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ピビンバ

韓国で国民食とされている『ビビンバ』。
それも、経緯がきちんと分かりますね。

【ピビンバのルーツ(俗説)】

幾つかあるのですが、大きいのは3つでしょうか?
【下人や奴婢の食べ物】
名前は分かりませんが、主人の家の家族の食事の余りを、大きな鍋に纏めて入れてかき混ぜ、それを下男や奴婢が食べると言う『食べ方』を指し、料理ではありません。
日本の人もよく勘違いしているが、この「食べ方」はルーツ足り得ないのです(この食べ方がルーツになったのは『部隊鍋(プデチゲ)』、貧困な時代に駐留米軍の残飯で鍋をしたというルーツを持つ料理の方でしょうね。まぁ、これは極端な話で、一般には米軍から流れた食料で作られた鍋です)。

ここで少し間違えてはいけないのは、主人の家の家族は最初から余らす量の料理を作っていると言う点ですが、李氏朝鮮時代末期だと荒地禿山が多く3年に1度は飢饉となっていましたので、飢饉時は大変でしたでしょうね。韓国では昔、学校のお弁当でを平等にすると大鍋に入れさせかき混ぜてしまい、それを食べるという時代もありました。
【骨董飯】
『「ピビンバ」は、1890年代の文献「是議全書」に「骨董飯(ゴルドンバン)」として記載されているのが最初の記録とされています。』という俗説もありますが、これは間違いです。
「骨董飯(ゴルドンバン)」のルーツは中国にあり、これは日本で簡単に言えば五目飯の一種で、祭祀の際に皆で材料を持ち寄って1つの鍋にして食べる『混ぜご飯』です。
統治時代でも『五味飯』と紹介されています(5味ですが、これは「たくさんの味」という意味です)。

これがビビンバと混同された理由は、1938年に記載された『全羅紀行』という書物にもありますが、ここで『骨董飯(ピーピムパブ)』というのが出てくるのです。
文字は一緒ですが読み方が違い、別の料理です(別の料理なら名前を変えようよ、とは韓国の料理を調べてよく思います)。
【入飯】
この『ピーピムパブ』というのは、1920年の辞書『日鮮辞典 : 実用本位』で『五目飯』を指していると言う事ですが、読み方が少し違いますね? 実はもう1つ『入飯(ピビムベブ)』というのもあります。
『ピビンバ』を指すハングルは『비빔밥』で、『五目飯』も『入飯』も同じ文字を使っていますが、本来は発音で料理に違いがあったのです。

この『入飯』ですが、農作業が忙しい人々が、畑でも栄養満点の昼食を取れるようにと作られたという説がある日本の地方料理なのですが、これだけが取り上げられ、韓国で「ビビンバは農作業が忙しい人々が、畑でも栄養満点の昼食を取れるようにと作られた」という俗説が作られ流れています(そもそも、朝鮮時代にはそんな労働環境ではなかったでしょう。両班などが寝そべり仕事もせず見ているだけで、労働は常民である農民や奴婢など下級層を牛馬の如く扱っていたのに)。
【釜飯】
似たようなものに「釜飯」もありますが、これも日本発祥の料理ですね。
調理した具材を合わせてかき混ぜるのではなく、調理前段階から仕込み一緒に炊くというので別の料理と日本ではきちんとなっていますが、韓国では最近、「釜飯は韓国発祥だ」なんてまた嘘歪曲を言う人をたまに見かけます。

