アムルースク=オスマン帝国の武家? | |
---|---|
バルバロス家 | |
成立年 | 1517年 |
家祖 | バルバロス・ハイレッディン |
現当主 | バルバロス・ラインハルト? |
種別 | 武家 |
出身地 | 不明 |
主な根拠地 | アルジェ? |
チュニジア? | |
著名な人物 | バルバロス・ハイレッディン |
バルバロス・オルチ? |
兄オルチ(左)と弟ハイレッディン(右)1517年に兄弟はアルジェを占領し、アルジェ君主として国を建国しようとしたが、強大な陸軍を持つスペインによって邪魔をされた。
兄弟はスペインのライバルであったオスマン帝国?に臣従する道を選び、アルジェを領土として献上した。
当時の皇帝セリム一世は、兄弟のもつ強大な海軍力を手にすべくこれを承諾。
兄のオルチをアルジェの知事、西地中海の海上州知事に任命し、ガレー船、大砲に加え、イェニチェリの支給まで約束した。
1517年スペインはオルチに攻撃を仕掛けてきたが、逆にトレムセンは陥落した。しかしスペイン軍との戦いは20日に及び、スペイン軍によってオルチが殺された。
プレヴェザの海戦弟ハイレッディンが兄の跡を継ぎ、アルジェを本拠に様々な略奪や侵略を行った。
オスマン帝国の強大な陸軍力とハイレッディン自身が持つ海軍と彼の指揮能力なども合わさって、地中海はオスマン帝国によって支配されることになる。
本国の皇帝スレイマン一世は彼を深く信頼し、200隻を超える大艦隊などをハイレッディンに派遣した。
1538年2月教皇パウルス3世は教皇国、スペイン、神聖ローマ帝国、ヴェネツィア共和国、マルタ騎士団から構成される神聖同盟の結成に成功した。しかし1538年9月に、ハイレッディン率いるオスマン海軍?は、連合軍のアンドレア・ドーリアに率いるヨーロッパ連合艦隊をプレヴェザにて撃破した。
この勝利はオスマン帝国に次の33年間に渡る、1571年のレパント海戦までの地中海支配をもたらした。
タグ
コメントをかく