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紀元前5世

: 紀元前483年にシンハラ人の祖とされるヴィジャヤ王子がスリランカに上陸し、アヌラーダプラ王国を作ったとされる。王都はアヌラーダプラに置かれた。

紀元前3世紀

アショーカ王の王子マヒンダが仏教を伝えたとされ、これ以後上座部仏教(テーラワーダ仏教)を主体として仏教が興隆し、その中心地となって、シンハラ人の多くは現在までその信仰を守ってきた。

紀元前2世紀以降

南インドからタミル人を主体とする断続的な移住者があり、現在のスリランカ・タミル人の原型を形成したと考えられる。

5世紀

アヌラーダプラで父を殺した王子がシーギリアロックの岩山の頂に宮殿を築いて遷都してカッサパ1世となるも、短期間で元に戻る。

11世紀:

1017年、南インドのチョーラ朝の侵入により王都を放棄した。

11世紀:

王国はアヌラーダプラの南東90キロのポロンナルワに移動し、1070年にチョーラ朝の勢力は撃退され、繁栄の時代を迎えた。ポロンナルワが王都となる (1070-1255, 1287-1293)。

13世紀

南インドでの動乱に伴い、チョーラ朝のタミル人の侵入が激しくなった。王都は北部から中部・南部に移動し、ダンバデニヤやヤーパフワを経て、コーッテでやや安定する。マルコ・ポーロが来島し、『東方見聞録』に記録を残す。

14世紀

イブン・バットゥータが来島し、『三大陸周遊記』に記録を残す。

15世紀

鄭和が1410年に来島し、形式上では明の朝貢国となった。中央部にキャンディ王国 (1469-1815) が成立し、キャンディを王都とした。低地にはコーッテ王国 (1371-1597)、北部にはジャフナ王国(14世紀-1620)があった。

1802年

イギリス本国の直轄植民地 (crown land) になり、アミアン講和条約でイギリスの領有が確定する

1815年

イギリス軍はキャンディに入り、王権は消滅した。ウィーン会議でオランダからイギリスへの譲渡が正式決定。

1832年

コールブルックの改革 (-1833) で、全土が均一に支配されるようになった。

1891年

ダルマパーラが仏教の復興を目指す大菩提会を創立。

1931年

ドナモア憲法が制定され、普通選挙法が施行された。

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