ちなみに日本ではきちんと記録があり、大正12年(1923年)に関東大震災あとの東京上野で行なわれた炊き出しをヒントに、のちの浅草の『釜めし春』の女将が開発させた一人用の釜で、客に供した料理がはじまりとされるものです。浅草の『釜めし春』は今も浅草にありますね。
【1920年の辞書】
1920年の辞書朝鮮総督府発行『朝鮮語辞典』井口弥寿男著『日鮮辞典 : 実用本位』を調べていくと、以下になる。
五目飯
『朝鮮語辞典』:「부붠밥(bubwonbab)」
『日鮮辞典 : 実用本位』:「비븸밥(ピーピムパブ)」たぶん、書き分けられておらず発音は記載しているが「混ぜ飯」として同じ文字を使ったのだと思う
骨董飯
『朝鮮語辞典』:「부빔人밥(bubimbab)」「골동人밥(goldongbab・ゴルドンバン)」
『是議全書』:「골동人밥(goldongbab・ゴルドンバン)」
入飯
『日鮮辞典 : 実用本位』:「비븸밥(ピビムメブ)」たぶん、書き分けられておらず発音は記載しているが「混ぜ飯」として同じ文字を使ったのだと思う
などがある。どれも混ぜる料理なのだが、微妙に違う。
「빔」は「비비다」という動詞の語幹で「混ぜる」、「비빔」が「混ぜ」という意味になる。これはかき混ぜるという意味の「搅拌(jiǎobàn)」から来ている外来語である。また、「부빔」は「ご飯あるいは麺に魚肉野菜などを混じ調味する料理」とある)。それぞれが別の料理であり、少しずつ違う。「ピビンバ」発祥説に色々とあるのはこのせいである。

【混ぜるご飯】

もう少し、1つずつの料理を説明しましょう。
鮮半島の歴史で「具材を混ぜて食べる飯」というのは幾つもある。
【ねこまんま(残飯めし)】
韓国観光公社では「大晦日に残った食べ物は新年まで持ち越さない風習があり、残った食べ物をご飯とまぜて食べたのがビビンバの始まり」と説明しているが、これは嘘がある朝鮮半島では昔から奴隷制度があり、形だけは奴婢開放と宣言(1984年甲午改革)していたが実際はその後も継続して行われていた奴婢制度を、日本統治時代にはそれを実際に奴隷制度を撤廃し、日本式の道徳教育によりに伝わった「もったいない」という考え方を混ぜ合わせ、いいように伝えた物でしかありません。
日本統治以前の朝鮮半島の社会では、王族や両班、両班を支える中人という特権階級以外との階級差が大変にはっきりしており。また農民だった常民と、その下の下層階級(白丁など)との階級差もはっきりとしていた、階級制度かつ(自国民)奴隷制度の国ですね。農業においても「多くの下級民(奴婢)を使役し、主家はそれを寝転んで見ているだけ」というのは、当時の絵にも残っている話です。
その使役されていた奴婢などの食事は別々に作られるようなものではなく、「主家が余るだけの食事を作りそれを食べ、余った物を大鍋に入れてかき混ぜ、奴婢などはそれを食べていた」というのがこの「ねこまんま(残飯めし)」ですね。これはその様子が取られた写真も存在します。
「大晦日に残った食べ物は新年まで持ち越さない風習」以前に、食べ物を残すのが風習の社会であり、その余った食べ物は混ぜて奴婢などが食べるものなので持ち越されない風習の社会です(逆に言えば「大晦日に残った食べ物」を主家が食べてしまうようであれば、奴婢などが食べる物がないという事です。時代の社会構造から、「大晦日に残った食べ物は新年まで持ち越さない風習」というのが日本統治前の風習ではないのが分かりますね)。
この「ねこまんま(残飯めし)」は、
余った飯を全て混ぜる飯
잔밥을 모두 함께 비비다밥
というものですね。確かに『「비비다」という動詞からの名詞で「混ぜ(비빔)」という語彙』と『飯(밥)』という事自体は間違っていないが、これは「ご飯に色々と混ざった物」を指しているのであって、料理としての「混ぜ飯」とは違いますね。
「残飯めし」「잔밥밥(janbabbab)」とでも名付けていたら、区別が付くだろうに。他に「残り物飯」というので「공간밥(gong-ganbab)」とでも名付けてたらよかったのに(今だと少し語彙が違ってくるかもしれないが、1920年だと「공간」は「残り物」という語彙になる)。

