架空国家を作ろう - アムルースク愛国党
設立
1935年
解散
ーー
総裁
トゥーラン=シェルドン
党員
50万人
所在地
アムルースク、コンスタンティノープル
機関紙
愛国誌
政治的思想
保守主義、中央集権、右派
概要
アムルースク愛国党は、
アムルースク=オスマン帝国
の与党。
帝国議会の上院、最高議会の750議席中、
約623席が愛国党勢力。
下院、民族議会の750席中、全てが愛国党である。
というか、アムルースク愛国党の一党独裁制度である。
党史
立党
1935年、「五箇条立党宣言」を発表し成立。
アムルースク愛国党は帝国の誇りを第一にする、
右翼政党であり、国粋主義である為、立党初期から帝国臣民から絶大な人気を誇った。
外交問題が起きると、同党はエンペラトル政府に、必ず賛同した。
1940年からの一党独裁制
1940年、愛国党は議会にて「野党廃止案」を提出。
アムルースク共産党を初めとした左派政党らは
反対し、議会は大いに荒れた。
しかし1940年5月26日、帝国議会上院にて可決。
アムルースク愛国党を除く全政党が解散し、
愛国党の一党独裁制度が始まるのであった。
また、当時の愛国党総裁がエンペラトル政府への
根強い支持をしていた為、帝権支持派から、大いに支持された。
1980年の総裁選
1980年の総裁選にて、なんとエンペラトル自らが総裁に立候補するという前代未聞の選挙が行われた。
結果はお察し、エンペラトルが勝利。
アムルースク愛国党とエンペラトル政府は直接、
表裏一体の関係となった。
2000年にエンペラトルが崩御した為、
この前代未聞の件はこれ以外に存在しない。
現在
現在のエンペラトルであるロンメル二世が、
帝国議会にて「エンペラトル全権法」を可決させ、
帝国議会は事実上、停止し皇帝の賛同機関となってしまった。
これはアムルースクの民主主義の終焉を表し、
1800年に終焉した「絶対帝政」の時代が、
現在になって復活したということである。
アムルースク愛国党も帝国議会もエンペラトルの
賛同機関と化し、帝国議会は存在意義を失った。
しかし、形式上ではあるが帝国議会は存続。
エンペラトルの強権政治が行われている。