひたと歩いていく彼の名前は各務湊之郎。
 5月といえど赤道付近のため強烈な日差しが降り注ぐ中、じわりと汗を滲ませていた。
 彼は18歳の日本人である。学業において優れた成績を修め、北米の工科大学へ飛び級で進学した俊英だ。
 5月にして既に学位取得の目処が立っている湊之郎は、ある人物の伝手でこの島に滞在している。
 タンクトップにジーンズ姿。男の長髪もこの島ではそれほど珍しいものでもなく、よく目を凝らせば異色虹彩という際立った特徴はあるものの、それ以外は周囲に溶け込むような存在感。
 夏の陽炎のようにゆらゆらと歩いていた彼は一瞬何かに気を取られて足が鈍った。
 真横を少女が通り過ぎた。銀の少女。月の光を受けて朧気に煌めく海面のような───
 湊之郎は小さく振り返るが背後には目当ての人影はない。後ろから観光客が歩いてくるだけだ。
 気を取り直して湊之郎は人工浜辺の横にずっと続いている道を進んでいった。

 超巨大メガフロートとして研究施設であると同時にリゾート地でもあるソルポートには島内労働者が住むエリアがある。
 そこで生活雑貨を売っている店の2階が湊之郎の下宿先だった。
 相変わらず無愛想な店主兼家主のスチューディ婦人に挨拶をし、2階の自室へ向かう。
 大学の研究用に持ち込んだ資料や機材など以外は私物がほとんどない、殺風景な部屋が湊之郎の居室だ。
 締め切っていた窓を開けると勢いよく潮の香りのする風が流れ込み、室内の淀んだ空気を吹き飛ばしていった。
 買い物袋を置いて椅子に腰掛けると湊之郎は腕時計型デバイスのディスプレイを展開し、浮き上がったホログラム画面でメールチェックを手早くこなした。
 つい30年ほど前までなら通信で送るなど考えられないほどのサイズのデータも2050年代においては数秒で全て送信が終わる時代だ。
 地球の裏側にいようが、まるで自らが実際にラボにいるかのように作業ができてしまう。
 こうしてソルポートで暮らしながら時折大学から送られてくるタスクをやっつけるのがここ最近の湊之郎の日常だった。
 いくつかの新規の論文や研究内容、また教授からの連絡に目を通していた湊之郎はふと一通のメールに気付く。
 他の形式張った内容とは異なる、どこか陽気な文体のメッセージ。目にした湊之郎はデバイスの画面をさっと閉じて立ち上がった。
 ショルダーバックを引っ掴んで再び部屋を出ていく。呼ばれていた。

 「おっ、いらしゃー! ソーシロー! 待ってたよぉー!」
 ドアを開けて入った途端、真っ先に湊之郎に気がついて腕をぶんぶん振るう女性が彼の視界に入る。
 ここは彼女ことセリカ・ハニエストの建築設計事務所。
 その道において著名であるセリカはここソルポートにアトリエを持っており、湊之郎は彼女にそこで働くインターン学生として招待されている身分だ。
 ここには湊之郎の他にも何名か同様にインターン学生として呼ばれている学生がいるが、その中でも特に湊之郎はセリカに目をかけられていた。
 その天衣無縫な振る舞いや底抜けの明るさ、ひどい非常識ぶりから才女という印象はまるで受けないが………いきなりシームレスに仕事の話に入ると一転。
 全くノリの変わらない軽薄な調子でありながら専門用語や意図の読みにくい発言がセリカの口から次々に飛び出すも、湊之郎は動じずそれを捌いて形にしていった。
 同輩が感心したり溜め息をつく中、セリカが湊之郎を呼びつけた理由である新しい仕事はふたりの手によってあっという間に片付いていくのだった。

 セリカから振られた仕事に集中していたせいで気がつけば南国の太陽が水平線へ消えようとしていた。
 帰ることにする湊之郎。帰り際、セリカに呼び止められる。
 最近あまり良い噂を聞かないからしばらく夜は出歩かないほうがいい、と忠告される。しかし湊之郎は首を傾げた。
 セリカがそういう気遣いをすること自体が珍しいことではあったが、そもそもこのリゾート地で治安が悪化しているなんて話は聞いたことがない。
 そのことを指摘すると「あれ、そうだったかなぁ? とにかくそういうことだからね〜」と適当にはぐらかされてしまうのだった。
 不可解な点はあったが気に留めるほどでもなく、湊之郎はセリカに別れを告げて事務所を後にした。

 ソルポートは日が落ちても観光客が外を出歩いている。盛り場へ向かうその流れに逆行するように湊之郎は自室へと戻る道を辿った。
 スチューディ婦人が用意してくれた食事(※今晩はやや外れ)を口にし、バッグの中身を探っていた湊之郎は事務所へスケッチブックを忘れたことに気付く。
 セリカの事務所はまだ閉じていないはずだった。少し迷った末に湊之郎は再びバッグを掴んで立ち上がる。
 明日でも良いといえばそうだが、別にこの後何か用事があるわけではない。
 それよりも描きかけのままになっているスケッチが気になった。靴を履き、夜の街へと歩を進める。
 セリカから受けた忠告のことが一瞬気にかかったが、まさかそれが本当のことだなんて夢にも思っていなかった。