食事自重が日本統治以前の時代のように悪化した朝鮮戦争後では、学校に持ってきた弁当を「平等」の名のもとに大鍋に全部入れてかき混ぜてしまい、それを分けたという「밥을 모두 함께 ''{비비다밥」も韓国の歴史の中に存在する。日本で言う「闇鍋」みたいなものになってますね。
また、駐留米軍の残飯から作られた「部隊鍋」というのも、今はきちんとした料理として存在しますね。

日本だと「ねこまんま(猫飯)」も「残飯めし」もきちんと記録がありますね。
「ねこまんま」は単に残飯めしではなく、料理としても存在します。美味しく食べる為に工夫もしていたのですね。
「残飯めし」も19世紀から20世紀にかけてあり、「残飯屋」というのもあります。ただ、「ねこまんま」と違うのは、店や客船の余り物や戦後だと米軍の余り物でも、それを飯・汁物・おかずと分けている物が多く、美味しく食べれるようにと気を使っている所もあったという所ですね。19世紀のフランスでも「残飯めし」は存在します。
別に恥ずべき歴史文化ではなく、当時のそのままの、そういう風習があったという事だけなのですが。韓国はそれを隠そうとするのでおかしな俗説が出てくるわけです(歴史を正視せず、まともに残そうとせず、捏造歪曲や創作ばかりしているからこのような事になる)。
【五目飯】
1935年の柳宗悦『全羅紀行』に「朝鮮に渡って以来私たちはほとんど朝鮮の食物ばかりを取った。実際にうまいのである。私たちはこの町でも土地の飯屋で昼食をとった。骨董飯(ピピンパッフと呼ぶ五目飯)に舌鼓を打った」とある。これは日本では『料理』としての「骨董飯(五目出汁茶漬け)」と、『五目御飯』『炊き込みご飯』『かやくご飯』などの事を「骨董飯」という云い方もしているので、これが混ざっているからだが。だが、この文章に対する読解力不足から、ビビンバのルーツに「骨董飯」や「五目飯」などが混ざってしまっている。
五目飯を作る混ぜる行為を「부븨다(bubuida)」、あるいは「부븨여(bubuiyeo)」「부붠(bubwon)」と書く(「揉む」という意味もあるようだが、「混ず」という意味で「五目飯を作る時に青菜や魚肉を混ぜる事」を指す言葉だそうで)
ご飯と具材を一緒に炊いて、炊きあがった物を混ぜた飯料理
밥과 식재료를 함께 끓여 밥을 부붠요리
だから「五目飯」は「부붠밥(bubwonbab)」という呼び名になるわけである。
日本語発音すれば「ピュビョンパ」でしょうかね? 本来の名前は明確に違うのですが、まぁ、今の『ビビンバ』という料理とは別の料理です。
また、1934年の安倍能成の随筆『或る日の晩餐』も『烹飯(ピピンパク)という五目飯のようなもの】と出てくる。ここでの『烹』は「煮る」という意味の語彙で、「五目飯」の事を言っている事が分かる。中国語で言えば『煮米饭』となる。この『烹』の朝鮮語発音が『(paeng)」なので、これが語源になるのだろう。

「飯に具材を混ぜ込む料理」であるのは確かであり、これが、朝鮮人が書いているのだと分からない所なのだが、日本人が書いている物なので「五目飯(炊き込みご飯)」と「混ぜ飯」の違いが明確なのだ。「五目飯」は「ご飯を炊く際に、具を米と一緒に炊き込んで作る飯」であるのに対して、「混ぜ飯」は「ご飯が炊き上がった段階で味付けした食材を混ぜ込む」料理だからだ。

