架空国家を自由に作ってください。

出生1985年
没年ーー
称号立法大宰相
在任大宰相/2015年〜
帝国国防相/2016年〜
帝国陸軍最高顧問/2013年〜
十傑評議会 第五席/2015年〜
宗教レヴィン教赤ビト派
思想エンペラトル崇高派、新オスマン主義

概要

アムルースク=オスマン帝国大宰相。
皇帝マフムト四世が皇太子だった頃からマフムトに仕え、マフムトの親友でもある。
軍事面、内政面でも優れた能力を発揮し、小姓から大宰相まで上り詰めたオスマン帝国史上、稀に見る最も成功した政治家。
本名は「バルデス・イブラヒム=パシャ」。

経歴

マフムトとの出会い〜異例出世

1983年、帝都イスタンブールにて生まれる。
父は漁師であった。
幼年の頃、なんと海賊にさらわれた挙句に奴隷としてイスタンブール郊外にあるアナトリア西北に位置するブルサに売られた。
ブルサのブルサ宮殿ではアムルースク=オスマン帝国の皇太子が養育されていた。
そこで彼は同年代の皇太子(当時)のマフムトと親しくなった。
バルデスはオスマン帝国の宮廷で教育を受けることとなった。
宮廷で教育を受けたバルデスは博学者となった。
キリスト教徒だったバルデスは宮廷教育後、かなり早い段階でレヴィン教に改宗したが、キリスト教徒としてのルーツを完全に捨てたわけではなく、キリスト教徒の両親をイスタンブールに住まわせている。
2012年27歳の時、皇太子マフムトが第47代オスマン皇帝へと即位した。
即位の際に彼は様々な地位を得た。彼は軍事面、政治面で様々な功績を残し、異様な速さで昇進した。
その昇進の速さは他の地位を狙う高官達から嫉妬や敵意を買うことを恐れたバルデス自身が、これ以上、昇進させないようにとマフムト帝に懇願しなければいけないほどだった。
しかし、バルデスは決してマフムト四世を貶すようなことせず、あくまでもマフムト四世の忠実な家臣として振舞った

大宰相就任〜現在

2015年、バルデスは少年期よりマフムトに約束されていた大宰相の地位を、その功績から指名された。
上記のバルデスの謙虚な態度に満足したマフムトは、自分がエンペラトルの座についている間は決してバルデスを処刑しないと誓ったと言われる。 大宰相の指名を受けた後もバルデスは、軍の総司令官などさらなる称号の指名を受け続け、アムルースク=オスマン帝国における彼の力はマフムト四世とほぼ同等かそれ以上のものとなった。
2016年にはライバルであった、ブルガリア総監、ハイン・アフメト=パシャが帝国への反逆罪で処刑されるとバルデスはブルガリアことヨーグルト大公国へと駐留。
ヨーグルト大公国の市民制度、軍事制度を改革。
彼は法令集を発布しその制度を告知した。
バルデスはその後、マフムト四世の妹である、ハティージェ=エンペラトルと結婚。
なんとオスマン家へ入り、婿となり現在へと至る。

外交面と軍事面

外交

外交面において、バルデスが西キリスト教国に対して振るった手腕は見事だった。 自身を『オスマン帝国の真の力』と称し、バルデスはさまざまな戦略を駆使して、カトリック勢力の主導者たちと渡り合った。ギリシアなどのバルカン諸国の外交官は、マフムト四世の呼び名『立法帝』をもじって『立法バルデス』とさえ述べた。

軍事

バルデスは様々な場面で帝国軍を指揮した。
オスマン=シリア戦争では自らが最前線で指揮し、この戦争を勝利へと導いた。
また2017年にあった、クリミア共和国との黒海での軍事衝突ではクリミア共和国海軍の艦艇を自ら海軍を指揮して全て撃沈させるなどの功績を挙げた。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

娯楽

映像

音楽

スポーツ

産業

第二次産業

第三次産業

災害

自然災害

人為的災害

架空世界史

メンバーのみ編集できます