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オスマン国の政治家?
"レヴィオン"・リュステム・パシャ
オスマン帝国 大宰相総補佐官
個人情報
出生1759年
没年1840年
別名ーー
職歴
歴任大宰相(293代)
大宰相総補佐官
エジプト州総督
軍事歴任
階級最高司令官代理
大元帥(大宰相として)
歴任イェニチェリ改革長
オスマン海軍?近代化計画担当
その他
称号副帝
裏の支配者
宗教レヴィン教 ヴルスト派
概要
"レヴィオン"・リュステム・パシャは、オスマン帝国の大宰相。
リュステム家?から輩出された3人目の大宰相で、後の改革、タンジマート?の基礎を作りあげたとして有名。
また歴代大宰相の中でも大宰相の絶大な権力を振るい、その力は皇帝マフムト2世と同等、もしくはそれ以上とされた。
そのことから「副帝」と呼ばれ、歴代宰相のパルガル・イブラヒム・パシャ?ソコルル・メフメト・パシャらと比べられるほど。皇帝に匹敵するほどの大宰相ということで、国民たちに「レヴィオン・リュステム・パシャ」と呼ばれるようになった。
たなみ本名は「サラスケル・リュステム・パシャ」。

生涯

大宰相就任まで

1759年、オスマン帝国の帝都イスタンブールで生まれる。
名門リュステム家の出身で、彼もまた父や先祖たちのように官僚の道を進むことになる。30歳のなった1790年には近代化を目指す皇帝、セリム3世?に反乱の絶えなかったエジプト州総督に就任し、1809年までエジプト総督としてエジプトの地にて数年間、オスマン帝国の支配基盤を再度固めることに奔走する。
1810年にはマフムト2世によって大宰相へ任命され、ついに大宰相へと上り詰める。

大宰相として

現地勢力の粛清
1810年に大宰相に就任したサラスケルは、中央を「上からの改革」で、近代化を目指しているマフムト帝に任せ、自身は再びエジプトに発った。再びエジプトに戻ったサラスケルは、大宰相兼エジプト総督としてカイロに入城し、1840年に死去するまでエジプトで過ごすことになる。
まずは旧総督時代に成し遂げられなかった、マムルークなどの現地勢力の排除や、イギリスといった西欧のエジプト介入を防ぐため、中央イスタンブールよりマフムト帝によってある程度の近代化を成し遂げたイェニチェリや帝国軍を要請。
再度のエジプト総督の着任式と偽って、マムルークら400人をカイロに集め、これら全てを虐殺した。
さらにエジプト全土にあるマムルークの拠点、カイロのマムルーク邸宅なども徹底的に破壊し尽くした。
1812年までにこれら現地勢力はサラスケルによって排除され、エジプトにおけるオスマン帝国の支配基盤は改めて固められた。
軍事改革
1812年3月頃よりエジプト州軍の近代化を断行。
プロイセンより軍事顧問を招いたり、中央イスタンブールよりイェニチェリの技術顧問を招いたりと、サラスケルは近代化の為にやれることは全てやり尽くした。
これらの成果が出て、1815年までにはエジプト州軍は全面的に近代化に成功した。
またこの時に、エジプト州副総督のムハンマド・アリーを、クレタ島?に左遷させている。

アラビア遠征とギリシャ独立戦争

ナヴァリノの海戦
1812年頃には、アラビア半島へ出兵した。
この頃のアラビア半島には、第一次サウード王国が興っていて、メッカ、メディナなどのレヴィン教の聖地を占領するほどの勢力を誇っていた。
サラスケルはマフムト帝の命令で出兵し、1813年に聖地を奪還。聖地奪還後はサウード王国の首都まで進撃し、1818年までにサウード王国を滅ぼし、アラビア半島を支配下に置いた。
1822年にギリシャ独立戦争が勃発し、ペロポネソス半島に出兵。サラスケル率いるエジプト軍は1824年にクレタ島、カソス島、カルパソス島を制圧。次いでギリシア本土の制圧を命じられたが、ただ単にオスマン帝国の命令に従うのではなく、近代化した帝国軍の力を国際社会に見せつけるということもサラスケルは考えていた。
こうするうちに1826年にアテネを陥落させ、ギリシャ独立戦争はオスマン帝国の勝利で終結した。

晩年

1831年にはスーダンへ遠征を開始。
スーダン遠征は順調に進み、スーダンのほぼ全土を併合し、エジプト州内の州として、エジプト州内スーダン州?を設置した。さらに紅海沿岸のエリトリアも併合し、エリトリア属州として帝国へ併合した。

1837年頃にエジプト総督を辞任し、後任の総督にサラアル・パシャを抜擢してイスタンブールに帰国。
晩年はイスタンブールで過ごす。
1839年に、皇帝マフムト2世が肺炎のため崩御すると、サラスケルは事実上の皇帝として支持を集める。
アブデュルメジト1世?が新たに即位すると、ムスタファ・レシト・パシャ?をアブデュルメジトの補佐役に任命し、自身は1840年に亡くなるまで、宮廷で補佐に回った。

1840年8月31日、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿の大宰相執務室にて死去。
後任の大宰相にムスタファ・レシト・パシャが選ばれた。

サラスケルの死後、オスマン帝国は本格的に改革を始め、タンジマート?改革を行うことになる。

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