最終更新:
mitsuko_tada 2025年07月12日(土) 11:19:37履歴
韓国でもジャガイモを使った料理は多いですが……その芋料理のほとんどが日本統治時代以降に出来た料理です。
というか、日本統治が無ければ韓国の芋料理のほとんどは存在できていません。
というか、日本統治が無ければ韓国の芋料理のほとんどは存在できていません。
韓国の『ジャガイモ』や『サツマイモ』は外来作物である。
【サツマイモ】
これは、朝鮮通信使が持ち帰ったものです。
その中で朝鮮通信使の正使として派遣された趙曮(1719-1777年)が対馬からサツマイモの種いもを持ち帰り、その保蔵法と栽培法を合わせて普及することで韓国でのサツマイモ栽培が始まったもの。趙曮の『海槎日記』(1764年)には「対馬に食べられる草根があるが、甘藷あるいは孝子麻と呼ぶ。倭音では古貴爲痲(孝子麻の音を写した当時の記録文字)という。これは形が山薬のように大根のようでもあり、ウリやいものように状が一定しない(島中有草根可食者名曰甘藷或謂孝子麻倭音古貴爲痲其形或如山藥或如菁根如瓜如芋不一其狀)」と書かれている。
そこから広がったサツマイモは古貴爲麻という日本語の発音から語形が変わり、今の韓国語では고구마(ゴグマ)と言う。
つまり、「サツマイモ」を意味する韓国語は対馬方言から由来したのである。また、ゴグマ以外にも甘いいもという意味から甘藷:韓国語では감저(ガムジョ)、南から入った甘藷ということで南甘藷:韓国語では남감저(ナムガムジョ)、趙曮が持ってきたので趙藷:韓国語では조저(ジョジョ)とも言う。
まぁ、日本から来たことは確実です(日本へは17世紀初めに中国から琉球にもたらされ、やがて薩摩へ伝わり、九州南部で栽培されたのが「薩摩の芋」として、全国へ広まり定着したもの)。
そもそも甘藷というのは甘い芋であるサツマイモを中国ではそう呼んだわけだが、なぜか現在の韓国語でジャガイモはその甘藷(Gamjeo、ガムジョ)という語形が変わり감자(Gamja、ガムジャ)となっているのである(日本へは1598年にオランダ人によって持ち込まれたものである。ジャワ島のジャガタラを経由して長崎へ伝来したためジャガタライモと呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった)。
ただ、日本統治で増産されるまでは生産量は少なく、ほとんど食べられていない。
ただ、日本統治で増産されるまでは生産量はとても少なく、希少な甘味だったようである。
【ジャガイモ】
こちらはもっと新しく、19世紀になってからの作物。
サツマイモに比べて、ジャガイモが韓国へ伝わってきたのは遅く、1824年に満州から持ち込まれたものと推測されている。それを証明するのが李圭景(1788〜1856年)の「五洲衍文長箋散稿」(1850年?)にある「北藷則越豆滿入于北塞。似在我純廟甲申、乙酉之間」と書かれた文である。ここにある北藷:韓国語では북저(bukjeo、ブッジョ)というのがジャガイモを示す。満州から豆滿江を超え北方から来た甘藷という意味で北方甘藷、略して北甘藷、またその模様から馬鈴薯、圓藷、卵藷、夏至に収穫するので夏至甘藷とも呼ばれてきた。
このジャガイモ、朝鮮時代ではあまり作られていない生産品です。
よく作られるようになったのは、火田民の焼畑で不毛の大地になっていたのを、愛知の地主が出資して、農場を作り、近代機械を導入しつつ、作り上げていったものです。新品種の導入だけでなく改良もしています。

そもそも、ジャガイモは日本も中国も外来種なのだが、日本の方が中国より少しだけ古くからきており、観賞植物として来ているのだが、食品として救荒作物として育てていたのも日本の方が早い。中国だと台湾から入ってくるが、その栽培は台湾が日本統治されてから本格的に合っており、これは朝鮮半島と同じである。