この料理は、別にも書かれている。
料理書『是議全書』で「부븸밥」とある料理の方法は次の通り(『是議全書』は1890年代頃に原本があると言われるが、その存在は確認されておらず、発刊は1911年と日本統治時代である)。
ご飯を正に炊いて肉は寝かせて炒めガンナプは送って切る。豆菜ナムルを炒めておいて昆布のあげ物を壊して砕いておく。ご飯にすべての材料をみな混ぜてゴマ塩と油をたくさん入れてこすって器に入れる。上にはごった煮のスープと溶き卵をかけてのせる。 肉団子は肉をきれいにみじん切りにしてよく眠らせて玉ぐらいずつ借金は次の小麦粉を若干埋められて卵をかぶせて送ってのせる。 スープはごった煮
と、明らかにピビンバと異なる料理を示している(液体が入ってますね……)。
1921年版の方信榮『朝鮮料理製法』 には「부븸밥(bubuimbab)」という料理があり、その説明は、
先にご飯を少し固めにひいては大きい器に入れておいて大根のナムル・もやし・モヤシ・桔梗根ナムル・セリナムル・ワラビナムルを作って先に大根のナムルともやしを中に入れてその上にスープを注いで入れた後ふくらむ少しずつ焚いて暑くしてヌルミと山積とチョニュオ(これは何を指すがよく分からない)を細かく入れてまた、緑豆菜ナムルをみな入れた後に油・ゴマ塩を打って箸でそろそろ攪拌してそれぞれ周鉢にわけて入れた後にヌルミ・山積・チョニュオを細かく掃いて端に回してのせてまた、その上に昆布のあげ物を乗せで烹卵を細かく掃いてのせた後錦糸卵を細かく掃いてのせて粉唐辛子とゴマ塩を振りかけておく。
とあり、やはりピビンバとは明らかに異なる。やっぱり何か液体を注いでいる。
そして「錦糸卵」と出てますが、これは江戸時代に出来た日本の卵料理です。また、「昆布のあげ物」というのも精進料理を起源とし、その後、武士の携帯食や贈答品としても用いられました。室町時代には「揚げ物」として存在し、江戸時代には「揚げ昆布」として市中で売られるようになり、様々な料理法で食べられるようになったものです。
どちらかというと、料理自体は日本の「骨董飯」に似ている。というか、たぶん、日本の「骨董飯」だが、乗せる具材を朝鮮総菜にしたものでしょう。
【骨董飯】
骨董飯は中国の明の時代の「字学集要」に『骨董飯』と載っており、中国から来た外来料理。
1890年代に書かれた作者不詳の食べ物百科『是議全書』に書かれており、「骨董飯(골동人밥(goldongbab・コルドンバン)」と「부빔人밥(bubimbab・プブィムバプ)」として並んで記録されており、「ご飯に材料をすべて混ぜてごま塩と油を多く入れて混ぜ、器に盛る」と説明されています。混ぜた物が器に出される料理というので、これは「混ぜ飯」であり、明らかに『ピビンバ』とは異なるが、これを韓国では「今のピビンバと一緒」と無理矢理に起源説に繋げている記事もある。韓国では一部で「料理の名前だけ同じで別の料理」などと言っているが、中国の「骨董飯」は「魚や肉など色々な物を飯と混ぜ合わせた料理」と、そもそもが「骨董飯」は「色々なものを混ぜ合わせるご飯」という意味なので、朝鮮時代の「骨董飯」も中国の語彙通りの料理であり、ルーツであるのは確実です。

「부빔人밥(bubimbab・プブィムバプ)」は別に料理名ではなく、「飯または麺類に魚肉・野菜などを混じ調味したる食物」を指す「부빔(bubim)」という語彙があり、「骨董飯」が「混ぜ合わせた飯を出す料理」という事を説明している俗名というだけである。その説明だけだと、『訓民正音』より古くに既にある、鎌倉時代(1185〜1333年)に既にある五目ちらし寿司も入りますね。
ご飯と具材を別々に炊き、それを合わせて混ぜるご飯料理
밥과 재료를 따로 끓여 합쳐서 섞부빔 요리
だから「骨董飯」は「골人동밥(goldongbab)」という料理名以外に、「부빔人밥(bubimbab)」という俗称があるわけである。
朝鮮語ではそれがどう混ぜるかで、実は文字が違う(日本語でも「一緒に炊き混ぜる」か「別々に炊いた物を混ぜ合わせる」かで少し言い方が違うのと一緒)のだが、その言葉が持つニュアンスを今の韓国は失っているだけです。

