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イェニチェリ
Yenicelli
詳細情報
創設1360年頃
本部イスタンブール
アグリニオン特別市ジオフロント(事実上)
国防総官エンヴェル・パシャ
総合司令長官グルリア・ローレット
総人員10万人
予算1兆2550億AP
軍歌Ceddin Deden
概要
イェニチェリ
イェニチェリアムルースク=オスマン帝国?の常備歩兵軍。
14世紀から現在まで続いている常備軍だが、その形態は常備軍ではなく「特殊部隊」や「特殊軍」の特色が強くなっている。また、イェニチェリの暗殺専用部隊として「イェニチェリ=アサシン」部隊などの派生部隊が複数存在し、陸海空という局所的な部分のみの部隊ではなく、あらゆる状況に対応出来る部隊としての側面が強くなっている。アムルースク=オスマン帝国陸軍?の精鋭約10万人を集めて構成された軍集団。
通称は「戦略歩兵隊」、漢表記では「精鋭歩兵軍」。

歴史

創設
イェニチェリの創設時期は不明確であるが、通説では第三代皇帝ムラト一世の治世下で創設されたとされるのが一般的である。
オスマン帝国が拡大する過程で、従来の騎射を主戦術とするテュルク系軽騎兵の軍事力に頼らない君主の直属兵力として創設された。創設時期については諸説あるが、14世紀後半のムラト一世の治世とするのがもっとも知られる説である。

当初はキリスト教徒の戦争捕虜からなる奴隷軍であったが、15世紀にキリスト教徒の子弟から優秀な青少年を徴集し、レヴィン教に改宗させてイェニチェリなどに採用するデウシルメ?制度が考案され、定期的な人材供給が行われるようになる。

イェニチェリは長官であるイェニチェリ・アアス以下部隊ごとに分かれて強い規律を持ち、16世紀までのオスマン帝国の軍事的拡大に大いに貢献した。同じ頃にヨーロッパで銃が普及し始めるといち早くこれを取り入れ、組織的に運用したことも大きい。
養成と拡大
デウシルメで徴兵され召集されたイェニチェリに配属されることになった者はまずキリスト教からレヴィン教への改宗手続きをとった後にレヴィニエト(レヴィン教徒の意)の農村家庭の元で農業に従事しながらオスマントルコ語の取得をした。

次にアジェミー・オウランと呼ばれる身分に取り立てられ、首都などに兵営を持つ新兵軍団に配属され、次いでイェニチェリの増員・欠員補充の必要性に応じてイェニチェリ軍団に編入された。

イェニチェリは君主直属の主力軍団として原則的に首都イスタンブールにある兵営に住まわされ、また妻帯することを禁じられるが、同時に高い俸給を与えられ、免税など様々な特権を享受した。
(18世紀から19世紀にかけてのオスマン革命で特権などは廃止。)

16世紀後半以後、スレイマン一世の治世には軍事技術の革新のため各国で火器を装備した常備歩兵が重要視されるようになり、オスマン帝国では必然的にイェニチェリが拡充される方向に向かい、人員が膨張すると同時に、首都のみならず帝国領内各地の都市に駐留させられるようになった。
腐敗と世襲化
17世紀に突入すると、イェニチェリはスレイマンや先帝達が禁じていた妻帯も普通に行われるようになって、その子供を入隊させるようになったため、事実上の世襲となり、軍紀が乱れる元となった。

イェニチェリは各都市においてギルドと結びついて顔役やならず者のような行動をとり、政治にも介入した。特に首都イスタンブールではしばしば反乱を起こし、ときには宰相を更迭させたり、君主であるオスマン皇帝を廃位したりした。
18世紀に入るとイェニチェリは、腐敗が益々進行し、18世紀後半に入ると、イェニチェリはヨーロッパ各国の歩兵と比較すると完全に時代遅れとなり、改革が急務とされるようになると、その必要性も揺らぐこととなった。
革命とイェニチェリ
革命帝 アリー1世
1930年、第38代皇帝アリー1世などの政府指導部によってオスマン革命が始まり、イェニチェリにもその波は押し寄せる。
第32代皇帝マフムト二世?による一定の改革や、アブデュルメジト1世?治世下のタンジマート?による改革などでイェニチェリの世襲や特権などは廃止された。
アリー1世の「軍制改革?」によって、イェニチェリ含む国軍は全体的に近代化に成功する。
規律と秩序を取り戻したイェニチェリは再び国軍の精鋭歩兵軍として近代化と再編を果たし、再び「オスマンの脅威」をヨーロッパにもたらすことになる。
また駐留していた各都市の信頼を取り戻すことを目標にし、各都市のPR活動や、イェニチェリに対する理解を深めてもらう活動をこの頃より開始。災害派遣などにも積極的に参加するようになる。
ww2と現在
現在のイェニチェリ(画像はww2中)
イェニチェリは、国軍?の中から行われる「精鋭徴兵」によって成員が定められる。精鋭徴兵という名の通り、国軍の中から精鋭のみを集め、さらに厳しい訓練を積んだ者のみが「イェニチェリ」となる。この精鋭徴兵は現代版デウシルメとも。
2012年に勃発した第二次世界大戦?にもアムルースク軍の精鋭部隊として参戦。
2015年の旧アグリニオン市に向けて同市へのN2投下を行う。
2015年冬より始まったアムルースク軍の反撃作戦「壮麗作戦?」では先陣を切って猛反撃を開始し、2015年12月25日に始まった同作戦に対し、2015年1月14日にはバルカン半島の重要地点であるベオグラード?を解放した。
大戦末期の2018年〜2019年の間は、南部ドイツへ侵攻し、第三次ウィーン包囲?にて勝利し、占領。
2019年のベルカ公国降伏時点での最終位置は、アムルースク=オスマン帝国?保護領南部ドイツ?、ウィーンであった。

現在のイェニチェリは駐留する都市のPR活動、イェニチェリに対する理解を深めてもらう活動やイェニチェリの伝統服や、音楽隊が行進曲などをイスタンブールで弾いたりと、積極的に一般人との交流を深めている。

編成

概要
イェニチェリは、陸軍?海軍?空軍?戦略軍?などの他四軍や、国境軍?沿岸軍?などの国境防衛軍などと違い、階級や編成も異なり、部隊の呼称も差別化が図られている。

所属部隊

階級

文化

オスマン帝国軍の軍楽、メフテルは西欧ではイェニチェリ音楽(Janissary Music)として知られている。イェニチェリは親衛隊として、君主と食事を共にする特権を持ち、野戦で使用される大きな鍋とスプーンをシンボルとしていた。

イェニチェリの営舎には大きな鍋が置かれ、反乱をおこすときは鍋をひっくり返した。「なべをひっくりかえす」と言う言葉はアムルースクで、大騒ぎや反乱という意味とされる。

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