その中国より遅く、朝鮮半島には北から来ているのである。
【サツマイモ】
これは、朝鮮通信使が持ち帰ったものです。
その中で朝鮮通信使の正使として派遣された趙曮(1719-1777年)が対馬からサツマイモの種いもを持ち帰り、その保蔵法と栽培法を合わせて普及することで韓国でのサツマイモ栽培が始まったもの。趙曮の『海槎日記』(1764年)には「対馬に食べられる草根があるが、甘藷あるいは孝子麻と呼ぶ。倭音では古貴爲痲(孝子麻の音を写した当時の記録文字)という。これは形が山薬のように大根のようでもあり、ウリやいものように状が一定しない(島中有草根可食者名曰甘藷或謂孝子麻倭音古貴爲痲其形或如山藥或如菁根如瓜如芋不一其狀)」と書かれている。
そこから広がったサツマイモは古貴爲麻という日本語の発音から語形が変わり、今の韓国語では고구마(ゴグマ)と言う。
つまり、「サツマイモ」を意味する韓国語は対馬方言から由来したのである。また、ゴグマ以外にも甘いいもという意味から甘藷:韓国語では감저(ガムジョ)、南から入った甘藷ということで南甘藷:韓国語では남감저(ナムガムジョ)、趙曮が持ってきたので趙藷:韓国語では조저(ジョジョ)とも言う。
まぁ、日本から来たことは確実です(日本へは17世紀初めに中国から琉球にもたらされ、やがて薩摩へ伝わり、九州南部で栽培されたのが「薩摩の芋」として、全国へ広まり定着したもの)。
そもそも甘藷というのは甘い芋であるサツマイモを中国ではそう呼んだわけだが、なぜか現在の韓国語でジャガイモはその甘藷(Gamjeo、ガムジョ)という語形が変わり감자(Gamja、ガムジャ)となっているのである(日本へは1598年にオランダ人によって持ち込まれたものである。ジャワ島のジャガタラを経由して長崎へ伝来したためジャガタライモと呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった)。
ただ、日本統治で増産されるまでは生産量は少なく、ほとんど食べられていない。
ただ、日本統治で増産されるまでは生産量はとても少なく、希少な甘味だったようである。
【ジャガイモ】
こちらはもっと新しく、19世紀になってからの作物。
サツマイモに比べて、ジャガイモが韓国へ伝わってきたのは遅く、1824年に満州から持ち込まれたものと推測されている。それを証明するのが李圭景(1788〜1856年)の「五洲衍文長箋散稿」(1850年?)にある「北藷則越豆滿入于北塞。似在我純廟甲申、乙酉之間」と書かれた文である。ここにある北藷:韓国語では북저(bukjeo、ブッジョ)というのがジャガイモを示す。満州から豆滿江を超え北方から来た甘藷という意味で北方甘藷、略して北甘藷、またその模様から馬鈴薯、圓藷、卵藷、夏至に収穫するので夏至甘藷とも呼ばれてきた。
このジャガイモ、朝鮮時代ではあまり作られていない生産品です。
よく作られるようになったのは、火田民の焼畑で不毛の大地になっていたのを、愛知の地主が出資して、農場を作り、近代機械を導入しつつ、作り上げていったものです。新品種の導入だけでなく改良もしています。

そもそも、ジャガイモは日本も中国も外来種なのだが、日本の方が中国より少しだけ古くからきており、観賞植物として来ているのだが、食品として救荒作物として育てていたのも日本の方が早い。中国だと台湾から入ってくるが、その栽培は台湾が日本統治されてから本格的に合っており、これは朝鮮半島と同じである。
その中国より遅く、朝鮮半島には北から来ているのである。
比較するために、大韓帝国から日本統治直後の1911年の芋収穫量との1人当たりの量を比較すると下図になる。