料理としては「ピビンバ」に近いですが、料理として出される形が混ぜ合わせた後の形か。それとも混ぜ合わせる前が料理が出される形で、それを自分で混ぜ合わせて完成させる料理。料理の形態はまるで違いますね。これは「ピビンバ」という料理においては大きな問題で、昔の逸話だと、今の『ビビンバ』を出すと「出来ていない料理を出すのか」と客が怒ったというものや、逆に混ぜ合わせた物を店が出し客が「ピビンバじゃない」と怒り狂った事件がありましたね(「口に入れたら一緒だろう」と店がのたまったが、「料理を出す形」をきちんと気にするか、そこから『客に出す料理か』を考えているかどうかですし。まぁ、食欲が湧くかどうかなども影響しますね)。

前に、中国式のピビンバが韓国ドラマに出てきて物議を醸しだしたそうだが、「ピビンバ」の起源を「骨董飯」だと韓国が主張するなら、そのルーツは中国になります。
「朝鮮末期の東国歳時記(1849年)によれば江南(揚子江)地方では伝統的な食べ物として盤遊飯が良く作られており、これが骨董飯である」と書かれているものもあるが、これは間違った記載である『盤遊飯(パンユファン)』は、食事の代わりに食べる軽い食物や、料理の後に出てくる菓子を指している
【入飯】
「入飯」「비븸밥(ピビムメブ)」は『日鮮辞典 : 実用本位』に出てくるものですが、他に出てこないですし、朝鮮時代の食事(1日2食)には合わないので、日本統治で土地開拓や土壌改造の際に日本人は朝鮮人と一緒に汗水流して労働していましたの時に、この時に任本陣が持ってきて食べていたのが定着した新しい語彙ではないかと思います。
「入飯」というのは、農作業が忙しい人々が、畑でも栄養満点の昼食を取れるようにという主に日本の四国の郷土料理で、お酢や醤油で味付けしたちりめんを、ちくわやしいたけ、こんにゃく、ごぼうなどの具材とともにご飯に混ぜ合わせて作るもので、「いりこ飯」と呼ばれることもあり、呼び方は地域によって異なるが伝承され続けている郷土料理の名前です。

これもようは「混ぜ飯」で「五目飯」や関西なら「加薬ご飯」となるのですが、「入飯」という云い方自体が日本の郷土料理のもので「農作業が忙しい人々が、畑でも栄養満点の昼食を取れるように」というものです。しかしこれが、何故か「朝鮮がそうだった」という話に歪曲され、それが起源説になったもののようですね。

