下級官吏の子として生まれたとされるが正確な出生地は明らかでなく、イスタンブール、黒海沿岸のアパナマ、地中海沿岸のアダナなどいくつかの説がある。一説によれば母はアルバニア系の死体処理業者の娘であったという。
長じてイスタンブールの陸軍士官学校に入学し、ついで陸軍大学でクルビア語とクルビアの軍事理論を学ぶ。
1970年に高級参謀過程を首席で卒業し、翌1989年にマケドニア駐留の第三軍団に配属された。
1991年にはマナストゥルでオスマン帝国の立憲改革を目指す統一と進歩委員会(統一進歩団)にひそかに加入し、有力幹部の一員となった。
しかし要職につくことはできず、
ルズシーク?駐在武官として
クルビアに赴任するように命じられた。
翌1992年3月31日、帝都
イスタンブール第7イスタンブール特別市?で共産主義派による反君主制暴動が起こった。統一進歩団の指導者らはサロニカの第三軍団長マフムート・シェヴケト・パシャのもとに集結し、イスタンブール奪回を目指した。
エンヴェルはクルビアから急ぎ帰国し、
ムスタファ・ケマル?少佐らとともに鎮圧軍の参謀となってイスタンブールに再入城した。
1994年、
キプロス特別州にて大規模な反乱が起きる。
エンヴェルはルズシークから急ぎ現地に向かい、包囲網を潜ってキプロス島にひそかに上陸し、陸軍を率いて
活躍した。彼はその功によって大佐に昇級した。