架空国家を自由に作ってください。

旧コンスタンティノープル市街

概要

ビザンツ帝国こと東ローマ帝国の帝都。
現在のアムルースク=オスマン帝国の首都であるイスタンブールの前身となる街であった。
この地は古来よりアジアとヨーロッパを結ぶ東西交易ルートの要衝であり、また天然の良港である金角湾を擁していた。当時の都市名の「コンスタンティノポリス」は「コンスタンティヌスの町」を意味する。

歴史

終焉

1453年4月、コンスタンティノープルの奪取に並々ならぬ意欲を燃やすオスマン帝国、皇帝メフメト2世が、10万のオスマン帝国軍を率いてコンスタンティノープルを包囲した。オスマン側は大型の大砲(ウルバン砲)を用いたり、艦隊を陸越えさせて金角湾に入れるなど、大規模な攻囲作戦を行なった。コンスタンティノープルの堅固な防壁は健在であり、東ローマ帝国軍とイタリア人傭兵部隊はわずか7千の兵力だったにもかかわらず2か月に渡って抵抗を続けた。しかし5月29日未明、オスマン軍は総攻撃を行い、閂を閉め忘れた城門からついに城内へと侵入した。コンスタンティノープルは陥落し、最後の皇帝コンスタンティノス11世は乱戦の中で戦死、東ローマ帝国は滅亡した。 メフメト2世は兵士たちに都市を3日間略奪するように命じたが、古代から続くこの帝国への敬意を忘れなかったため、数時間後に一転して軍の行動を阻止するように命じた。 その後ハギア・ソフィア大聖堂などはモスクへ改修された。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

娯楽

映像

音楽

スポーツ

産業

第二次産業

第三次産業

災害

自然災害

人為的災害

架空世界史

メンバーのみ編集できます