『日鮮辞典 : 実用本位』には「入飯」を「비븸밥」と書いているが、その読みを「ピビムメブ」と日本語発音が書かれているように、書き文字としては本来は少し違うのでしょう。
「ビビム」と「混ぜる」部分の意味は同じでしょうから「부빔」で、「ブ」はやはり「飯」の意味なので「밥」でしょうが。
「メ」はなにか?
これは推測ですが、「農夫の俗謡(農夫歌・農謡)」という言葉があり、これを「메나리(menali)」と書く(翻訳に出てこないから既に無い語彙なのだろうか?)事から、「メ」は農夫を指す「메(me)」ではないかと思います。「入飯」は「부빔메밥(bubimmebab)」と書き、この農作業に食べる混ぜ飯(入飯)を「ピビムメブ」と呼んだのではないかと思います。
【他の混ぜ飯】
以上は「ピビンバ」の俗説に関係してくる事だけでを取り上げているが、「何かを混ぜた飯」自体は他にも記録がある。
  • 大豆飯『콩밥(kongbab)』
  • 小豆飯『팟밥(pasbab)』
などなども見つかる。
  • 「祭祀、つまり先祖の法事が終わったときに、膳に供えた料理を混ぜ合わせて分け合って食べるのがピビンパブという話である。儒教の通過儀礼のひとつとして祭祀は大切な法事であり、多くの親族が集う。夜遅く終わった法事では供え物をいただくのも、楽しみとなっている。参席者に1人前ずつの配膳が大変なので、女性や子供たちの分は、大きな容器に各種の料理をご飯と一緒に入れ、味つけをしては混ぜ合わせる。これを各自の器に分けとって、いただくのがピビンパブである」というものや、「みんなで持ち寄った食べ物を混ぜて食べた、この風習がピビンバである」
という説もあるのだが、これは朝鮮時代にあった風習なのかは確認はできていない。昭和10年に抽選総督府が発刊している『朝鮮総督府調査資料 第36輯 民間信仰第三部 朝鮮の巫覡』『朝鮮総督府調査資料 第37輯 朝鮮の占卜と豫言』などを確認しても、祭祀に際して飯や料理を出す風習は色々と記録があるのだが、言われるような「みんなで持ち寄った物を混ぜて食べた」というのはまだ見つかっていない。ただ、この食べ方は「ねこまんま」で、ビビンバとは違いますね。
  • 宮廷料理で「別個の更にあるのを自分の好みで乗せて食べたのが起源だ」
というのもあるのだが、これは単に複数の佐飯(日本的に言えば「ご飯のお供」)を出してというだけの話ですね。
【食も歴史】
挙げた朝鮮時代の、
  • 余った料理を混ぜて食べる習慣:(朝鮮の奴婢階級の食事なので特に名前は無し)
  • 五目飯:『부붠밥(bubwonbab)』
  • 骨董飯:『골人동밥(goldongbab)』俗名『부빔人밥(bubimbab)』
  • 入飯:『부빔메밥(bubimmebab)』
は、発音は似てはいますが、その意味は文字の語彙がはっきりとしており、どれも『ピビンバ(bibimbap)』という料理とは掛け離れた料理で、どれも違う料理でそれぞれに味わいがある料理である(これらを今の『ピビンバ』の料理だと言うのは、日本で『「炒飯」も「チキンライス」も「海老ピラフ」も「ちらし寿司」だ』と言っているようなものです)。調べるとそれぞれが明確に違う料理であり、きちんとした「食の歴史」なのに、韓国は自分たちでその歴史を台無しにしている事がよく分かります本来はあった表音主義的表記法ではそれぞれのニュアンスがあったのに、形態主義的表記法にした上で、それにも関わらず文字を大事にせず表音的に当て字して言っている為に、本来の意味を文字から無くしていっています
また、
  • 「混ぜた料理」:「혼합 요리」
  • 「混ぜる料理」:「섞는 요리」
既に混ざった状態で出される料理と、自分で混ぜる所もが食事になっている料理
「飯と何かが混ぜる」という語彙と、今の『ピビンバ』という『料理の名前』の差が分からない(つまり、語彙が足らないし理解が出来ていない)事が、こんな愚かなピビンバ論争になっている。このような事は韓国では他でも同じよう事例が多々見られるが、これらって昔の朝鮮半島の歴史文化を分からなく覆い隠して駄目にしている事を、韓国は分かっていないのですよね。判っていれば、混ぜ飯も様々な形態があった事が分かるのに(そして、それを主に正確に残しているのが朝鮮ではなく日本であるという皮肉です)。