(半島南側のデータは、1944年までは半島南側の収穫量と人口だけで見た場合になる)
芋類の生産は北側の方が多く、主要な生産は今の北朝鮮地域が多い。
韓国では「ジャガイモの本格的栽培は1890年頃平安道(現在は北朝鮮)、咸鏡道(現在は北朝鮮)、江原道一円から始まった」とあるが、実際の本格的栽培は日本統治後から始まっているのが明らかである。また、「1961年江原道平昌郡大關嶺面に高嶺地農業研究所が設立され、国内唯一の高嶺地農業研究機関として韓国の農業を支えてきた」とあるが、実際の所は芋の生産上昇率は日本統治時代の生産の延長線上である。
韓国で芋が日本統治時代末期並になるのは1960年代以降で、1980年ぐらいになる。

(半島南側のデータは、1944年までは半島南側の収穫量と人口だけで見た場合になる)
芋類の生産は北側の方が多く、主要な生産は今の北朝鮮地域が多い。
韓国では「ジャガイモの本格的栽培は1890年頃平安道(現在は北朝鮮)、咸鏡道(現在は北朝鮮)、江原道一円から始まった」とあるが、実際の本格的栽培は日本統治後から始まっているのが明らかである。また、「1961年江原道平昌郡大關嶺面に高嶺地農業研究所が設立され、国内唯一の高嶺地農業研究機関として韓国の農業を支えてきた」とあるが、実際の所は芋の生産上昇率は日本統治時代の生産の延長線上である。
韓国で芋が日本統治時代末期並になるのは1960年代以降で、1980年ぐらいになる。
韓国を代表するおかずのひとつ。
大きなジャガイモは皮を剝いて適当な大きさに切り、新ジャガイモでしたら皮付きのまま、炒めたあとにしょうゆベースのタレで煮ます。辛味を出す場合は、輪切りにした青唐辛子や、粉唐辛子を入れる。
カムジャチャグリ(じゃがいもと豚肉の旨辛煮)などもあるが、日本統治以降で、辛みを出しているので1960年代以降の料理でしょう。
大きなジャガイモは皮を剝いて適当な大きさに切り、新ジャガイモでしたら皮付きのまま、炒めたあとにしょうゆベースのタレで煮ます。辛味を出す場合は、輪切りにした青唐辛子や、粉唐辛子を入れる。
カムジャチャグリ(じゃがいもと豚肉の旨辛煮)などもあるが、日本統治以降で、辛みを出しているので1960年代以降の料理でしょう。
韓国の北東は江原道(カンウォンド)という北朝鮮に近い地域があり、ジャガイモが特産で、他の地域と比べてジャガイモを使った餅を手軽に買い求めることができます。と、あるが、江原道がジャガイモの特産になるのは、朝鮮戦争後である(日本統治中は、主に北朝鮮側で作られていた)。
トック自体はもち米で作られていたのは昔からありますよ。1887年の『料理独案内:西洋朝鮮支那日本』にも記載があります。
ジャガイモは生地に練り込み、中に小豆あんや緑豆あんを詰めて蒸します。生地に上新粉を使った場合はしっかりと噛み応えがあり、餅粉の場合はモチモチとしたやわらかい食感です。この「餡」は日本から伝わったもので、日本統治からのものです。そもそも、砂糖がほとんどなく(日本からわずかに手に入れていた超高級品)であり、一般に使われる(輸入される)のは開港後の18世紀半ば以降の話であり、それまで甘味は朝鮮半島にはほとんどありません。
トック自体はもち米で作られていたのは昔からありますよ。1887年の『料理独案内:西洋朝鮮支那日本』にも記載があります。
ジャガイモは生地に練り込み、中に小豆あんや緑豆あんを詰めて蒸します。生地に上新粉を使った場合はしっかりと噛み応えがあり、餅粉の場合はモチモチとしたやわらかい食感です。この「餡」は日本から伝わったもので、日本統治からのものです。そもそも、砂糖がほとんどなく(日本からわずかに手に入れていた超高級品)であり、一般に使われる(輸入される)のは開港後の18世紀半ば以降の話であり、それまで甘味は朝鮮半島にはほとんどありません。