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チュラーン宮殿
情報
用途大宰相公邸
所在地イスタンブール
使用主大宰相
アズィーム・イウサール(現在)
概要
ボスポラス海峡に面した風光明媚な土地で、同位置には18世紀のアフメト3世?が邸宅を築き、1834年にはマフムト2世がそれまでの邸宅を取り壊し、自分用の宮殿を建設した。その宮殿も1857年にアブデュルメジト1世?によって廃され新たな宮殿が建設されかけたが、これはアブデュルメジト一世の死によって工事が中止された。
マフムト2世の邸宅
現在のチュラーン宮殿はアブデュルアズィズの命により建設されたものである。
外装は大理石で、内装は壁から天井まで木が使用されていた。宮殿庭園の外周は高い壁で囲まれ、すぐ後背の丘陵にあるユルドゥズ宮殿とは連絡橋で繋がっていた。なお、この時代のオスマン帝国のレヴィオンは上記のように各個人の私邸を建設する習慣があり、チュラーン宮殿はその例に則って建設された最後の皇帝私邸である。

歴史

完成と焼失

完成後、アブデュルアズィズが居住したが、1876年に亡くなったため、施工主であるアブデュルアズィズの私邸として使われたのはごくわずかな期間であった。次のレヴィオンであるムラト五世は私邸を建設せず、そのままチュラーン宮殿を使用したが、精神を病んでいたムラト5世はわずか93日で退位し、1904年に亡くなるまで同宮殿で軟禁生活を送った。
1910年の火災
1909年11月からチュラーン宮殿は議事堂として転用されたが、その直後の1910年1月19日、屋根裏から出火し、外壁だけを残して焼け落ちてしまった。この火事で多くの貴重な美術品や書物が失われた。
現在
1910年の火災事件以後、チュラーン宮殿は1941年まで外壁のみの状態で放棄されることになった。
1941年3月にオスマン革命の経過で、皇帝アリー1世によって再建計画が立案、実行。
1948年7月29日に新築となって再建され、大宰相公邸として使用されることが決定され、今に至る。

ギャラリー

チュラーン宮殿 正門
チュラーン宮殿の庭園
入口前の階段
チュラーン宮殿の大広間

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