【ピビンバのルーツ】

『ピビンバ』は、丼に入れたご飯の上に綺麗に混ぜる食材を盛り付けて、その状態で出される食べ物ですね。
それを食べる人が自分で混ぜ、そして自分の好みに味を調味する。「混ぜる」という行為が料理を完成させると共に、食事の一部にもなっているものです
これは、混ぜ飯を作る上だと、
  • 料理を作るのに手間がかかる
他の「五目飯」や「骨董飯」「入飯」にはない、「おひとり様文化」です。料理する側からすれば、大きな鍋で作り混ぜてしまった物を作り置きし、そこから取り分けて出す方がよっぽど楽で手間がかかる料理です。実際、朝鮮時代の「五目飯」「骨董飯」「入飯」もそういう料理ですね?
  • 朝鮮のパリパリ文化と合わない
「早く早く」と、手間などを好む文化で、せっかちですね。ですので、昔、『ピビンバ』の元の料理を朝鮮で出した時には客が「料理途中のものを出すのか!」と怒ったという話があります。
逆に日本だと、在日朝鮮人の店で既に混ぜたものを「ピビンバ」として店が出して、客が「これは『ピビンバ』じゃない!」と怒った話があります。見た目や混ぜる行為までを「食事」としている、丼物文化があるからですが。
【ピビンバの本当のルーツ】
では、今の韓国の国民食としている今の『ピビンバ』に類似している料理がいつできたか?
と言うと、料理文献を探していくと日本統治下の1930年代に出てきます。

この当時は『朝鮮混ぜご飯』や『朝鮮風ちらし寿司(江戸前のちらし寿司のネタを朝鮮総菜に置き換えた物)』という名称で料理を紹介されており、日本の料理のアレンジで、器に入れたご飯の上に朝鮮惣菜を見た目よく配置し、食べる前に自分で混ぜるというものです。これは日本の丼物料理や江戸前ちらし寿司のアレンジ料理ですね。分かりやすく言えば、「調理途中の中途半端な料理に見えるが、仕上げは食べる人が自分でする料理」というのは珍しいと言うのでも分かる事ですね(日本だと調理前から、調理中、匂いや見た目まで「料理」の中に入りますし、口の中で合わせる、喉越しというのまでありますからね。調理前でも、魚なら釣る方法や締め方、保冷方法まで料理とも言えますし)。

先に書いた朝鮮の『五目飯』『骨董飯』『入飯』といった『混ぜ飯』という食べ方は、混ぜた料理が取り分けられて出されるという食べ方や料理ですね。昔の朝鮮人は『自分で料理を仕上げる』という食事の楽しみ方が分からず、このように自分で最後に仕上げる料理を見て「出来ていない料理を出すな、混ぜてから(料理を完成させてから)出せ」と文句を言っていました。
「総菜を幾つも並べ、そこから自分の好みで生地(主に葉物野菜)などの上に乗せ巻いて食べる」と言う食べ方ならあり、日本でも料理として荏胡麻で包む料理は存在しますし家庭での手巻き寿司のようにあります。
【日本統治時代における「新しい混ぜご飯」の登場】
1920年代から1940年代にかけて、朝鮮半島で発行された雑誌や、日本で出版された朝鮮関連の書籍の中に、現代のビビンバに繋がるスタイルの料理が登場し始めます。これらは日本の食文化、特に「ちらし寿司」や「丼物」の美意識と提供スタイルに影響を受けています。

『朝鮮の料理』(1933年): 料理研究家の崔貞允(최정윤)が日本語で著したこの料理本には、「朝鮮混ぜずし」として、ご飯の上に錦糸卵、椎茸、牛肉の炒め物、きくらげなどを彩りよく並べた料理が紹介されています。これはまさに、日本のちらし寿司の構成を朝鮮の食材に置き換えたものです。

雑誌『婦人倶楽部』(1939年11月号): 「朝鮮ホテルの混ぜ御飯」という記事が掲載されています。この記事の料理は、ご飯の上に9種類のナムルや肉などを放射状に美しく盛り付けたもので、食べる直前に混ぜるスタイルが紹介されており、現代の全州ビビンバなどの原型と見ることができます。