 事務所へと向かういつもの道を歩いていた湊之郎は違和感に気づく。
 昼夜問わず人がいるはずの道に人の気配がまるでない。外灯やARホログラムの光が周囲を照らしているのはいつも通りなのに人間だけがいない。
 何か滅多なことが起きている───湊之郎が胸中をざわつかせたとき、その耳に音が届いた。
 鋼と鋼がぶつかり合う音。日常を送っている者の耳には決して入ることのない、鋭い剣戟の音。
 湊之郎は正体を確かめるために音のする方へ足を向ける。そして目にしたのは時代錯誤な格好をした者たちが戦っている姿だった。
 鎧武者がふたり争っている。猛々しく微笑む男と陰鬱な表情の男。剣と槍を手にし、目にも止まらない剣舞を繰り広げている。
 こういった迫真の戦闘シーンをARで現実に再現するというのが現実的な世の中ではあったが、それとは息遣いがまるで違っていた。
 入れ代わり立ち代わり戦っていた彼らだったが、ふと槍を持っている方が湊之郎の気配に気づき戦闘を中断する。
 咄嗟に湊之郎は踵を返して逃げ出した。生物としての直感があのままここに留まっていてはいけないと察していた。
 普段の道から路地に入る。スケッチの題材探しでソルポートの街中はくまなく歩き回ったため地理には詳しい。
 湊之郎は身体能力も高い。それで大抵の相手であれば撒けるはずだった。大抵の相手であれば。
 
 「よう」と声をかけられた瞬間湊之郎は勢いよく突き飛ばされる。
 路地の壁に叩きつけられた湊之郎が見たのはあの槍を持った騎士だった。違うのはそのそばに女の子がひとり立っていたことだ。
 すらりとした伸びやかな体躯。ピンクのインナーカラーを施した鮮やかな金髪。夜闇の中でもきらきら輝く碧眼。
 湊之郎へ槍を突きつける男の横で彼女は険しい表情を浮かべ、湊之郎のことを睨みつけていた。
 彼女は怒っていた。けれどそれは湊之郎に対してではなく、傍らの騎士に対してでもなく、まるで自分自身を戒めるような怒気の籠もった表情だった。
 「目撃者は始末するんだったよな」と問う騎士に対し一瞬小さく唇を噛んだ少女は「その通りです」と頷く。
 申し訳ないけれど、あなたはここで死にます───湊之郎へそう宣言する少女への湊之郎の返答は「何故?」だった。
 どうして自分は死ななければならないのか。
 どうしてあなたは自分を殺そうというのか。
 どうしてそんな顔で殺そうとしているのか。
 今このソルポートで起こっていることとは一体何なのか。
 生命の終了に対する忌避感よりもその溢れ出る疑問がまるで未解決であることへの不満感が湊之郎を苛む。
 どこか無理をしている様子の少女がぐっと奥歯を噛み締めた後、「ランサー」と傍らの男を呼んで実行を命じる。
 騎士は表情を変えず、ゆっくりと手にした槍を振り上げた。

 残念だ。
 自分にはついぞ“美しさ”というものが分からなかった。
 他者が当たり前のように感じているその感動が湊之郎には伝わらなかった。
 それがとても良いもので、守るべきもので、尊ぶべきものなのは分かっても、何故そうなのかは実感できなかった。
 ただそれだけが残念だ───

 ───騎士と少女の背後。路地の彼方に、銀色を垣間見た。

 それは、本当に。

 魔法のように、現れた。

 眩い光が路地裏に満ちる。
 振り下ろされた槍がへたり込んでいる湊之郎へ襲いかかる寸前で、“何か”が刃の進行を堰き止めている。
 槍兵が血相を変えた。即座に標的を湊之郎から突然現れた“何か”へ切り替え、稲妻のような疾さで槍を突きこむ。
 だがそのことごとくを“何か”は手にした剣で叩き落とし、そればかりか返す刀で騎士を強く打擲しさえした。
 大きく後退させられた騎士は中途で驚いている少女を抱えると大きく飛び退る。
 そこでようやく湊之郎は突如として自分の目の間に現れた者をはっきりと目にした。
 燃え盛る火に似た赤銅の髪。体表には溶岩が流れているかのように煌々と光る紋様が刻まれ、そして手には岩石を削り出したかの如き無骨な装いの大剣。
 立派な体格に腰巻きを身に着けただけのその少年は騎士たちをひと睨みし、そして湊之郎を見下ろして呟くように言った。

 「お前が俺のマスターか?」

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