名称: これらの料理は「朝鮮混ぜご飯」「朝鮮風ちらし寿司」「朝鮮風五目ずし」といった名称で紹介されていました。これは、日本の料理ジャンル(混ぜご飯、ちらし寿司)の「朝鮮風アレンジ」として認識されていたことを明確に示しています。

これらの文献は、「ご飯の上に具材を美しく盛り付ける(見た目の重視)」そして「食べる人が最後に混ぜて完成させる」という、日本の丼物やちらし寿司に通じる二つの大きな特徴を持った料理が、1930年代に登場し、紹介されていたことを裏付けています。
【ピビンバと名付けたのは韓国政府】
これを戦後、1948年に韓国政府の国語醇化政策で国民食と定め、『ピビンバ』と呼ぶ事にしたものです。つまり、それまで違う名前だったものです。
1990年代半ばに韓国政府が『海苔巻き』を『キムパブ』と呼ぶように定めたのと同じ系統ですね。これらの「本来ある料理名を無理矢理に変えた料理」は、まぁ、日本由来や中国由来の料理です(というか、韓国が「自国の料理だ」と思っているほとんどがそれで、そこから発展させて独自性があるならともかく、アレンジで終わっているので本当に『自国の料理』というのは本当に少ない)。

料理は違うのだから、別の名前をきちんと付けろと言いたい。この韓国政府のせいで、『骨董飯』や『混ぜ飯』『入飯』などの朝鮮の食の歴史が分からなくなっている。
おかげで、朝鮮時代の奴婢の食事(まじぇまじぇ)や、祭祀で食べる骨董飯(五目混ぜご飯)との違いが、韓国では分からなくなっている。
【日本の『骨董飯』】
ちなみに、日本にも江戸時代に『骨董飯』という料理はありますが、中国や朝鮮の骨董飯とまるで違い、中国の骨董飯をルーツに持ちながら独自発展しており、『五目出汁茶漬け』のような料理です。

また、江戸時代には骨董飯と書いて〈ごもくめし〉と読ませたものもあります。より古くは室町時代から芳飯(包飯,苞飯,法飯とも書く)と呼ばれたのも同じもので,1730年の『料理網目調味抄』に〈鳧(かも)飯,雉子(きじ)飯,鰝(えい)飯,めばる飯,初茸・松茸めし,皆鶏飯悖(けいはんもどき)にして芳飯也,……又葱(ねぎ),牛旁(ごぼう),しめじ,椎茸,芹,焼麩,何れも線に切(きり),味付(あじつけ),飯に覆たる皆包飯也〉とある。好みの材料をこまかく切って調味し,茶飯ふうに炊きあげた飯に混ぜるか,米に混ぜて炊きあげる。
釜飯もこの一種であり,五目ずしはすし飯を使ったものである。
とある。

つまり、『料理』としての「骨董飯」と、『混ぜご飯』というジャンルとしての「骨董飯」という語彙が存在します。
【見た目も大事】
最も分かりやすいのが『料理の出された見た目』ですね。
日本の料理は、味だけでなく見た目や匂いなど五感で大事だというのがあります。温度も食べるものによって違いますよね。
今の『ビビンバ』、出された時点で視覚的にも美味しさを伝える料理。これが韓国にはないとても日本的ですね。
ですが、出来たのが日本統治時代であるといっても『朝鮮の料理』であるのは確かです。
【石焼ビビンバ】
韓国にある説だと、1963年に韓国の全州中央会館(전주중앙회관)の社長が作ったとされていますね。
1999年の取材の記録がyoutubeがあったのですが、見れなくなっていますね(サイト自体が亡くなったようです)。ただ検証はされていないそうです。

日本では1970年代に大阪で、在日朝鮮人の方が初めて石焼ビビンバを出しています。
こちらは出した事が分かっているので、韓国の説の検証次第で変化するという事になります。――が、その前に昔のTVで、韓国の全州中央会館の社長と在日朝鮮人の人の対談があって、「日本から持って行った」と発言もしているのですよね……。

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